16.鬼の哭く夜(3)
もはや酔いなど一気に吹き飛んだ。だが、一〇メートルほどしか逃げることかなわず、魔獣に腕をつかまれて体勢を崩し、転倒した。
魔獣が腕をふりあげる。長く鋭い爪が黒光りしていた。あんなモノを喰らったら、一発でアウトだ。恐怖のあまり眼を閉じかけたが、さっと影が横切ったかと思うと、打撃音とともに魔獣が数メートル吹き飛んだ。
影の正体、シグゥアは陽介の前に立ち、ムエタイ選手のような構えで魔獣と対峙した。魔獣はやや怯んだように見えたが、すぐに爪を立ててシグゥアに跳びかかる。
シグゥアは半回転しながら凶悪に光る爪をかわし、そのまま真っ直ぐ左足を魔獣の下腹部に突き刺す。
断末魔にも近い咆哮を放ちながら、魔獣は先ほどの倍は飛んで、ぐったりして動けないようだった。
「お怪我はありませんでしたか?」シグゥアは首だけふり向き、訊いた。
陽介は言葉が出ず、ただ頷くしかできなかった。
シグゥアは視線を魔獣に戻した。唸り声をあげてこちらを睨みながら、手をついて半身を起こそうとしている。
「一旦引いて合流します。失礼します」シグゥアは早口でいい、陽介を両手で抱きかかえ、走りだした。
いわゆるお姫様ダッコというやつだ。陽介は非常に情けない気持ちになったが、とんでもないスピードで走るシグゥアに、俺も走るとはいえなかった。
シグゥアは橋を走り抜けて一〇〇メートルばかり進み、木材を加工する工場の高い鉄門をさっと跳び越えた。中に侵入してもスピードは緩めず、入ってすぐの大きな資材置き場の裏に回る。そこは広い駐車場となっており、芽衣子とジンが待ちかまえていた。
「シグゥア。ご苦労さま」芽衣子がいった。
「とんでもありません」シグゥアはいいながら、陽介を降ろす。
「……ほんとうに、ありがとう。助かった……」陽介の声は震えていた。
「ほら! いったとおりじゃない!」
芽衣子が叱るようにいい、陽介は視線を落とした。
「まあ、いいじゃないですか、メーコ様。それより今は、魔獣たちをなんとかしないと」ジンが腕組みしながらいう。
「魔獣……たち?」陽介は疑問に思ったが、すぐ理解した。
シグゥアが通った後をなぞるように、魔獣が姿を現した。その数、七体。
「陽介とジンは邪魔だから、後ろに下がって」芽衣子がいった。
ジンは頷き、走って工場の壁際まで下がり、「陽介君も早く!」と大きな声をあげる。陽介は歯を喰いしばりながら二〇メートルほど走り、ジンの隣に並んだ。
七体の魔獣は密集して、ゆっくりと迫ってきた。大きく息を吐きながら、陽介はあらためて魔獣を見る。
魔獣とはいうが、二足歩行の大きな体と角、日本人の感覚では鬼と呼ぶほうがしっくりきた。
「七体もいるが……大丈夫なのか?」陽介は、余裕の表情で傍観しているジンを横目に、いった。
「まあ、たぶん」と、表情のわりには曖昧な答えだ。
「アンタは戦わないのか?」
「私は騎士でも魔道師でもない。ただの政治家です。戦闘能力は陽介君とたいして変わりません」ジンは肩をすくめる。
心中で、「情けない男性陣だ」とぼやいた。眼前では、妹と一三歳の少女が七体の魔獣と対峙しているのだ。
「メーコ様のお手を煩わせるわけにはいきません。私一人で充分です!」シグゥアは魔獣の群れに突っ込み、一体を蹴り飛ばした。
残りの六体が一斉に爪をふりかざす。その全てをシグゥアは軽快に避け、順に殴り、蹴り飛ばしていく。残りが半分となったところで、初めに一撃をくらった魔獣が戻ってきてシグゥアに爪をふりかざす。
シグゥアは身を屈め回避し、立ちあがる反動でジャンプしてアッパーカット、別の魔獣を吹き飛ばす。さらに戻ってきたもう一体を含む四体の魔獣の飛び交う爪をかいくぐり、一体の腹を蹴りあげた。だが、すぐに別の魔獣が戻ってくる。
魔獣は驚くほどタフだった。常に三、四体ほどの魔獣を相手に、シグゥアは攻守に奮闘する必要があった。
均衡を破ったのは、芽衣子のはつらつとした声だった。「シグゥア、これを使って!」
芽衣子は半透明の棒のようなものをシグゥアの頭上に放り投げた。シグゥアは跳びあがってそれをつかみ、一閃、爪を突きだしてきた魔獣の腕を切り落とす。
さらに、着地と同時に別の一体を胴から真っ二つにした。魔獣たちは警戒し、シグゥアと距離をとる。ともあれ、一体は完全沈黙、残るは六体となった。
「あれは、剣か……、いったいどこから?」陽介は興奮気味にいった。
「メーコ様の魔法ですね。ほら、メーコ様の足元にバケツがある。たまたまあったバケツの水を固めて、即興の剣を作ったのでしょう」
武器があれば少しでも、役にたてるかもしれない。陽介は芽衣子に向かって叫んだ。
「俺たちにも剣を作ってくれ!」
「あいよ!」芽衣子は職人のような口調で答え、バケツに両手を突っ込む。その手をあげると、二本の剣があった。「いっちょあがり!」
「えーと。私の分は必要ないのですけど」ジンがぼやいたが、陽介は無視して、「よし! よこせ!」と声をあげる。
芽衣子は頷き、二本の剣をこちらに向かって一直線に投げつける。陽介は目を見開き、横に跳びのく。ジンは地面に這いつくばって回避していた。
水の剣は甲高い音を立てて、後ろのコンクリートの壁に突き刺さり、やがて水に戻った。
「もう! せっかく作ったのに、なにやってんのよ!」
「殺すきか!」陽介の声は悲鳴に近かった。
「ふう、魔獣なんかより、よっぽど死ぬかと思った」ジンがふらふらと立ちあがる。
そうだ、魔獣だ!
陽介はシグゥアの方を見た。月光を浴びて凛と立つ少女の傍らには、魔獣の姿はなく、その身体の一部であろうものが沢山転がっている。




