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勝手にしろと言ったのがまずかった。
ヒスイは跳ねるような歩き方をしている聖女の背中を見つめながらため息をつく。
あれから聖女はことあるごとにヒスイにキスをした。
教会裏で待ち合わせてはキス。脱出してジュスタンについてキス。クラブで踊ってはキス。ダーツで真ん中を射抜いてはキス。
身長差があるからそう易々とされるわけではないが、わざわざされないように頑張るのも馬鹿らしく、聖女の好きなようにさせていた。
最近は聖女のせいでご無沙汰だが、ヒスイにとってキスなんて珍しいものでもないし、聖女の力に関わらないのであればどうでもよかった。
「どうでもよかったはずなんだけどなぁ……」
「ん? 何?」
「いやなんでもない」
ヒスイがどうでもよくないと感じ始めたのは三日前だ。
いや正確には、三日前にどうでもよくなくなっていることに気づいただけで、ずっと意識していたのかもしれない。そうでなければ、ヒスイは泣き出した聖女なんか放っておいてもっと非情に釘を刺したはずだ。
出来なかったということはそういうこと――。
今更キスをやめろと言うのも意識しているのを認めるようで、ヒスイはどうすることも出来なくなっていた。
「うっわヒスイじゃん!! 久しぶりじゃね?」
「カレンはいつもいるのな」
いつものクラブに入った途端にカレンとバッタリ会った。
聖女はとっくに前の方を目指して上手に体を捻って人の間を縫っている。
「最近どこにいたの?」
「カジノ」
「あ〜相変わらずね」
ヒスイはカレンと話しながらも、聖女から目を離さないように気をつける。
最前に辿り着いた聖女が楽しそうに拳を突き上げるのを見てヒスイは無意識に口角を上げた。
「何? あの子が気になるの?」
ヒスイの視線の先を辿ったカレンがタバコの灰を落としながら呟く。
「……連れだよ」
「なんだ、もう今日の相手決まってるんだ? 妬いちゃうな〜」
「お前は別に俺のこと好きじゃないだろ。後あの子はそういうのじゃなくてただの友達」
「あ、ヒスイが最近ナイトをしてるあの子か……なんかあの子覚えにくいんだよね」
「飲み過ぎじゃね」
魔道ライターをカチカチと鳴らしながらヒスイは適当に誤魔化した。
カレンに聖女の説明をするのはこれで三度目になる。
これがあるからヒスイは知り合いに声をかけられる場所にはあまり行かない方がいいと考えていた。
ヒスイの認識阻害魔法と気配遮断魔法はそこそこ精度が高くコントロールも効く。
教会から脱出する時は完全遮断。街に降りてからは、存在は認識出来るし会話も出来るが、個性を認識出来ずぼんやりとしか覚えられない仕様だ。
要するに聖女だけがいつまでも友達を作れずに孤立する。
聖女は毎回違う仲間とその場限りで楽しそうに騒いでいるので今のところはヒスイの杞憂だが、そのうちヒスイの魔法の効き目が良すぎることをおかしいと思い始めるはずだ。
「ヒスイの彼女なの?」
ぼんやりとタバコを燻らせながら聖女を眺めていたヒスイは、突然出てきた彼女という言葉に動揺して体を固める。
「は? 彼女? ないって」
「じゃあ好きなの?」
「好きって――」
好きって聖女を――か?
