25
次の瞬間ヒスイは走り出した。
今まではとにかく離れるために走っていたが、今度は明確な目的を持って走り出す。
そんなヒスイたちへ黒い棘の雨が絶妙に避けられるギリギリの場所へ降り注ぐ。すぐに殺さず楽しもうとするかのような攻撃の仕方にヒスイは舌打ちを漏らした。
「おい、俺に回復魔法をかけ続けろ」
「へ?」
「へ、じゃなくて今! どんだけお前を抱っこして走ってると思ってるんだ! 疲労困憊だっつーの」
聖女は両手を組むと目を閉じる。
暖かな光が流れ込むのを感じ、確かに疲労が全回復する。大勢の人間の命だと思うと気が引けるが生きるか死ぬかの瀬戸際で気にしていられるほど、ヒスイは善人でもない。
「これ!! 逃げ切れるの!?」
「ははは! 逃げるんじゃなくて戦うんだよ!」
「はあ!? ヒスイあれに勝てるの!?」
「奴は強力な闇魔法を転送してきているが一定時間空いている! 休む間もなく攻撃を打ち込めば元から体の主が持っている力で対処するしかないはずだ。ユーベルの時はそうだった」
「え、じゃあヒスイ剣を……? トラウマで持てないって……」
「うん、無理。武術は剣だけじゃねーだろ」
「え? 弓? 槍?」
「ははは、それも無理。どんだけ研鑽を積まなきゃなんねーと思ってるんだよ」
「じゃあ無理なんじゃない!?」
「誰でもすぐに扱える魔法みたいな武器があるだろ!」
その言葉と同時にヒスイは目当ての家屋の戸を開ける。
迷うことなく一直線で進むと、索敵に引っかかった例のものを酒の匂いがする古びた倉庫から引っ張り出した。
黒々としたL字型のそれは手のひらより少し大きいくらいだというのに結構重い。
ラベルには銃と書かれてあり、見ればすぐにこのちょうど指にかかる引き金を引けばいいことは予想がついた。
分かる訳のない難題を出されていたことを悟った聖女がジト目で「え、何それ。見たことないんですけど」とヒスイを見上げる。
「銃って言うらしい。お前のパレードで使われた火器の亜種だろうな。魔力を感じない」
時間がない。ヒスイは戸が開いた時に死角になる壁へ背を這わせる。
人間が入りそうなほどデカい樽に強力な気配遮断魔法を仕掛けると、聖女は自分の背に隠して自分ごと軽度の気配遮断魔法をかけた。
奴が追いついてきたら躊躇せずカレンを撃たなけれねばならない。
ユーベルの時のように、奴がカレンの操作権を手放そうと思う程に致命的な傷を――要するに殺さなければならない。ユーベルの死に顔がフラッシュバックする。
いつの間にか震えていたらしいヒスイの手を聖女は銃ごと包み込むように持ち上げた。
「カレンさんは死なない。今は私がいるでしょ」
聖女の力強い声がヒスイの顔を上げさせる。
切羽詰まった状況だというのに見惚れてしまうほど聖女は美しい。
今日の聖女は凛と輝く魂に呼応するかのように一段と輝いて見えた。
「ヒスイ、私を信じて。死んでも治すから」
ヒスイの握っている銃を聖女がドアの方へ向ける。
入れっぱなしの索敵魔法が、奴が戸の前にいることを示していた。
ヒスイは覚悟を決める。
「本当に死んでも治せるって意味?」
「ええ、もちろん。聖女様ですもの」
「心強いや」
ヒスイは心臓を落ち着かせるよう小さく息を吐く。
――出来る。聖女となら。
戸が軋んだ音を立てて開いていく――。
バン!!
面食らったのは全員だった。
ヒスイと聖女はあまりにも大きい音と反動に、奴は魔力の流れを一切感知出来なかった攻撃に――。
『……何をした』
例の樽の方を見ていたカレンがギギギと音が鳴りそうな仕草で振り返る。
「会話する気なんてねーよ!!!」
ヒスイがさらに弾丸を打ち込むと、空耳かもしれないがぷつりと糸の切れる音がした。カレンの体が地面へと吸い込まれる。
同時に異界が壊れ始めてジュスタンの街に喧騒が戻ったのを感じたヒスイは迷うことなくカレンを抱き止めた。まだ息はある。
「聖女!!」
「任せて!!」
聖女は真剣な表情で両手を組むと詠唱を始める。
「天の恵みを、神の愛を――星の理を翻せ。エクストラヒール」
祈りを捧げている聖女を中心に光の輪が波紋のように広がってカレンを包み込む。
あっという間に途絶えかけだったカレンの命が繋ぎ止められ、呼吸は規則正しく落ち着いた。なんの外傷も残っていない。
ヒスイは安堵の息を吐いて聖女へ「ありがとう」と伝える。
「こちらこそ守ってくれてありがとう!」
聖女はヒスイに駆け寄るとしゃがみ込んでカレンの顔を覗き込む。
「それにしても銃が合って助かったね!」
「ああ、本当にな……ただあった場所が少しばかり問題ではあるが――」
ヒスイはバーカウンターの方を振り返る。
「これは驚いた。小生の店に異界から入ってきた客は君が初めてだよ」
「カネル……」
「しかも死にかけの重症者を連れてきて聖女の奇跡で回復するなんて――ヒスイ、今度は君、探偵である小生にとびきりの事件をプレゼントしにきたのかい?」
カネルはそう言って妖艶に微笑むと、手元にあったグラスを持ち上げた。
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