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顔面偏差値で役目が決まる都で、僕らは徳札を復活させる  作者: 乾為天女


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12/15

第12話 気体にのる言葉

 町へ置いた五つの箱は、三日で箱らしい顔つきになった。


 最初は誰も、そっと紙を入れて去る。

 二日目になると、箱の前で少し立ち止まる人が出る。

 三日目には、誰かが紙を入れるところを見て、自分も書こうとする人が現れる。


 神守社の箱には、願いと礼が半々だった。

 橋番小屋の箱には、助かったことの報告が多い。

 学問所の箱には妙に字のきれいな札が混じり、菓子屋の箱には甘い匂いのついた紙まで入る。

 徳信の鍛冶場の箱だけ、妙に頑丈で重かった。あき子が蓋を持ち上げようとして「硬い」と文句を言うほどだ。


 「壊れないようにした」

 徳信は胸を張る。

 「人の気持ちを入れる箱なんだからな」

 「気持ちより箱のほうが重いです」

 泰雅が言う。

 「軽いよりいい」

 「せめて開けやすく」

 「改良する」

 「すぐ改良するの、そこは偉い」

 友莉亜が笑う。


 集まった札はいったん役場裏の物置へ運んでいた。

 西会議室が閉ざされた今、あの部屋へ自由に出入りできない。けれど紙の束を前にすると、誰も諦めた顔になれなかった。紙の一枚一枚が、町のどこかの行いを指している。ここで止めるには惜しすぎる。


 りゅうのすけは設計図を何度も見直し、役場の床下にもぐり、埃だらけで這い出てくるようになった。

 そのたびに桜都が「そのまま会議室へ入らないでください」と止め、本人は「でも今いいところで」と言い、あき子が「いいところなら余計に洗って」と首根っこを押す。三回目には、泰雅が黙って桶と手拭いを用意した。


