第2話 ラピスの塔の工房生活
「はぁ。まあいいや、これ作っちゃわないと」
窓を閉め切った工房で、ラピスは再び大鍋をかき混ぜ始めた。
「まったく。すでに依頼は手一杯だって理解しているだろうに」
この依頼も、先程の文官たちから押しつけられたようなもの。それなのに彼らは、まだラピスに奉仕させようとする。
「まぁ、調合自体は嫌いじゃないからいいけど……」
そう呟きながらラピスがかき混ぜるのは、ドロリとした青緑の液体だ。
混ぜ棒が重くなってきたところで、ラピスは壁のスケジュール板をチラリと確認する。
貼られた何十枚もの依頼書には、一枚を除き『済み』と書かれている。
「よし、これで最後だ……!」
この鍋が仕上がれば今週の仕事は終わる。諸事情により納期が早まったが間に合いそうだ。
しかしまだ気を抜いてはいけない。仕上がるまでは集中しなければ。ラピスは混ぜ棒を握る腕に一層力をこめる。
『自動かき混ぜ棒』もあるが、これはラピス自身でなくてはならない。
この調合は仕上げが肝心。錬金術師の勘でタイミングを見計らい、最後に魔力をぶち込むのだ。
調合中の液体をぐるぐる混ぜ続け、その色が青緑から深緑になり、いよいよ黒に変化し、艶が出てきたその瞬間。
「今だ」
ラピスは大鍋の中に魔力を流す。
すると黒光りしていた液体が、透き通り輝くエメラルドグリーンに色を変えた。
混ぜ棒を引き上げると、先程までの粘つきが嘘のよう。サラサラに変化している。
「うん。成功」
キラキラ輝くこの液体は、ラピスが改良した『基本調合液』だ。
これを使えば新人錬金術師でも、失敗せずに高品質の薬や魔道具を作ることができる。『万能液』とも呼ばれる、今や術師必須の代物だ。
「うふ。綺麗」
鍋を覗き込み、ラピスはニンマリ笑う。
――これだ。この瞬間がたまらない。
基本調合液の材料は、もとは森に生える薬草や鉱石、澄んだ泉の水。
薬草をナイフや薬研で刻み、乳鉢ですり潰す。鉱石はハンマーで砕いたり、釜で溶かしたりもする。水は熱して蒸留装置で不純物を取り除き、しかし逆に冷やすこともある。
下準備をしたらまずは仮定をもとに実験だ。フラスコで熱し、ビーカーを使って混ぜる。何本もの試験管に移し替え、試薬を使って出来映えを確認する。
狙い通りの反応が出たなら成功だ。
『錬金術』という、魔力を使い物質を作り変える技術。
極めれば、無から有を生み出すことも可能だとされるのが『錬金術』
ああ。新たなものを作り出す、この快感が本当にたまらない!
「錬金術師になってよかった……けど、まぁ、同じものばかり作るのは飽きるな」
塔に工房を持つ宮廷錬金術師となったが、その毎日は正直期待外れだった。
期待していたのは、宮廷錬金術師塔に蓄積された知識や技術、豊富な素材を使っての研究三昧、素材使い放題の毎日だ。
しかし、現実は違っていた。
ラピスが自身の研究のために開発した基本調合液や、その他の基本素材が、宮廷の術師たちに高評価を得たことから誤算が始まった。
評価を受けたのはいい。素直に嬉しかったし、きっと欲しかった研究素材や、文献探しが有利に進むだろうと期待した。
だが、ラピスが作り出した基本素材のせいで、好きな研究や調合はほとんどできなくなってしまった。
特にこの基本調合液は、五つの錬金術師塔だけでなく、魔道具を作る魔導具師、魔術を開発する魔術師からも必須素材として引っ張りだこ。
どこからも『作業が楽になった』と重宝されるがゆえに、開発者のラピスだけは忙しくなり、研究もできなくなった。
もちろんラピスは抗議した。
抗議したが、「皆のために基本素材を作ることは、『誓約の錬金術師』が仕える王のためでもある」と王に言われたらやるしかない。
それが、アストルム家の誓約の錬金術師なのだ。
とても不満だが仕方がない。今だけだ。五年前のラピスはそう思った。
なぜなら基本素材のレシピをすぐに公開したからだ。
普通は開発したレシピをこんなに早くは公開しない。レシピは術師の財産であり、価値でもある。
だがラピスが本当に作りたいものは、基本調合液ではない。基本調合液はただの通過点。ラピス自身が作れなくなったり、使えなくなるのでなければ公開し、共有しても構わなかったのだ。
レシピを公開したんだ、すぐに自分以外の者にも作れるようになる。
ラピスはそう思ったが……なぜか誰も基本調合液を作らなかった。正確には、作り続けなかった、だ。
皆、宮廷に仕える優秀な術師だ。レシピ通りに仕上げることはできるが、作るには手間がかかるし魔力も消費する。それに基本調合液の調合は、彼らにとっては面倒だった。
手順のタイミングを一つでも見誤れば台無しに。仕事を楽にし、品質を上げるためのもののはずが、逆にそれを作ることが負担になってしまう。
本末転倒だ! となり、皆は負担を減らすため、「レシピを共有してもらうのは申し訳ない。調合は開発者にお任せしたい」と、王に働きかけラピスへの外注に成功したのだ。
「ほんと、ふざけてる」
ラピスは溜息を漏らした。
この五年。自らの手で何かを作り出す喜びだけを糧に踏ん張ってきた。しかし、何事にも限度があるし、ご褒美がなければやってられない。
「この納品を終えれば連休……待ちに待ったご褒美タイムだ!」
こんな機会は滅多にない。というか、宮廷錬金術師になって初めてだ。
十日に一度程度の休日ごとに、自身の研究をしてきたがいつも時間が足りない。ほぼ塔に泊まり込んでいるうえ、生活用品や食料の買い出しもしなくてはならないので、研究は細切れで全く満足できなかった。
「でも、今週は三日ある……! やってやる……ずーっとやりたかった『人工ダンジョン』の記念すべき第百回の錬成実験をしてやるんだ! できれば素材採取にも行きたいし……裏の森でもいい、たまには自分の手で素材を集めたい……もう、しばらく基本調合液は作りたくない!!」
ラピスは溜めまくった鬱憤と欲望を口にして、両手を振り上げる。
「いいわね、素材採取。アタシもたまには森を散歩したいわ」
「オレは裏の森以外の場所に行きてぇけど、まぁ、三日程度の休みじゃ仕方ねぇか」
ラピスはいつの間にか窓辺に戻り、くつろいでいるテティとセティを振り向いた。
「森か……いいね、癒やされそう。でもその前に……」
ラピスは窓辺の二匹に手を伸ばす。
そして二匹まとめて抱きしめて、すうぅ! と吸った。




