16
しばしの間沈黙が続く。
微動だにせず見つめ合っていた二人だったが、聖女が視線を外したことでその緊張が解けた。
「なーんてね! ごめんヒスイ! 冗談よ!」聖女は髪を後ろに流しながら立ち上がるとカラッと言ってのける。
祭壇に向かってふざけたように歩く聖女をヒスイはじっとりと質量のある視線で追った。
「聖女にならされたんだけど、まあそれも私が天才だったからだし? 神様にお願いされてやることになったとかそんな感じだから全然心配いらな――」
「あのさあ」
ヒスイの一声で聖女はぴたりと動きを止めた。から元気なのはバレバレでとても見ていられない。
「ああ〜もう!!」
突然大声をあげて頭を掻きむしったヒスイはすくりと立ちあがり聖女の側に行く。
おでこに指を近づけ勢いよく弾いた。
「あいたっ! ……え? 何?」
「あのな、お前」
ヒスイは覚悟を決めて言う。
「かまってちゃんか! いつもちょくちょく意味深なこと言ってたけどよ、今日のこれ聞いて『ああ、冗談ね』で済むわけねーだろ! 今の雰囲気で冗談か〜ってなる方がどうかしてるわ!!」
勢いよく話し出したヒスイに圧倒されている聖女を放って、ヒスイはさらに捲し立てる。
「あ〜なんかあれだな〜俺だけお前に秘密握られてるの今更腹立ってきたな。いいから早くお前も秘密言えや!」
どう見ても様子がおかしいヒスイを見て、聖女はおでこに手を置いたままパチパチとその大きな目を数回瞬きさせた。
「ヒスイの秘密ってまさかタバコのこと言ってるの?」
「おう」
「嘘でしょう。全然釣り合ってないじゃないの」
「いいんだよ、交換ってのは当人同士が釣り合ってるって判断したら釣り合うもんなの」
「聞いたら戻れないよ? 重たい秘密を抱えていかなきゃなんないんだよ? 冗談でスルーしたらよかったのに……」
「あいにく天邪鬼なやつがポロポロ秘密匂わせてくるんでね。聞いて欲しいんだろ?」
「そうかも知れない……でも! でも……きっとヒスイの人生を変えてしまう」
「もう変わってるんだわ」
ヒスイは聖女の目をしっかりと見据える。
手に負えない願いが降りかかってくることは分かっている。
やばい機密情報を知ることになるのも分かっている。
元から普通のレールから外れていた人生だったが、今、更に次元が違うレールへと切り替えようとしている。
知ったら後悔するかも知れない。だが、知らずに生きていけるとも思えない。
あの日教会裏で出会ったあの時からこうなる運命だったのだ。
ヒスイはそう納得し覚悟を決めてずっと心のどこかで気になっていた疑問を口にする。
「それで、お前が本当にしたいことってなんなんだ?」
「……聞いてくれるの?」
聖女の瞳に涙が浮かぶ。
「ああ」
「本当にいいの?」
「当たり前だろ。俺たち盟友なんだから」
「ありがとう……」
ゆっくりと瞬きした聖女が涙をこぼした。
再び開いた目には力強い光が宿っており、まっすぐとヒスイに突き刺さる。
「私、聖女を辞めたい」
「うん」
「記憶を取り戻したい。家族の仇を取りたい。名前を呼んでほしい。自由になりたいっ――」
次々と飛び出してきた聖女のやりたいこと。
それは聖女の秘密がどれだけ闇深いのかを感じさせる内容ばかり――一体、聖女とはなんなのか。何が聖女を苦しめているのか。
まだ何も分かっていないが、ヒスイの決意は揺るいでいなかった。
ヒスイは神妙な顔つきで大きく頷いて見せる。
「分かった。全部ちゃんと叶えるから――だから全部話せ」
躊躇うように目を伏せた聖女だったが、再びヒスイと目を合わせるとしっかりとした口調で話し出した。
「……私、回復魔法なんて使えない。町中の人を癒す奇跡の力の事じゃない。そもそもヒスイが使ってるような初歩的な回復魔法すら使えない。聖女はただの生命力の媒体。動物、罪人など数万の命を集めて奇跡へと昇華させるただの中継点。私の体は生命力の入れ物なの」
ヒスイは黙ったまま続きを促す。
「教会の幹部である枢機卿たちが私を囲んで魔法を唱え、他から命を奪って私へと貯めさせるの。流行病に伏せっている大勢の民を一瞬で癒したあの奇跡も、高位貴族の娘の不治の病を治したあの奇跡も、四肢欠損レベルの大勢の兵士を癒したあの奇跡も――」
聖女はそこで言葉を区切ると、喉にグッと力を入れたような低い声で「全部私の力じゃない」と言って俯いた。
「そんな……ことが……」
聞いてやるから言えと言って言わせたくせにこれ以上言葉は続かなかった。
この国に生まれた人は子供の頃から聖女物語を読み聞かせられるのだ。
聖女様は天から舞い降りし神の遣い。どんな病や怪我もたちまちに奇跡の魔法で癒してくれる存在――。
その根底が今覆ろうとしている。
熱心な信徒が聞いたなら、価値観の崩壊で自分を保てなくなるだろう。
俯いたままの聖女に何か言わなければと、ヒスイは自分の口じゃないかのように固まった口をなんとか開いた。
「奇跡がないことはわかった。でも集めた生命力を必要な人へ届ける架け橋となれるのは聖女であるお前じゃないと……」
「私もそう思ってたわ。民のために聖女として役割を果たさなければ――って」
聖女が顔を上げる。
「ヒスイは聖女がどうやって誕生するか知ってる?」
何故そんな子供でも知っているようなことを聞くのか。
