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顔面偏差値で役目が決まる都で、僕らは徳札を復活させる  作者: 乾為天女


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第6話 凛々しい後姿の正体

 それが貼られた朝、真澄津の娘たちは、井戸端でまず水桶を置いた。


 「見た?」

 「見た見た」

 「誰だろうね、あれ」

 「背中だけって、ずるくない?」


 朝の噂は、湯気より早い。

 役場へ向かう坂の石壁にも、魚市の柱にも、菓子屋の裏手にも、同じ紙が一枚ずつ貼られていた。


 描かれているのは顔ではない。

 肩に薪を担いだ背中。

 しゃがんで子どもの頭を庇う背中。

 橋板を押さえ、片手で荷車を通す背中。

 線はまだ若く、少し荒いのに、見た人間の胸に残る力があった。


 泰雅が最初の一枚を見つけたのは、役場裏の勝手口の脇だった。

 「何ですか、これ」

 近くにいた若い役人が鼻を鳴らす。

 「新しい色男探しじゃないか」

 「顔が描いてありませんけど」

 「だから余計に騒ぐんだろう。想像で好きに盛れる」

 その理屈はあまり感心しないが、町の娘たちが頬を染めているのを見ると、たしかに否定もしにくい。


 会議室へ着くと、友莉亜が机に身を乗り出していた。

 「見た!?」

 「見ました」

 「すごいよね、あれ。顔を出さないのに、かえって目が離せないの」

 「それ、褒めてるんですか」

 「褒めてる」

 友莉亜は両手で大きな丸を作った。

 「町じゅうが朝から落ち着いてない。魚屋のおかみさんが、鯵を三尾まとめて一尾って言いかけてた」

 「かなり重症ですね」

 「でしょ」


 徳信は鼻で笑った。

 「背中なら俺の可能性が高いな」

 「あんた、自分で言うんだ」

 あき子が呆れる。

 「だって鍛冶場の前で荷運びしてるの、たいてい俺だろ」

 「でも子ども庇う絵のほうは、袖が役場の色でしたよ」

 泰雅が口を挟むと、徳信がむっとした。

 「じゃあ碩樹か」

 「碩樹さんはあんなふうにしゃがむ前に、まず通行整理の理屈を説明しそう」

 友莉亜が言うと、全員ちょっとだけ納得してしまった。


 桜都は壁の一枚を見上げ、指先で紙の端をそっと押さえた。

 「紙は安いものです。でも筆の運びが丁寧」

 「作者を探すんですか」

 泰雅が訊く。

 「探しましょう。このままだと、町じゅうが勝手に誰かを祭り上げます」

 「顔面偏差値の町で、今度は後姿偏差値ですか」

 「嫌な言い方なのに、妙にありそうですね」

 桜都はため息をついた。


 聞き込みは、案外すぐに手がかりへつながった。


 魚市の裏の細道で、友莉亜が丸めた紙を抱えた少年を見つけたのだ。袖口に墨がつき、指先は紙切れで細かく裂けている。

 「ちょっと待って」

 声をかけると、少年は飛び上がり、そのまま逃げようとした。だが角を曲がったところで、荷を積んだ車とぶつかりそうになり、慌てて立ち止まる。


 「逃げなくていいってば」

 友莉亜が追いつき、息を整えながら笑う。

 「怒らない。少なくとも私は」

 少年はじりじり後ずさった。

 「紙代、払えって言うなら……」

 「言わない言わない」

 「じゃあ、剥がせとも」

 「言うかもしれないけど、まず話」

 そこへ泰雅たちも追いつき、少年は観念したように壁へ背をつけた。


 名を、湊と言った。絵師の店で見習いをしているが、顔を描かせてもらえず、看板の文字と縁取りばかり任されているのだという。


 「どうして背中だけ描いたんです」

 桜都が訊くと、湊は視線をさまよわせた。

 「顔、見てないから」

 「見てない?」

 「雨の日だったんだ。橋のところで、荷車の車輪が外れかけて、子どもが転びそうになって……」

 湊の言葉は、途中から少しずつ速くなった。

 「その人、荷物持ってたのに、すぐ車輪を押さえて、子どもの頭を庇って、橋板がずれるのも足で止めて……でも、俺、反対側にいたから、背中しか見えなくて」

 「それで描いた」

 「忘れたくなくて」

 湊は耳まで赤くした。

 「だって、いちばん凛々しかったから」


 友莉亜が両手で口を押さえた。

 「凛々しい後姿! 言っちゃった!」

 「おい、騒ぐな」

 徳信が言う。

 だが彼も少し面白そうだった。


 「で、その人は誰だと思う?」

 あき子が問うと、湊は首を振った。

 「わからない。徳信さんかと思ったけど、鍛冶場で見た背中はもっと四角かった」

 「四角いって何だ」

 「碩樹さんかとも思ったけど、あの人はもっと背筋がぴしっとしてる」

 「褒めてるのかどうか際どいね」

 友莉亜が笑う。

