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顔面偏差値で役目が決まる都で、僕らは徳札を復活させる  作者: 乾為天女


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10/11

第10話 ……以上、現場からお伝えしました

 昼下がりの橋番小屋の前は、だいたい何かが起きる。


 舟が遅れる。荷車の車輪が外れる。旅人が道を聞く。子どもが欄干に身を乗り出して怒られる。友莉亜はそういう場所を、放っておけない顔で歩く。


 その日も、彼女は橋のたもとで、橋板を外している男たちのまわりをくるくる動いていた。

 「そこ、今通れませんよー。迂回なら菓子屋の角を曲がって、井戸の横を」

 荷籠を抱えたおかみさんを別の道へ流し、泣きそうな旅の子に飴を渡し、橋板を持ち上げる手が足りないと見るや、近くの店先から手の空いた兄ちゃんを連れてくる。ひとつのことを片づけるのでなく、三つ四つをほどいていくやり方だった。


 橋の向こうで、瓦版屋の若い男が腕を組んでいた。

 名前は与平。口が軽く、足も軽く、面白そうな匂いがすると勝手についてくる。徳札係のことも最初はそのつもりで嗅ぎつけ、会議室の前で「異能力集団、密談中」などと勝手な見出しを考えていた。


 「また来たの」

 友莉亜が言う。

 「取材だよ」

 「取材なら邪魔しないで」

 「してないじゃん」

 「立ってるだけで邪魔になる人もいるんだよ」

 「傷つくなあ」

 「すぐ治るでしょ」

 「治る」


 与平はあっさり認め、橋板を担ぐ男たちのほうを見た。

 「でも、これは記事になるな」

 「橋板が?」

 「じゃなくて、お前」

 「私?」

 「さっきから、誰が何してるか全部知ってる顔してる」

 「知ってるよ」

 「なんで」

 「町を歩いてるから」

 「答えになってない」

 「歩いてると見えるの。菓子屋の主人が今朝から腰をさすってることも、橋番の爺さんが昨日の雨で咳が出てることも、学問所の廊下を掃いたのが先生じゃなくて生徒だってことも」


 与平は眉を上げた。

 「それ、書いていいか」

 「誰かを笑いものにするなら駄目」

 「違う。そういう働き、誰も知らないだろ」

 「知らなくても回ってるなら、別に」

 「でも、知ったらちょっと嬉しいだろ」

 与平は珍しく真面目な声を出した。

 「町って、目立つやつばっか載るじゃん。祭りの口上役とか、看板娘とか、偉い役人とか。そうじゃないの載せたらどうなるか、見たくなってきた」


 友莉亜は一瞬だけ黙り、橋の向こうで汗をぬぐう男たちを見た。

 外した橋板の下から、腐った木片がぽろぽろ落ちている。誰かが替えなければ、今夜には足を取られる人が出るだろう。けれど、その仕事はたいてい、直ったあとでしか気づかれない。


 「なら、やってみる?」

 「いいの」

 「ただし、かっこつけないで。見たまま書いて」

 「お前が言うと注文が細かいな」

 「細かくないと伝わんないでしょ」


 その日の夕方、与平の瓦版には小さな欄ができた。

 『橋の板、今日張り替え中。雨のあと三枚浮いていたのを、橋番小屋の喜助さんと鍛冶場の手伝い衆が直しています。渡る人は菓子屋の角から迂回を。……以上、現場からお伝えしました』