ヒスイは頭をヘラでかき混ぜられているかのような困惑の中答えた。
いくら不良神官といってもこの手のことは一般人の何倍も詳しい。
「聖女は、地上に救いが必要な時に神が遣わす奇跡の神子……天から舞い降りし七色に輝く瞳を持つ女の子を教会が保護して大切に育てる……」
「そう、私天から降りてきたの」
そう言ってこちらを見る聖女がそれを否定するように嘲笑う。
「違う。私は攫われた。あれは確か六つになった頃……炎が燃え盛る古民家の記憶がある」
冷たい汗がヒスイの背中に伝う。
「……つ、つまり?」
「私は聖女にならされたって言ったでしょ。親を殺されて攫われたのよ」
なんと言うことだ。じゃあ本当に聖女は自分と同じ人間じゃないか――。
ヒスイが驚きで固まっていると、聖女は「驚くのも無理ないよね。私も最初に思い出した時はこれが自分の記憶だって信じられなかった。私だって、教会から聖女について聞かされて育ったんだもの」と笑う。
「思い出したって……お前は忘れていたのか?」
「ううん。忘れていたんじゃなくて多分記憶をいじられてるんじゃないかな? どういうわけか少し記憶が戻ってきているけど、全体的に曖昧でこれ以上は全然思い出せない。――多分私の記憶は教皇様が握っている」
「……教皇様が記憶の鍵になるってこと?」
「違う。文字通り本当に記憶を握ってるの。抜き取って保管してるはずよ」
そんな魔法があるわけないとヒスイは驚きで白目を向きそうになる。
人の記憶や感情を操作する魔法はもちろん禁忌魔法、やり方さえも誰も知らない廃れた古代魔法だ。
「あの男は悪魔よ」
悪魔だって!? ヒスイは驚愕して、代替わりしたばかりの若き教皇様の姿を思い浮かべてみる。
グレージュがかった髪を今時の若者らしくツーブロックにしていたが悪魔らしき角は見当たらない。
目だって一般的な紫でどう見たって人間だ。
そもそもまだ代替わりしたばかりなのだ。教会の悪事に関わっているとは到底思えない。
ヒスイが困惑しているのを感じ取った聖女は「ああ、違うわ。前教皇のことよ。それに今度はただの比喩」と笑った。
「あの男は聡い長男ではなく放蕩しているひ孫をわざと指名した。まだ実権を握っているわ」
「嘘だろ……もう死にかけじゃねーか?」
ヒスイは前教皇の年齢を思い出そうとしたが出てこない。
だが、あの老人の見た目なら悪魔と言われても納得できると思った。
「人を奇跡の力で癒すために、他者や動物から直接命を移動させるなんてこと出来ない。直接見てしまえば奇跡は途端に、倫理観のない惨い禁忌魔法へと早変わりしてしまう――だから器が必要なわけ。それが私。私という犠牲の上に成り立ってるの、あの奇跡は」
聖女が喉を極限まで絞ったかのような地を這う声で口にした事実は、ヒスイの肩に重くのしかかる。
「もう分かったでしょう? 聖女はただの偶像――教会はね、聖女を祭り上げて教会の威信を高めたいわけなの。だから重要なのは見た目。私美しいでしょ?」
聖女がくるりと一回転して優雅にカーテーシーをした。
美しく見えるように計算して動いて見せた聖女は、どこのご令嬢よりも――いやどこの姫君よりも美しい。
聖女であれば幼い子供だったとしてもその美貌の噂は広がっていただろう。それに目をつけて――これはとんでもない大事件だ。
ヒスイはごくりと唾を飲む。
聖女なんていなかった。人々が日々語り継いでいる聖女物語はただの教会が作った御伽話ということだ。
聖女はただの人間だし、奇跡の回復をもたらす聖魔法もない。
教会は美しい女を攫って記憶を封じ、聖女として祭り上げて、禁忌魔法を神聖魔法のように見せているだけ――信じられないような内容だが、聖女の態度からしてこれこそが真実としか思えなかった。
「私、聖女じゃないのに! 聖女じゃないのに……一人で外を散歩もできないの? 友達とバカ騒ぎしたり喧嘩も出来ない? 恋人も作れないし愛されないの?」
淡々と話していた聖女の言葉が揺れる。
ヒスイはハッとして聖女の肩を引き寄せた。自分の胸に頭を預けさせ抱きしめる。
「こんなのおかしい!!! なんで私だけ……!! うっ……く……」
「ああ、おかしいよ。お前は何も間違っちゃいない」
ヒスイは聖女の背をトントンと叩きながら、ゆっくり視線をあげた。
教会の一番前、壁に埋め込めれるようにしてデカデカと存在している女神像を見据える。
教会のシンボルである女神の顔が夜光でぼんやりと浮かび上がっており、何年か放置されて煤れているのも相まって邪悪なものに感じられた。
――神なんていやしない。
心の中で浮かび上がったこの言葉は、数年前からヒスイがずっと思ってきたことだった。
自分だけが異端なのだと思っていたが、聖女がいないのならやはり神もいやしないのだ。ヒスイの黒い瞳が一層夜の闇に溶け込む。
「俺が全部叶えてやるよ。今までもそうしてきただろ?」
「出来るわけ……」
「いいから。お前は今まで通りわがままを言ってな」
しばらく聖女の頭を抱え込んだままヒスイは難しい顔で考え込んだ。自分には何が出来るのかを――。
ここで一章が終わりです!秘密を共有して親密度アップ!
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