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ヒスイが魔力の出力に気を配りながら患部に手をかざすと、光のような暖かなオーラが溢れ出して傷を塞いでいく。
「神官のにぃちゃんあんがとよ」
「いえ」
ヒスイはメガネをクイッとあげると、心底柔和そうに見える笑みを浮かべて患者を見送った。
ヒスイが残りの魔力量を計算していると、マリナに声をかけられる。
「ヒスイ、最近調子良さそうだね。なんか、健康そう」
そりゃそうだろうよとヒスイは最近の生活を思い浮かべる。
朝は仕事、退勤後軽く休んで、夜十時頃から聖女と抜け出して飯、軽く遊んで帰る。この時点でまだ午前一時程度。
十分な睡眠とはいえないが、朝帰りしていた以前に比べると最近はよく寝れている。しかも、ここ三日は聖女が長期で遠方視察に行っているのでガッツリ眠っていた。
健康そうに見えるのも納得だが理由を話すわけにもいかないので、「そうですかね」と適当に濁す。
「この調子なら、試験受かりそう」
「健康なら受かるってものではないでしょう」
「そかも」
昼の休診時間に突入したのでマリナとともに表まで出て看板を裏返す。
いつもは一人でやっている雑用になぜかついてくるマリナのひょこひょこ揺れるアホ毛を見下ろしながら、ヒスイはこっそりため息をついた。
「なんでついて来るんですか?」
マリナはトロンとした瞳でヒスイを見上げると「――あれ? なんでだっけ?」と小首をかしげる。
大丈夫かこの人。
ヒスイは眉寄せるのを我慢する。
なんでこんなとろくさい人が准上級神官になれたんだと失礼なことを考えているのを悟られてはならない。
「とりあえず一緒にお昼行きますか?」
「うん行く」
マリナが嬉しげに歩き出す。
体の揺れと一緒にアホ毛もゆらゆら揺れて、まるで犬のしっぽのようだ。ヒスイが大人しくついて行くと、「待ちたまえ! 全員呼んでくるように言っただろうマリナ君!」と大きな声が響く。
「あ、そうだった」
マリナが手をポンっと叩いて、ヒスイを見上げる。
「ヒスイを呼んでくるように言われてたんだった」
「……左様ですか」
ヒスイが文句を飲み込んでいると、長い金髪を耳横で結んで肩に流している男性が小走りでやってきた。
後ろから従者が「お待ちください殿下! 教会内で走らないでください!」と言って一緒になって走っている。
この国の第六王子であるクラシス殿下。
今年で二十五歳になる彼は、王族で唯一聖魔法に適性があり、王族でありながら神官をしている。
神官のクラスは准特級だが正直実力は大したことはない。権力で准特級になっているのに周りに嫌われていないのはクラシス殿下の人となりと容姿のおかげだろう。
クラシス殿下は神に愛されているとしか思えない美男だ。好印象を抱かない人間はまず居ない。
「やあ、ヒスイ君、もう時間がないから走ってくれたまえ! 聖女様がご帰還された」
「え? 明日の予定では?」
「聖女様が怒涛の勢いで巻いたらしい。ハハハ! 珍しいこともあるもんだ」
ヒスイの脳裏に行きたくないと駄々を捏ねていた三日前に聖女が浮かぶ。
聖女が日程を早めたのは十中八九ヒスイに早く会いたいからだった。
ヒスイはやれやれと薄く笑いながら聖女塔前の街道へ向かう。
「ああ、ギリギリではないか! 僕は神官長様の隣に行かねばならないから、君達は適当にその辺りの列に入れてもらうんだよ」
クラシス殿下は金色に輝く髪をサッと背中に払うと、「神官長様! 全員揃いました」と言って駆けていく。
マリナが空いているところに向かうのを見て、ヒスイも歩みを進めたが、その場から動かなかった殿下の側近が気になって振り返る。
「あれ、貴方は殿下のお側に居られなくていいのですか?」
殿下の側近はヒスイの目をジッと見つめるとニコッと微笑む。
ゆるく首を振った後、列の方を手で示して先を促すのでヒスイはマリナのあとを追った。護衛兼側近だからといって前の方に入れてもらえるわけではないらしい。
マリナの隣に並んだ後にまた振り返ったが見当たらなかったので、彼も何処かに入れてもらえたのだろう。
「聖女様にお目見えできるなんて楽しみだね。本当に久しぶり、九五日ぶり」
「そうですね」
会えなかった日数は違えどヒスイは本心から賛同した。
初めは嫌だった聖女帯同の夜遊びも、今では聖女がいなけりゃ行かないくらいには、聖女がいないと意味がないものになっている。
「降臨祭が近いから、これからはもっと機会が増えそうだね」
「あーそんな時期ですね」
「今年で十二回目の降臨祭……十二と言う数字は教会にとっては特別だから豪華かも。ヒスイは今年どうする――」
マリナの言葉が途切れたので横へ視線を向けると、聖女塔に向かってくる聖騎士が目に入った。
青い十字架の甲冑――聖女様直属の近衛聖騎士だ。よく目を凝らすと後方に魔導車を囲むようにして隊列を組んだ聖騎士が見えた。
既に周りの神官が顔の前で手を組んで祈りを捧げているのを見てヒスイも慌てて祈りのポーズをとった。
神官の列に辿り着いた聖騎士が「聖女様の御帰還だ」と宣言する。車のドアの音が鳴り、ヒールが地面を打つ音が響く。
甲冑のガチャガチャとした音とヒールの音がだんだんと近づいてくるのが分かり、ヒスイはジッと通り過ぎるのを待った。
通り過ぎた音が鳴り止む。
「――面をあげてください」
静かな空間に響く凛としたソプラノの声――聖女の声だ。
だと言うのヒスイは顔を上げてその口から声が出ているのを見るまで信じられなかった。あの駄々をこねる聖女の声と同じなのに似ても似つかない。
「お出迎えありがとう。貴方たちの日常に祝福が訪れますように」
聖女は天使のような柔らかい笑みを浮かべて軽く会釈する。
心のうちに入り込むような優しい声に全員が傾倒し、圧倒的なオーラを放つ虹色に光る瞳に釘付けになっている。誰もが顔の前で組んでいる両手を更に強く握りしめ首を垂れた。
――がヒスイはというと、微動だにせずに聖女を見つめていた。自分の方を見るだろうと思っていたが一向に目が合わない。
やがて聖女は優雅に背を向ける。ホワイトプラチナの長い髪が遠心力でふわりと広がるのでさえ優雅に見えた。
聖女が聖女塔へと入っていくと張り詰めていた神聖な空気は離散し、神官達は皆口々に聖女を称え始めた。
「本当にお美しいわ。憧れることすら烏滸がましいと思うくらいに」
「やはり別格、我々とは住む世界の違うお方なのだ」
どこからか聞こえてきたその声はヒスイの心にストンと落ちる。
聖女としての勤めを果たしている聖女を間近で見たことでヒスイは明確に分からせられてしまった。
聖女は本来自分なんかが関わっていい相手ではないということを――。
もちろん今までもうっすら分かってはいたのだ。
分かっていたからこそ適当に夜遊びに付き合って、頃合いを見てフェードアウトするつもりだった。
――だったのだが、今のヒスイは明らかに聖女を特別視し始めている。
ッチ……マスいな……。
平常心を保てなくなってきたヒスイは内心舌打ちをしてその場を離れる。
優男の演技なんてしていられないので聖女の感想を言っているマリナを置いてどんどん歩いた。
気づいたら聖女と出会った教会裏に来ていた。




