2
「ほらここだ」
ヒスイはいつも自分が抜け出す時に使っている裏道へ聖女を連れてきた。
気配遮断をかけているので正門から行ってもバレないだろうが念には念を入れてだ。
蔦植物の屏の一部、人一人が通り抜けられるように丸く穴が空いているところを潜るようにヒスイが促す。
「何ここ、こんなところ通るの?」
地面スレスレの穴を通るには地面につきそうになりながら潜るほかなく、今朝降っていた雨の影響か、ぬかるんでいて汚れそうだった。
植物の周りには虫も飛んでいる。
「ここしかねーんだよ。こっちは回避出来るリスクは回避しとく主義なの。正門から出て余計なリスク背負いたくないの。え? お前正門から出る気だったの?」
「仕方ないじゃない、こっそり出かけたことなんてないんだもの」
まごついている聖女にため息をつきながらヒスイは煽るようにして言う。
「これも冒険の嗜みだろ。でもそっか、綺麗なところにしかいたことがない聖女様だもんなあ。虫や土はダメなのか、いや〜気が効かなくてすみませんねぇ〜」
「で、出来るわよ! これくらい!」
聖女は意を決したように腰を屈めて蔦植物の穴へ頭を通す。
この短時間でヒスイは聖女の扱いをマスターしていた。
よく言えば、芯が強く凛としていて負けず嫌いな女性、悪く言えば、我が強く自分の意見を通したいわがまま娘――それがヒスイの聖女様への心象だった。
俺が今まで見ていた聖女様は幻だったのか……?
ヒスイは、公務の中で見た聖女様を思い浮かべる。
聖母のような微笑みを携え、大衆に暖かな光を注ぐ聖女様は、人間離れした神秘的な存在でそれはそれは美しかった。
だが今はどうだ。
ヒスイは白けた目で、蔦の穴を潜る聖女ひょっこりととび出た間抜けな臀を見つめる。
「……何モタモタしてんだ。早く通れ」
「今やってるじゃない! 泥がつかないように必死なの!」
なんとか通り抜けた聖女が「通ったわよ! 出来たでしょ!」と、何がそんなに自慢げなのかわからないが、壁の向こうで自信満々に言い張る
「はいはい凄い凄い」とヒスイも続けて穴を潜った。
軽やかな足取りで街に繰り出そうとする聖女の首ねっこを掴み静止させる。
「待て」
「もう! 何よ!」
ヒスイは、この女は本当にわかっていないのか? と訝しげな視線をぶつけるのを隠そうともせずに言う。
「このまま出ていって大丈夫なのか? そもそもお前どうやって出てきた? 行方不明で大騒ぎになったら目も当てられねーよ……」
聖女が頭空っぽのアホだと言うことはわかっている。
何も考えず出てきた聖女がヘマをやらかしていて、今この時点で聖女の捜索が始まっている可能性だってあるのだ。
「それは大丈夫よ! 聖女の部屋に私しか知らない秘密の抜け道があるの。朝まで聖女の部屋に入るような無礼者はいないし、今頃部屋の前でしっかり警備しているんじゃないかな」
能天気に言ってのける聖女をにわかに信じられず、白けた目を向けるのを止められない。
「はあ……ちょっと待ってろ」
ヒスイは聖女塔を見つめ意識を飛ばす。
薄く魔力を広げるようにして索敵魔法を行使すると、確かに聖女の部屋らしき最上階の部屋に聖騎士が二人立っているのが分かった。
聖女塔の聖騎士も特に慌ただしく走るような様子はなく、通常の緩やかな時間が流れているのがありありと感じられた。
意識をふっと引き戻す。本当に大丈夫なようだ。
「大丈夫だってば! さあ行くわよ!」
「はーはいはい」
ヒスイほど夜遊びに長けているものはいない。
少なくとも神官の中では――いや貴族の中でもトップなのではなかろうか。
なにしろヒスイは学院を中退した十七歳の時から二十歳で神官になるまでの三年間、この国一の歓楽街、ジュスタンに家に帰らず入り浸り、神官になった今もなお遊び呆けているのだから。
ジュスタンは飲み屋や風俗店、カジノやナイトクラブがひしめく夜の街だ。
宗教国家である聖神教国と言えども、全てが清廉潔白というわけではなく、人間の欲望がひしめく街がしっかり存在した。
夜遊びがしたいという聖女のリクエストに答えてこの街を訪れたヒスイだったが、早くも後悔していた。知り合いが多すぎるからだ。
「ヒスイー!! ウェーイ! 一昨日ぶり?」
「あ、ヒスイさん! ちっす!」
「ヒスイく〜んこっちで飲もうよ〜」
「ああ、うん……今日は連れがいるからちょっと」
行くとこ行くとこで声をかけられては行手を阻まれ進めやしない。
「ヒスイってこの街の知り合いが多いのね。神官なのに」
ヒスイに声をかけてきたのは、明らかにこの爛れた街に染まりきった人達だ。
聖女に普段からこの街に入り浸っていることがバレ、ヒスイは内心落ち着かない。
……なんか更に弱み握られてねぇーか?
