15.鬼の哭く夜(2)
喫煙所には同期の内澤がいた。
「よう、佐藤。風邪はもういいのか?」
「ああ、すまん。迷惑かけたな。俺の作業は、内澤がやったんだろ」
「お前さー、メモレベルでいいから手順書残しとけよ。はじめは動かんかったから焦ったぞ。原因の設定ファイルを探し当てるのに時間がかかった」
同期の内澤とは入社してからの呑み仲間だ。課が違うから今までは同じプロジェクトではなかったが、今回は助っ人として借りだされ、半年ほど共に茨の道を行進した。
「すまん。休むつもりなんてまったくなかったから、手順書は後回しになっちまった」
「あの状況じゃ、いつ体調を崩しても不思議ではないが、『姫』はご立腹だったぞ。あの変態、あの変態ってぶつくさいってた。なにしたんだよ、変態って」
陽介は咽せてから、「さあな」と惚けた。
「それはともかく今夜、キャバクラ行かねーか」内澤はニヤリとした。「とりあえず納品は終わったんだ。今のうちに行っとかないと、そのうちバグが大量発生で、終電生活に逆戻りだ」
「よし、行くか」陽介は頷き、タバコを消して喫煙所から出た。
自席に戻るとメールが来ていた。鬼塚からだ。
『始業から一時間は喫煙禁止です。ルールを遵守するように』とのことだ。陽介はそのメールに、『鬼塚主任がご立腹だ! 遵守するように!』と、付け加えて、内澤に転送した。
このような軽口を鬼塚の前ではできないからのメールでもあるのだが、そもそも内澤は別の課なので、席が遠いのだ。
内澤から返事がきたのは昼前だ。
『佐藤から謝っといて。あと、今日の昼めし奢れ。土曜の迷惑料だ』
『駅前のすし屋の、上握りでどうだ』と、陽介はキーボードを打ち込む。上握りは二五〇〇円、サラリーマンのランチとしては高額だが、内澤には感謝と謝罪の気持ちを示しておきたい。
送信ボタンをクリックした直後に、陽介の肩をつかんだ鬼塚がディスプレイに顔をよせた。そこには、内澤への返信メールが映っている。
「鬼塚主任がご立腹ですか」鬼塚はいって、横目でギラリと陽介を睨んだ。
しまった! 血の気が引いていくのを自覚しながら、言い訳を絞りだそうとしたが、「いや、その、これは……」と、気のきいた言葉がでてこない。
「私もずいぶんと迷惑をこうむったのだから、ランチをご馳走いただいてもいいかしら?」鬼塚が低い声でいった。
それで済むなら安いものだと、陽介は慌てて頷く。
「じゃあ、よろしく」鬼塚は自席に戻った。
安堵の息を長く吐いた陽介は、数分は脱力していたが、脳が痺れるほどの閃きがあり、機敏に立ちあがる。そして無人の会議室に入り、くだんの寿司屋に電話をかけた。
「もしもし、佐藤というものですが、これからそちらに向かいます。男二人と女一人の三人です。そこでお願いがあるのですが、女のほうの寿司はバツゲーム並みのワサビの量にして下さい! お願いします! ワサビ寿司は倍の値段でもいい!」陽介は必至で懇願したが、相手にされなかった。
定時終了のベルが響いて三分後に、帰り支度を終えた内澤が来て、「行くぞ」といった。準備万端の陽介は頷き、立ち上がる。会議で鬼塚がいないことに、ほっとしながら会社を出た。早歩きで駅に行き、二駅先で降りた。数分歩けばスナックやキャバクラが連なる区画がある。
行きつけの店に入るも、一時間ほどで内澤がぼやいた。
「すまん。最近、大学のサークルで結婚ラッシュがあって、実は金欠なんだ」
「そうだな。今日は月曜だ。深酔いもまずい」陽介も同調した。
延長はせずにキャバクラを出たが、あともう一杯だけと、駅前の居酒屋チェーン店に入った。
結局は終電に駆け込むはめとなった。一人暮らしの内澤はあと一駅だが、実家の陽介は長々と乗り継いで、最寄り駅についたのは、深夜零時を過ぎていた。
この時間になるとバスはもうない。三〇分近く歩くか、タクシーに乗るかだ。最近は、自腹でタクシーに乗ることも多かったが、週末を寝て過ごしたおかげで今は充分に体力がある。酔い覚ましがわりに、歩いて帰ることにした。
ふらふらと歩きながら陽介はスマホを取りだし、メール受信のお知らせがあることに気づいた。DMかと思いきや、ジンからだ。内容を確認する。
『刺客の一人の正体が判明しました。名はホウル・テイアス。イコウル最強の魔獣使いです』
「おっと、そうだ。俺は命を狙われていたんだな……。けど、魔獣ってなんだ? 魔人とは別物か? ていうか、もうジンはメールが使えるのか?」
陽介は頭を掻き、酔いがまわった足どりでいつもの道を進む。駅前の賑わいを過ぎ、すぐに閑静な住宅に入った。
さらに歩くと橋があり、それを越えると工場や倉庫が多い区画となる。今の時間は通行人どころか車さえ通らない。もし、助けてと叫んでも、誰にも届かず虚しく響くだろう。
まさかここで襲われるなんてことはないよな。酔っぱらって陽気な陽介はガハハと笑いながら、後ろをふり向いてみた。
三メートルはあろうかという巨人がいる。
青みの帯びたどす黒い肌に、頭には二本の大きく鋭い角、吊り上がった獰猛な目が赤く光る。顔を分断するような大きな口からは、肉食獣を思わせる牙がびっしり並んでいた。
「ありすっ!」
奇抜な悲鳴と同時に、陽介は全速力で逃げだした。