 四日目の夕方、りゅうのすけは顔じゅう煤だらけのまま飛び込んできた。

 「あった!」

 会議室ではなく、役場裏の物置に。

 「何が」

 泰雅が振り向く。

 「管!」

 「何の」

 「だから、設計図の! 会議室の床下から北棟を回って、裏手へ抜ける細い伝送管。詰まってるところもあるけど、全部じゃない!」


 あき子がすぐに立ち上がった。

 「見せて」

 「今?」

 「今」

 「飯は」

 徳信が聞く。

 「あと」

 「俺も行く」

 「来るなら灯り持って」

 「持つ」


 気づけば、みんな物置を出ていた。


 役場の北棟裏は、昼でも薄暗い。壁沿いに積まれた古材と壊れた桶の陰に、半分土へ埋まった鉄の蓋があった。りゅうのすけが雑草を払い、蓋の端を示す。

 「ここ」

 あき子がしゃがみ込み、指先で縁をなぞる。

 「ねじ山は死んでない」

 「開く?」

 「開く。開ける」


 徳信が梃子棒を差し込み、ぎい、と蓋が持ち上がった。

 中から吹いた風は、ひやりとしていた。

 夏の風ではない。井戸の底から上がってくるような、湿り気を含んだ冷たさだ。


 泰雅は思わず息を止めた。

 この感触を知っている。会議室の掲示板の前で、何度か触れた。水でも風でもない、流れものの気配。


 「星霧」

 桜都が小さく言った。

 「これが」

 「たぶん」

 りゅうのすけは目を輝かせる。

 「気体だ。設計書の注記にもある。『言葉を運ぶ流れ、湿りを好み、火に弱し』」

 「火に弱いってことは、灯り入れすぎるなよ」

 徳信が言う。

 「言う前に下げて」

 あき子が即座に返す。


 蓋の下には、陶の筒と細い金具が連なっていた。ところどころに亀裂があるが、全体の筋はまだ生きている。あき子は袖を捲って片手を差し入れ、詰まった泥を掻き出した。

 「ここ、長年使ってないのに完全には塞がってない」

 「流れてるから?」

 泰雅が聞く。

 「少しはね。でないと、こんなに冷えない」

 「ってことは」

 友莉亜が身を乗り出す。

 「箱の札、運べる?」

 「そのままは無理」

 あき子は首を振った。

 「でも、各所の箱から紙を回収して、ここへ集める仕掛けなら作れる。昔は投書口ごとつながってたんだろうけど、今そこまで掘り返す時間はない」

 「時間がない、って言い方好きじゃないですけど、今回は同意です」

 泰雅が言う。

 「夏至まであと半月切ってる」


 桜都は役場の壁へ触れた。

 「会議室の扉は閉じられても、床の下はまだつながっているんですね」

 「町って、そういうものかも」

 友莉亜が言う。

 「表で閉めても、下でこっそり続いてる」


 その夜から、物置は半分工房になった。


 徳信が箱の回収口を作り、

 あき子が古い送風絡繰の図面を引き写し、

 りゅうのすけが設計書の古語を現代の言い回しへ書き替え、

 桜都が、箱のそばへ貼る案内文を整えた。

 泰雅は札の整理と回収経路の表を作り、友莉亜は誰がどの箱をいつ見に行くか、町じゅうへ声をかけて回った。


 物置の床には、紙束と木片と金具が広がる。

 会議室より狭い。涼しくもない。机も揃っていない。

 けれど不思議と、動きは以前よりよかった。出入りする人間が多く、誰かが行き詰まる前に別の誰かが手を出す。


 問題は、集めた札をどう町全体へ呼びかけるかだった。


 「そろそろ、もっと広く知らせたい」

 泰雅が表を見ながら言う。

 「今のままでも増えてるけど、夏至の前に町じゅうへ届かせるには足りない」

 「祝詞にする」

 桜都が言った。

 みんなが顔を上げる。

 「神守社の言葉で、でも昔のままではなく、今の人が聞いてわかる形にします」

 「祝詞って、もっとこう、難しいやつじゃないの」

 友莉亜が首をかしげる。

 「難しいままなら届きません」

 桜都は紙を引き寄せた。

 「だから、届く言葉にします」


 彼女は筆を取り、何度も書いては止めた。

 昔の文言を残すか。今の暮らしへ寄せるか。

 海風の強い日、戸を押さえてくれた人。

 病の夜に湯を沸かしてくれた人。

 朝いちばんに火を見てくれた人。

 転ばないように手を貸してくれた人。

 名前を知らなくても、礼を言いたい相手は誰にでもいる。


 やがて桜都は、短い文を読み上げた。


 「上手に書けなくてもかまいません。

 届けたい相手の名だけは、まちがえずに書いてください。

 きれいな文でなくていい。

 あなたが助かった、その事実をひとつ置いていってください。

 町の灯は、そういうものから明るくなります」


 友莉亜がすぐに頷く。

 「わかる」

 徳信も腕を組んだまま「わかるな」と言う。

 あき子は「難しくない。いい」とだけ言った。

 りゅうのすけは端の表現を二つほど直したが、最後には「ほぼこれで」と認めた。

 泰雅は、胸の中で何かがきれいに収まるのを感じた。

 難しいことを言っていない。けれど軽くもない。今の真澄津に要る言葉だった。


 翌朝、その文は町の五つの箱へ貼り出された。


 神守社では桜都が直接読み上げた。

 橋番小屋では友莉亜が、橋を渡る人へ声を張った。

 学問所ではりゅうのすけが教師に頼み、朝礼のあとで伝えてもらった。

 菓子屋では氷菓の列の横で、主人が照れくさそうに紙を指さした。

 鍛冶場では徳信が「読め」とだけ言い、あき子が横で「雑」と呟いた。


 その日から、札の増え方が変わった。


 ただのお礼だけでなく、誰がどこで何をしてくれたのかが、もう少し丁寧に書かれるようになったのだ。

 『雨の朝、橋板の滑るところへ灰をまいてくれた人へ』

 『炊き出しで最後の椀を子どもへ回してくれた人へ』

 『祭具を運ぶとき、黙って重いほうを持ってくれた人へ』

 『裏口の桶の水を替えてくれた人へ』

 字の下手さはばらばらだ。紙の質も揃わない。

 それでも、読めば情景が浮かぶ札が増えた。


 夕方、物置に戻った泰雅は、積み上がった紙束を見て息をのんだ。

 「こんなに」

 「今日だけで七十七枚」

 りゅうのすけが誇らしげに言う。

 「数えたんですか」

 「数えた」

 「そこは速い」

 「速く数えたくなる量だったから」


 あき子は試作の送風絡繰へ息を吹き込み、羽根の回り具合を見ていた。

 「もう一段いるな」

 「何が」

 「押し出す力」

 「足りませんか」

 「札の束が増えた分だけ、流れを強くしないと奥まで送れない」

 「手伝う」

 徳信が袖を捲る。

 「俺、回す」

 「壊さないで」

 「壊さない」

 「前もそう言った」

 「今回は本当に」


 物置の外では、日が傾いていた。

 海からの風に混じって、どこか湿った冷気が流れてくる。役場の床下を通る星霧が、呼び水を受けて少しずつ動き始めているのかもしれない。


 泰雅は回収した札を揃えながら、ふと問うた。

 「これ、会議室へ送り込めたとして、その先はどうなるんでしょう」

 「掲示板が受ける」

 桜都が言う。

 「受けて、星霧へ溶かす」

 「溶かす、って実感がないです」

 「私もまだ半分しかわかっていません」

 「半分で言い切るの、桜都さんらしい」

 「残り半分は、動けばわかります」

 「それ、最近みんな言いますね」


 動けばわかる。

 その言葉ばかりで、ここまで来た気もする。

 だが本当に、止まっていたときよりは、わかることが増えている。


 夜更け前、あき子が試作の管へ最初の束を流し込んだ。

 薄い紙を十枚ずつ重ね、木枠へ差し込み、羽根を回す。徳信が梃子を押し、りゅうのすけが流路を覗き込み、友莉亜が息を殺して数を数える。


 ごう、と言うほどではない。

 すう、と、長く吸われる音だった。


 「行った」

 りゅうのすけが囁く。

 「会議室の裏手の受け口まで行った!」

 「本当?」

 友莉亜が跳ねる。

 「見てくる!」

 「転ぶな」

 泰雅が言うより先に彼女は走っていた。


 数十息のあと、役場の裏手から声が返る。

 「着いてる! 紙、ちゃんと着いてる!」


 物置の中で、小さな歓声が上がった。

 大成功とは言えない。束はまだ少ないし、管の継ぎ目から漏れる風もある。けれど、閉ざされた会議室の外から、札をその裏手まで送る道が、いま確かにつながった。


 桜都はその場で深く息をつき、目を閉じた。

 「間に合うかもしれません」

 「間に合わせるんです」

 泰雅が言う。

 「そうですね」

 彼女は目を開けた。

 「間に合わせましょう」


 物置の窓の向こうで、役場三階の西会議室は暗いままだった。

 布を掛けられた掲示板は見えない。扉もまだ閉ざされたままだ。

 それでも床の下では、言葉が気体にのって進み始めている。


 見えないものは、ないのと同じではない。

 誰にも見られずに運ばれるからこそ、町を支えるものもある。


 泰雅は送り込まれた札の控えを帳面へ書き写しながら、胸の奥で静かに確かめた。

 顔を測る鏡がどれだけ光ろうと、最後に灯を保つのは、こうして誰かの助かった一日を運んでいく流れなのだと。



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