ヒスイが小さなため息をついていると、聖女が嬉しそうに駆けていく。
「おい、離れるなよ」
「だって楽しいんだもの!」
ただ街を歩いているだけだ。何が楽しいのか分からない。
ヒスイが「何が楽しいんだよ」と聞くと、聖女は待ってましたと言わんんばかりに両手を広げて立ち止まる。
「だってヒスイに声はかかるけど、私には一切掛からないんだもん! こんなの初めて! 自由な外出が実現するなんて!」
聖女がそこそこの声量で言うので人々が注目する。
だがそれもほんの一瞬ですぐに視線は散った。
フードを被っていて聖女を分からないとはいえ、明らかに不自然に興味を失っていく人々を聖女はキョロキョロを見渡す。
「ほら、ヒスイ何したの?」
「あー別に。認識阻害魔法をかけただけ」
ヒスイが頭を掻きながら言う。
これがなければフードの外套を羽織っているとは言え、目を見たら一発で聖女だとバレるだろう。
この国の民で、聖女を知らぬものはいない。
田舎の方であれば聖女の顔を知らないものもいるだろうが、七色に輝く宝石の瞳を見て聖女と結びつけられないような人は、信仰深い聖神教国でいるはずもなかった。
どんな小さな子供でさえ、聖女の話は知ってる。
毎朝、神と聖女へお祈りを捧げ一日の始まりを感謝するのがこの国のしきたりだ。
国が苦しい時に、神様が自身の分身として聖女様を天から下ろしてくれる。
聖女は天から舞い降りし、神の信託を民へ授けてくれる神の巫女。
聖女が一度力を振るえば、傷はたちまちに癒、土地は生命が溢れ出す――。
そんな奇跡の存在が聖女様なのだ。
もし市井に降りてきていることがバレたら、囲まれて大騒ぎになる。
完全気配遮断にしておいても良かったが、それでは聖女が遊べないだろうと、ヒスイは顔面のみの認識阻害魔法に切り替えたのだ。
瞳は特に厳重なのでバレる心配はない。
「へぇ〜便利ね〜、ヒスイがいなかったら何も出来なかったかも」
聖女はヒスイに近寄ると、白い歯を輝かせて目を細める。
「ありがとう! ヒスイ」
「……俺のためでもあるからな」
こうも純粋に礼を言われては照れ臭い。
ヒスイは聖女をおいて再び歩き出す。聖女も隣に並んで歩き出した。
「それで夜遊びって具体的に何すんの?」
「え? 今ジュスタンを歩いてるじゃない」
「あんたにとって夜にジュスタンを散歩するのが夜遊びなわけ?」
「……違うの?」
「……違わない」
ヒスイはシラっと目をそらす。
「あっ! 違うんでしょう! 何かもっと面白い夜遊びがあるんでしょう!」
「ねえよ別に。ただ単に飯食って騒ぐだけ――」
「それいいわね! それにしましょう!」
聖女が立ち止まってくるりとターンを決めて振り返る。
「ご飯食べに行きましょう!」




