10.アルキアスの客人たち(3)
目が覚めたのは自室のベッドだった。陽介は飛び起きたが、時計を確認するまでもなく、窓から月が見えたので全てを諦めた。
混乱を極めた、そう表現していいプロジェクトだった。それでも全員が力をふり絞って、集大成というべきリリース作業までなんとかこぎつけたというのに、最後の最後で無断欠勤だ。
陽介はうなだれながら、部屋を出た。下の階はずいぶんとにぎやかそうだった。
階段を下りると、カレーの匂いに腹が鳴った。たしかに朝からなにも食べていない。
「英雄かなんかしらないけど、それぐらいちゃっちゃっと、やりなさい!」母のいらだった声が響く。
「うるさい! わかってるわよ!」すぐさま返した芽衣子の声も尖っている。
陽介はダイニングキッチンに入った。カレーをよそる母の隣で、芽衣子はボールに入ったポテトサラダをかき混ぜている。シグゥアとミオリは、すでにダイニングテーブルに座っていた。
「おっす、ヨースケ。ずいぶんと寝てたね」
「誰のせいだ! 月曜会社行ったら、俺は主任から大説教だ、どうしてくれるんだ!」
「私も一緒に会社にいって、その主任を火ダルマにしてあげようか?」
「バカいうな」陽介はため息を落とした。もっと怒るつもりだったが、どうでもよくなってきた。
「それよりも、今日はカレーだよ」芽衣子はポテトサラダをつまみ食いしてからいった。「ご飯の後で、これからのことをちゃんと説明するね」
「そうしてくれ。彼女たちは観光に来たわけじゃないんだろ」
陽介はリビングに入ってテレビをつける。日曜の顔といっていい長寿番組がやっていて、タバコへと伸ばした手が止まる。
「今日は何曜日だ!」
「日曜だよ。だからヨースケは一日半、眠ってたことになるわ。ラングしたとはいえ、そうとう疲労していたのよ。そんなんじゃ、お父さんみたいにポックリいっちゃうよ」
父のことを軽く話題にした芽衣子に、陽介はハッと目を開き、つぶやいた。
「芽衣子にとっては、一七年前のことになるのか」
父は過労死だった。
いつものように深夜まで働く日々が続き、ある朝突然動かなくなった。三年前のことだ。
芽衣子は病院でも、父の棺の前でも、泣き崩れていたが、陽介は泣かなかった。自分の分まで芽衣子が泣いてくれていたというのもあるが、泣いている暇などないと、自身を戒めた。
これからは、俺が芽衣子を支えるのだ。金銭的にも、精神的にも、兄でありつつ父でなければいけない。
それでも、一度だけ泣いた。
『陽介 芽衣子を、頼む』と、自作の父の遺書を書いたときだ。
そんな自分を置き去りにして、芽衣子は兄の手を借りることも煩わせることもなく異世界で成長し、その世界を救って帰ってきた。友達と揉めたと相談されることもなく、大学に行く金を負担させることもなく、家に連れてきた彼氏をいびることもなく、芽衣子はどこかで育ってしまった。
「できたよ、早く早く!」と芽衣子が急かした。
陽介は頬を軽く叩いてから立ちあがり、「うまそうだな」といいながらテーブルについた。
父の生前より人数の多い食卓だな……。そんな思いをいだきながら、陽介はカレーを口に運ぶ。母と芽衣子は、「いただきます」と手を合わせてから食べはじめた。
シグゥアとミオリは、それぞれ違う動作をしてから、カレーを口にした。シグゥアは額に指を当てボソボソとなにかいい、ミオリは両手を交差させながら肩にやって数秒眼を閉じていた。それは、軍人と巫女の違いか、シュードラとバラモンの違いか。
陽介としては前者であってほしかった。
さほど会話がないまま食事は進んだが、母がジャガイモより大きなニンジンをスプーンにのせ、ため息をついた。
「こんなニンジン……嫁に行けるのかしら?」
「お母さんはあとになってごちゃごちゃうるさいのよ。切ってるときにいってよね!」
どうやらニンジンを切ったのは芽衣子のようだ。二七で年上になってしまった妹だけれども、母にとってはまだまだ、イタラナイ娘なのだろう。
「切ってるときにもいったわよ。あんたが聞いていないだけでしょ」
「しょーがないじゃない! 集中してたんだから」
芽衣子も負けじと反撃する。その後も二人は感情的にいいあった。
父がいなくなってから、母は芽衣子を台所に立たせるようになった。半ば強制的にだ。母は遠慮なく厳しくし、芽衣子は不満をまき散らしながらも、努力していた。
「これだけ人がそろうと賑やかね」ふと、母がつぶやいた。
「そうね」と芽衣子も賛同する。
「賑やかにしているのは母さんと芽衣子だけじゃないか」
陽介としては実に的を射た言葉をだしたつもりだが、二人から返ってきたのは睨みつけるような視線だった。
それは無視してカレーを平らげ、「おかわり」とカレー皿を掲げた。
「自分でやれ」と母と芽衣子は声を重ねる。
それとほぼ同時に、インターホンが鳴った。シグゥアが機敏に立ちあがる。
「シグゥアはゆっくり食べていいわよ。ヨースケ、見てきて」
芽衣子は命令口調でいった。それに反論する前に、シグゥアが口を開く。
「そういうわけにはいきません。私はあの男をまだ信用したわけではありません。お兄様を捕まえ、人質にする可能性もありますので、私が行きます」
「なんだ、その物騒な話は!? 誰が来たのかわかっているのか?」
「ハイングランド共和国の議長、ジン・ハイングランド・エクアード・ナロック。かつては私たちの敵だった男ですわ」と、答えたのはミオリだ。
終始にこやかだったミオリから、すっと笑みが消える。