 「役場の人かもしれない。袖の色が似てたから」


 泰雅は、何となく嫌な予感がした。

 雨の日、橋、荷車、子ども。どれも覚えがある。覚えがあるのに、それを自分のこととして結びたくない。


 「泰雅さん」

 桜都が静かに呼んだ。

 「何でしょう」

 「この前の雨の日、橋番小屋へ書類を届けに行きましたか」

 「行きました」

 「荷車を押さえましたか」

 「たぶん」

 「子どもを庇いましたか」

 「ついでに」

 「ついでに」

 桜都がその言葉を繰り返し、少しだけ口元をゆるめた。

 「本人がいちばん気づいていないようですね」


 友莉亜の顔がぱっと明るくなる。

 「え、え、まさか」

 徳信が泰雅の肩から腰までを眺めた。

 「……背中か」

 「あんまり値踏みしないでください」

 泰雅が本気で嫌そうに言うと、あき子が噴き出した。

 「値踏みじゃない。確認」

 「何の」

 「凛々しさの」

 「要りません、その確認」


 ところが、湊は泰雅をじっと見て、それから何度もうなずいた。

 「袖の感じ、近い」

 「やめてください」

 「あと、立つと細いのに、荷物持つと急に仕事できそうな背中になる」

 「そんな評価軸、初めて聞きました」

 「でも、そうなんだよ」

 湊は真顔だった。

 「顔は見てない。でも、あの日の背中は、これだ」


 町じゅうに貼られた後姿の正体が、自分だと知った瞬間、泰雅は、役場の床板が抜けてそのまま消えられないかと本気で考えた。

 「全部剥がしましょう」

 「どうして」

 友莉亜が不満そうに言う。

 「どうしてもです」

 「せっかく評判いいのに」

 「評判がいいのがいちばん困るんです」


 だが桜都は、すぐにはうなずかなかった。

 「湊さん」

 「はい」

 「あなたは、その絵で誰かをからかうつもりでしたか」

 「まさか」

 「顔を隠したのは」

 「見てないからだし、それに……」

 湊は紙の端を握った。

 「顔があったら、顔の話になると思ったから。あのとき、すごかったのは顔じゃなくて、動きだった」


 その言葉が、会議室に落ちた。


 顔面偏差値で案内役を決める町で、顔を描かずに人を褒める絵。

 それは少し滑稽で、でも妙に、この町に必要なものにも思えた。


 徳信が壁にもたれたまま言う。

 「なら剥がすな。俺は好きだ」

 「自分じゃなくて残念でしたね」

 あき子が言う。

 「俺は四角い背中だからな」

 「気に入ってるじゃないですか」


 結局、全部は剥がさないことになった。

 ただし、紙の下に一行だけ添える。


 桜都が書いた文は、短かった。


 『顔ではなく、行いを見た絵です』


 その札を添えて歩くあいだ、泰雅は終始、落ち着かなかった。

 湊が「橋のところはここに貼りたい」と張り切り、友莉亜が「もう少し高い位置のほうが目に入る」と口を出し、徳信が「紙が飛ばないように端を打て」と言い、あき子が「打ちすぎると破ける」と言い返す。その真ん中で、泰雅は脚立を押さえる係に徹した。


 最後の一枚を、橋のたもとの欄干近くに貼り直したときだった。

 桜都が隣で立ち止まり、絵を見上げたまま言った。

 「前を向いた顔より、何を背負って歩くかのほうが、人を語ります」

 風が橋の下を抜けた。

 彼女の髪が少し揺れ、その先が泰雅の袖にかすった。


 「買いかぶりすぎです」

 泰雅は欄干の向こうを見たまま答える。

 「買っていません」

 「では」

 「見たままを言っています」


 その言い方に、逃げ道がなかった。

 第1話の会議室で募集要項を刺すように指摘したときと同じ目で、今はまるで別のことを告げている。

 泰雅は、答える代わりに、脚立を持つ手に少しだけ力を入れた。


 帰り道、娘たちはまだ後姿の話をしていた。

 けれど、その声は朝より落ち着いていた。誰がいちばん整った背中かではなく、どこの誰が、どんなときに人を助けたのかを言い合っている。

 顔の町で、背中の噂が、行いの噂に変わり始めていた。


 会議室へ戻ると、柔らかな掲示板に小さな札が増えていた。


 『雨の日に橋で助けてくれた人へ

 あのあと妹は泣きませんでした

 ありがとう』


 湊の字だった。

 泰雅はその札を見て、耳のあたりが少し熱くなるのを感じた。

 目立つのは苦手だ。けれど、自分のしたことが誰かの中でこうして残っていたのだと思うと、否定ばかりもできなかった。


 桜都は札を見て、何も言わずに微笑んだ。

 その静かな横顔を見たとき、泰雅は、橋の上でさっき吹いた風が、まだ胸のどこかに残っている気がした。



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