第4話 チョコミントの味がした初恋
徳札係の最初の正式な持ち込みは、氷菓だった。
「売れないの」
友莉亜が、西会議室の机に小さな木箱をどんと置いた。
「菓子屋の新作。三日出して、七つしか売れてない」
「七つも売れれば」
泰雅が言うと、友莉亜は首を振る。
「朝に二つ、昼に一つ、夕方に四つ。つまり、身内と、面白がった子どもと、賭けに負けた魚屋しか買ってない」
「内訳が細かい」
「町は観察するとだいたいわかるからね」
箱の中には、薄い板氷を刻んで蜜をかけた氷菓が六つ並んでいた。白磁の小鉢に盛られたそれは、見た目からして挑戦的だった。青みのある緑の蜜に、黒い粒が混じっている。
徳信がのぞき込み、顔をしかめる。
「何だこれ。薬か」
「失礼なこと言わないで。菓子です」
友莉亜が木匙を突きつけた。
「食べてみて」
徳信がひと口ですべてを引き受けるような顔をし、食べた。
眉がぴくりと動く。
「……歯磨き粉みてえ」
「ね?」
「“ね?”で済ませるなよ」
「でも、あとから甘いでしょ」
「確かに甘い」
「冷たいだけじゃなくて、抜ける感じがある」
あき子も続いて食べ、目を丸くした。
「変だけど嫌いじゃない」
泰雅も口に入れてみた。最初にすうっと涼しさが抜け、あとから乳の甘さが追いかけてくる。慣れない味だ。だが、嫌いではない。嫌いではないが、“一目で飛びつく味”でもない。
「これは、説明がないと難しいですね」
泰雅が言うと、桜都がうなずいた。
「見たことのないものほど、言葉が要ります」
店は、坂下の老舗菓子屋〈橘屋〉だった。
暖簾をくぐると、若旦那の市松が、売り台の前で沈んだ顔をしていた。整った顔立ちなので、余計に沈み方が絵になる。たぶん今の真澄津なら、こういう顔が案内役に選ばれるのだろうと泰雅は思った。だが肝心の氷菓は売れていない。
「色が悪いのかな」
市松がつぶやく。
「お客さんに、青菜を煮た汁みたいって言われた」
「それはひどい」
友莉亜が即答した。
「でも言いたいことはちょっとわかる」
「わかるんだ……」
店の奥には、先代の母らしい女性が腕を組んで立っていた。
「だから言ったんだよ。夏の菓子は白か桃色にしとけって」
「でも姉さんが」
市松が口をつぐむ。
そこで徳札係の全員が、そちらを向いた。
話を聞き出したのは友莉亜だった。押したり引いたりが絶妙なので、相手は気づくと喋っている。
市松には、五年前に亡くなった姉がいた。暑い日に店番をしながら、妙に涼しい顔でこの手の香草を噛んでいた人で、「これと乳を合わせたら面白い味になるのに」とよく言っていたらしい。市松はその言葉を覚えていて、今年ようやく形にした。盆の供えにもしたかった。けれど、肝心の“どうしてこの味なのか”を客に話せず、ただ「新作です」とだけ出していたのだ。
「言えばよかったじゃないですか」
徳信が率直に言う。
市松は情けない顔をした。
「菓子に身の上話を乗せるのは、押しつけがましい気がして」
「押しつけるほど言ってない」
「うっ」
「味の理由を隠したら、変な色の甘い氷だろ」
「正論が痛い」
桜都が売り台の前へ進み、小鉢を見た。
「味の由来を長々と語る必要はありません。けれど“誰のために作ったのか”が一言あるだけで、人は受け取り方を変えます」
「一言……」
「たとえば」
桜都は少し考え、静かに言った。
「『夏になると思い出す人のための味です』」
店の空気が、ふっとやわらいだ。
泰雅は売り場を見回した。氷を削る台は奥にあり、通りからだと新作の鉢が見えにくい。値札も小さい。待ち客がひとり出るだけで、後ろからは何が売られているかわからない。
「市松さん、売り台を少し前に出していいですか」
「いいけど」
「徳信さん、日除けの角度を変えられますか」
「やる」
「あき子さん、冷やし箱の蓋、閉まりが甘いです。見てもらえますか」
「まかせて」
「友莉亜さん、最初の声かけをお願いします」
「よろこんで」
「桜都さん、札の文面を」
「もう考えています」
動き出すと早かった。
徳信は外の簾を外し、午後の日差しが鉢の上にだけ薄く落ちる角度へ直した。あき子は冷やし箱をひっくり返し、蝶番を締め、氷の逃げを減らす。友莉亜は店先に立ち、通りがかった娘たちへ明るく声を投げた。
「見て見て、橘屋の新しい夏の味! 暑い日に頭の奥がすっとするやつ!」
「何その言い方」
市松が戸惑う。
「細かいことはいいの。まず足を止めてもらうの」
桜都は小さな札に、迷いなく筆を走らせた。
『亡き姉が好んだ、夏の風みたいな味です』
それを、柔らかな掲示板に預ける。
会議室の板は、札を受け取るとごく淡く光った。そのあと店先へ戻ると、売り台の脇に置いた木札にも、同じ文がにじむように浮かび上がっていた。あき子が歓声を上げる。
「転写した!」
「転写って言い方、夢がないですね」
泰雅が言うと、あき子は悪びれず笑った。
「でも正確」
最初の客は、風呂敷を抱えた年配の女だった。
「何だい、夏の風みたいな味って」
友莉亜がすかさず言う。
「ひと口でわかります。合わなかったら、今日は私がうちわであおります」
「何の保証だい、それ」
笑いながら、女はひとつ買った。
食べたあと、女は少し黙った。
「……不思議な味だねえ」
「まずかったですか」
市松が身を乗り出す。
「違うよ。うちの亡くなった兄が、山の葉っぱを噛んで涼しい顔してたのを思い出した。夏って感じがする」
その一言で、市松の肩が下がった。落ちたのではない。力が抜けたのだ。
夕方までに、氷菓は十四売れた。
たった十四、と言うには、店の空気が明るすぎた。
閉店前、七つか八つくらいの女の子が、母親に手を引かれて戻ってきた。
「おじちゃん」
市松がしゃがむ。
「はい」
「さっき、転ばないように鉢を持ってくれてありがとう」
女の子は小さな木札を差し出した。字は母親が書いたのだろう。けれど最後の名前だけ、たどたどしい自筆だった。
『氷をこぼしそうになったとき、手をそえてくれてありがとう みつき』
市松は札を受け取ったまま、しばらく動かなかった。
そのあと、目を伏せて笑った。
「こちらこそ、買ってくれてありがとう」
帰り道、夕焼けが坂の石畳を赤く染めていた。
泰雅は木箱を抱え、隣を歩く桜都に言った。
「今日、初めてですね」
「何がですか」
「ありがとうを書いて、貼って、返ってきた」
桜都は少しだけ目を細めた。
「はい。やっと、始まった感じがします」
「夏至まで四十日を切ってるのに?」
「だからです」
言いながら、彼女は前を向いたまま歩く。
その横顔は涼しいのに、声にはちゃんと熱があった。
真澄津の空には、夏至へ向かう薄い雲が流れている。
見た目の点ばかりを並べた町で、まだ名もない小さな札が一枚、確かに誰かの手に渡った。
そのことが、泰雅には少し眩しかった。