ヒスイは半笑いで「ない、ないから」と否定する。
この話を終わらせるべくひらひらと手を振って喫煙スペースを後にした。
改めて考えてみると、聖女というこの国にとって重要な存在を恋愛的に好きになって良いはずもなかった。
聖女を意識し始めていたヒスイは己を戒める。
聖女とただの人間が愛し合って結ばれるなんてあり得ない。
聖女は神の巫女であり神のもの。
横取りするような真似をしたら怒りを買うに決まっている。
ヒスイは再度「ないない」と頭を振る。
トイレに行こうと暗い通路を進んでいたら、やけにこちらを見ている女が目に入った。
黒髪のショートの女はヒスイと目が合った途端に詰め寄ってくる。
「ヒスイくんなんで連絡くれないの?」
「え?」
「え? って何。この前私んち来たじゃん」
「あ、あ〜この前の」
聖女にバレた日に寝てた女と気づいたヒスイは嫌なものに会ったと顔を顰める。
女はそんなヒスイの態度に臆することもなく「も〜ヒスイくん本当に酷いんだから」ケラケラと笑った。
ヒスイの顔へ手を伸ばして背伸びをする。
「何してんだよ」
「ダメなの〜? ヒスイくんノリ悪くね?」
コテンと首を傾げて心底不思議そうにしている女を見て、ヒスイは確かに何がダメなんだろうと自問自答する。
こんなの挨拶のようなものだ。
ここに来たらいつもしていたことだ。
聖女を意識しているという不都合な事実を消し去るのにも丁度いい――。
ヒスイは改めて女の唇を見つめる。
聖女に勘違いと言ったが、もしかすると自分の方も最近女と関わらな過ぎて勘違いしていたのかもしれない。
そうこれは勘違い――だからこれで勘違いは解けるはず。
ヒスイは女の顔に手を伸ばすと首を傾けて近づく。
女は満足そうに目を瞑り、触れ合った途端に薄く口を開けた。
ヒスイは頭に手を回し舌を絡める。特に何も感じないただの接触。
目を瞑ることなく冷めた目で女を見ていたヒスイの視界の端にホワイトプラチナが映る。
ヒスイの目が僅かに見開かれる。
女が「んっ」と色っぽい声をあげ更に深く絡みつこうとしたが、ヒスイはパッと体を離した。
見られていた。そう認識した途端に何も感じていなかったヒスイの心はざわめきだす。
「……重症かもな」
「は? 何が?」
困惑している女を放って、ヒスイは聖女を追って人の波に身を捩じ込む。
どこにいたって聖女は目立つ。
すぐに見つけたヒスイは聖女の腕を掴んで引き寄せようとしたが、聖女に振り払われた。
「ヒスイどうしたの? 前まで来るなんて珍しいわね」
無理に作ったような顔の聖女を見て、ヒスイは頭を掻きむしった。
「帰るか」
「え?」
聖女の了解を得ることなく、腕を掴んでぐんぐんと出口へ向かう。
「なんで? まだ早いわよ」
「いいから」
外に出て人気がないところを探す。
その間も聖女はどうでもいいことを話しては痛々しく笑っていた。ヒスイの好きなあのひだまりのような笑顔ではない。
丁度良さそうな廃教会を見つけ、ヒスイは完全遮断に切り替えた。古びた戸を開けて一番後ろの席に腰掛ける。
何を言えばいい? あの女とはなんでもないから?
そんな浮気した男みたいな言い訳をしたいわけじゃない。
第一、ヒスイと聖女だってなんでもない関係なのだから――。
しばらく無言のまま時が流れる。何も言わないヒスイに代わって聖女の方から口を開いた。
「……ずるい」
膝に肘を乗せて身をかがめていたヒスイが聖女を見上げ続きを促す。
「私だけじゃないって薄々気づいていたけど、全然平等じゃない……私はヒスイにキスされたことないのに!」
耐えるようにグッと喉に力を入れて話す聖女は桃色の唇を噛み締めて瞳を揺らす。
思えばキスはいつも聖女からしてきて、ヒスイは答えたことがなかった。
「ヒスイは私のものじゃないって分かってるよ……だからせめて平等にしてよ。じゃなきゃずるい」
一筋伝った涙が床に落ちる。
女に泣かれるのなんて珍しくもない。泣かれたら去るだけ、そう思っていたはずなのに聖女の涙はどうしようもなくヒスイの心を締めつける。
浮気をしたわけではないのに、罪悪感でいっぱいだった。聖女の頬に手を伸ばして涙を拭う。
「ずるいのはお前だよ」
ヒスイは聖女を見つめて目を細める。
そのまま聖女と唇を合わせると、何度も角度を変えて優しく啄んだ。
驚きで目を開いたままの聖女と近距離で目が合い、ヒスイはフッとほ笑みを浮かべる。
そのまま頬へ移り涙へキスをすると目尻、額と顔中に唇を落とした。
顔を離すと、聖女の顔がボッと茹で上がる。
「久しぶりにその顔見たな」
「だ、だって……!?」
両手で顔を覆った聖女は小さな声で「ヒスイが好きだから」と言う。
「ヒスイは? ヒスイは私のこと好き?」
「……知らね」
いつもは適当に頷いていたこの質問にヒスイは答えることが出来なくなっていた。




