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先のクルクルした植物の生い茂る地面。
カエルが鳴いている以外には気配を感じないひっそりとした通り――あの衝撃的な出会いを果たした教会裏の薄汚い路地にヒスイはまた来ていた。
今日の仕事も何も変わりはなくいつも通りに過ぎ去っていたことにヒスイは安堵の息を漏らす。
短時間とはいえ、聖女を無断外出させたのだ。
実は大騒ぎになっていたらどうしよう、自分が関わっていることがバレて呼び出されたらどうしよう――昨日はどうにでもなれの勢いで目先のことしか考えられていなかったが、時間が経てば頭が冷え、そんなよくない想像ばかりが頭を駆け巡った。
そんなヒスイの心配は杞憂に終わり、こうしてまたここに来れている。
もちろん全く来たくはなかったが。
「ちゃんと来たわね」
鈴が鳴るような軽やかで美しい声が上から降ってくる。
顔を上げるとすぐに飛び込んできた煌びやかな瞳に、ヒスイは下から睨め付けるように恨みがましい視線をぶつけてしまったがすぐに立ち上がった。
「ご機嫌よう聖女様」
ヒスイは神官らしく、顔の前で両手の指をクロスさせ目を閉じて祈る。
このポーズは全ての国民が聖女を見かけた際に行う神聖なものだ。
聖女を見かけたら道を開けて立ち止まり、過ぎ去るまで決して動いてはならない。
元々聖女とはこうやって敬わなければならない相手なのだ。
冷静になった今、考えるより先に反射でヒスイの体が動いたのだが、今朝の礼拝と同じく、今更どんな面で拝めばいいのかさっぱり分からない。
形だけ取り繕って目はうっすら開けたまま無表情を貫いていた。無である。
突如視界に映っていた靴先の黒が、ホワイトプラチナに染る。
聖女がかがみ込んで下からヒスイの顔を覗き込んできたからだ。
バッチリと目が合う――。
「あっ、やっぱり目開いてるんじゃない。ちっとも祈ってないでしょ!」
「……サーセン」
「ヒスイってやっぱり不良だわ!不良神官!」と言いながら聖女は嬉しそうに反動をつけて立ち上がる。
「昨日から思っていたけどヒスイの順応力には舌を巻いたわ! 絡まって噛みそうなくらい!」だとか、「普通、聖女様にタメ口きける? 私なら絶対無理無理! あっ聖女は私でした」だとかアホらしいことをいいながらヒスイをこき下ろす。
「へいへい、悪かったねぇ信仰心薄くて」
ヒスイが不貞腐れるように言うと、聖女は陽だまりのような笑顔でこちらを向く。
「でも、それがいい! なんてったって私たち盟友だものね!」
「ああ、うんソウデス」
聖女は「これもなんでもするに含まれるからね!」と言って固まっているヒスイの手を取ると、昨日の蔦壁の穴を目指して足を進めた。
ヒスイはまたもや外出の手伝いをする羽目になっていることに気づき、正気を取り戻す。
そもそも今日は断りにきたのだ。
「おい、ちょっと待てよ」
聖女は歩きながら振り向き、長いまつ毛を瞬かせて小首をかしげる。
「もうやりたいことはクリアしたんじゃねーのかよ? 夜遊びは昨日したじゃねーか」
「ふふん〜今日は違うことをするのよ! 私、やりたいことが沢山あるって言ったでしょう?」
鼻歌を歌いそうなほどご機嫌な声を響かせる聖女に、ヒスイは呆れながらも慌てて認識阻害魔法と気配遮断魔法をかけた。
「そうね……ん〜今日はヒスイがいつも遊んでるところに行ってみたい!」
ヒスイは「あのな? 無理だから」と冷たい視線で拒絶したが、聖女はヒスイの様子などお構い無しで一歩二歩と詰め寄ってくる。半月型に歪んだ煌びやかな瞳がヒスイの視線を掴む。
「聖女がいろんなことをしてみたいのは分かった。盟友になるのもギリギリオッケー。でも脱走なんてやばい事に俺を巻き込むな」
「え〜断れる立場なの〜?」
甘ったるい声音をバカにしたように伸ばして更に聖女は続ける。
「言っちゃおっかな〜ヒスイはどこの神官なんだっけ? 中央教会本部? 本部長なら呼んだら来るからいつでも言えちゃうなぁ〜」
「グッ……言えばいいじゃねーか。大体、証拠がない」
昨日のうち、つまり現行犯であったなら、タバコを所持していたし匂いもついていた。
聖女に告げ口されたらひとたまりもなかっただろう。
だがしかし、今日のヒスイはタバコを持っていない。
勿体無かったが部屋に隠してあるのも全て処分した。
聖女が告げ口をしたところで証拠は一切残っていないのだ。
試験に受からず万年三級神官のヒスイだが、勤務態度はそこそこ真面目だったはずだ。
雑用を押し付けられても何も言わずこなしたし、見た目だって芋くさく、どう見ても真面目。
聖女がタバコを吸っているところを見たと言っても信じる人はいないだろう。
「そもそもお前、俺がタバコ吸っているところをいつどのタイミングで見たっていうつもりなんだ? 聖騎士をおいてお忍びで出掛けていた時って言えんの?」
ヒスイは少し顎を突き出し薄く笑う。
「うっ……なかなかやるわね」
「俺が、『聖女様が夜出掛けているのを目撃した、警備はどうなっているんだ!』って言えばお前は困るはずだ。そうだろ?」
これはもう完全勝利だなと愉快さで心を満たしていると、聖女が俯きがちだった顔を勢いよく上げた。
「ヒスイは、私がお忍びで出掛けていることを知られたくないから言えないと思っているんでしょうけど、そんなの関係ないわよ」
ニンマリ。
音になって聞こえてきそうなほどの笑みを携え、聖女は言い放つ。
「私がカラスは白いと言えば黒いカラスも白くなるの。つまり、私があの神官が嫌と言えばそれだけでヒスイは神官でいられなくなるってわけ」
なんてことを言うんだ。権力を笠に着た物言いに、これはもう本格的に信仰なんてできたもんじゃねぇなと、ヒスイは呆れて物も言えなくなる。
とはいえ、聖女が言うことはもっともで、聖女様が言えばなんでもその通りになってしまうだろう。
証拠がないから大丈夫というわけではないと悟ったヒスイはガクリと脱力し項垂れる。
完全敗北である。
「お前本当に聖女かよ……」
「そうですよ〜」
「じゃあ、何? 俺はこれから聖女様の言いなりなわけ?」
言ってからヒスイはなんか変だなと思った。
そもそも神官は聖女様に仕える存在で、はじめから聖女様の言いなりであるべきなのだから。
「言いなりってなによ。まるで私が悪人のようだわ。失礼しちゃうわね」と首を左右に振ってみせると、聖女はヒスイの方をしっかり見て言う。
「私達は盟友よ! さっきヒスイも認めたじゃない!」
キラキラとした笑顔がヒスイに降りかかる。反対する気を削がれるような、陽だまりのような笑顔に、いつの間にかヒスイは丸め込まれてしまった。
こうしてヒスイは運命を引き戻すタイミングを完全に見失った――。