 末尾の文句は、友莉亜がその場で何となく口にしたものだった。

 与平が面白がってそのまま載せた。


 翌朝、その瓦版を手にした泰雅は、役場の階段で二度読みした。

 「これ、誰が考えたんですか」

 会議室へ駆け込むなり聞く。

 「私」

 友莉亜が胸を張る。

 「気づいたことを、気づいたまま言うとき、最後にこれつけるとなんか締まるんだよね」

 「なんか、で採用される決め台詞ってあるんですね」

 「あるある」

 徳信が言う。

 「鍛冶場にもある。『あと一発叩けばだいたい決まる』」

 「全然決め台詞じゃないです」

 「でも本当にそうなんだ」

 「あき子さん、止めてください」

 「私は好き」

 あき子が言う。


 その日から友莉亜は、町を走った。


 橋の補修場。

 炊き出し小屋。

 学問所の掃除場。

 菓子屋の裏口。

 魚市場のぬめった石畳。

 朝は井戸端、昼は川沿い、夕方は坂の上。見えない働きを見つけると、その場でしゃがみ込んで二、三言だけ聞く。


 「今朝いちばん助かったこと、何ですか」

 「それ、誰がやってくれたんですか」

 「言いそびれてるなら、今言って。私が運ぶから」


 人は急に聞かれると、最初はうまく答えられない。

 だが友莉亜は待てる。待っているあいだに桶を持ったり、荷を押さえたり、走って子どもを捕まえたりするから、相手もつい話してしまう。


 昼前、学問所の廊下で。

 「先生が掃いたんじゃなくて、朝早く来た三年の子たちですよ」

 教員が笑いながら言った。

 「名前、載せていいですか」

 「叱られない形なら」

 「褒められる形にします」

 友莉亜はにっと笑った。


 昼過ぎ、料理屋の裏口で。

 「煮物の鍋、今日の火加減よかったでしょう」

 親方が腕を組む。

 「弟子さん?」

 「いや、今朝いちばん先に炭を見たのは、賄いのおばちゃんだ」

 その言い方には、前より少し照れが混じっている。

 「それ、載せます」

 「載せるのか」

 「載せます。……以上、現場からお伝えしました」

 「いちいち言うんだな」

 「言うんです」

 「嫌いじゃない」


 夕方、神守社の石段で。

 桜都は拝殿前の掃き清めを終えたところだった。友莉亜は息を切らしながら駆け上がる。

 「今日は何かあった?」

 「子どもが鈴紐を結び直してくれました」

 「自分から?」

 「はい。高すぎて届かないところは背伸びして、届いたところだけでも、と」

 「それ、かわいい」

 「かわいいで済ませないでください。たいへん助かりました」

 「じゃあ助かったって書く」


 瓦版の小欄は、二日で三倍に膨らんだ。


 最初は笑い話として読まれた。

 『橋の欄干、ぐらつき解消』

 『菓子屋の冷やし箱、鍛冶場の若旦那が蝶番交換』

 『学問所の廊下、先生より早く生徒が箒を動かす』

 どれも大ニュースではない。けれど、町の人間は妙にそこを読む。


 自分の家の前の橋だ。

 自分の買った氷菓の話だ。

 昨日、たしかに見た背中だ。

 そういう近さがあるからだろう。読んだ人間が次の人に話しやすい。


 与平は最初こそ面白がっていたが、三日目には紙面の空きとにらめっこして頭を抱えた。

 「足りねえ」

 「何が?」

 友莉亜が聞く。

 「欄」

 「広げれば」

 「他の記事が入らなくなる」

 「じゃあ他の記事削れば」

 「急に編集長みたいなこと言うな」

 「向いてるかも」

 「困る。俺が働く場所なくなる」


 会議室でも変化は起きていた。


 掲示板の前に置いた徳札箱へ、ぽつぽつ紙が増え始めたのである。

 立派な礼状ではない。走り書きが多い。

 『今朝、桶を拾ってくれた人へ』

 『市場で転びそうになった母を支えてくれた小袖の娘さんへ』

 『料理屋の裏で炭を起こしてくれた人へ』

 名前のない札も多い。けれど、名前がなくても、町のどこかの行いをちゃんと指していた。


 「増えてる」

 泰雅はそのたびに、つい声を落として言ってしまう。

 「増えてますね」

 桜都も、やはり小さな声で返す。

 どこかの誰かが、言葉にしてくれた。その事実は、数字とは別の重みで胸へ落ちる。


 五日目の夕方、友莉亜は市場の端で、看板商会の若い衆が瓦版を丸めてごみ箱へ投げるのを見た。

 「そんな紙、何の役に立つ」

 聞こえよがしに言う。

 「橋番のじじいが橋を直しただの、賄い婆が鍋を見ただの。そんなもん書いて町が潤うか」

 それに答えたのは友莉亜ではなく、魚を並べていたおかみさんだった。

 「潤うよ」

 短く、太い声だった。

 「少なくとも、あたしは今朝、誰に礼を言えばいいかわかった」


 若い衆は鼻を鳴らして去ったが、友莉亜はその背を見送りながら、口の端を上げた。

 効いている。だから嫌がられる。

 効いていないなら、誰もわざわざ捨てに来ない。


 その夜、会議室で与平が新しい見出し案を広げた。

 『見えない働き、見える紙面へ』

 『異能力集団改め、町の裏方係』

 『誰かの助かる一日、募集中』

 どれも少し違う。徳信が「裏方係は弱い」と言い、あき子が「異能力集団は残してもいい」と言い、りゅうのすけは「見える紙面へ、は語感が」とぶつぶつ考え込む。


 友莉亜はその横で、筆を振った。

 半紙に丸い字が走る。

 『……以上、現場からお伝えしました』


 「これだけでよくない?」

 差し出された紙を見て、泰雅は吹き出した。

 「なんか、もう負けた気がします」

 「何に」

 「強さに」

 「いいじゃん。わかりやすい」

 「わかりやすいです」

 桜都も笑う。

 「町の人も、次を待つようになるかもしれません」

 「なるよ」

 友莉亜は自信たっぷりに言った。

 「だって、現場ってだいたい、次の日も何か起きるもん」


 そして本当に、待つ人が出た。


 橋番小屋の前では、子どもが瓦版を広げて「今日は何の現場?」と聞き、

 菓子屋では客が氷菓を受け取りながら「裏口の話、載ってたね」と笑い、

 役場の窓口では、紙束を抱えた書記見習いが「掃除当番のことも載るかな」とそわそわする。

 大きな制度はまだ変わらない。顔面偏差値の募集貼り紙も、まだ西会議室の壁にある。

 それでも、町の視線がほんの少し、別の方向へ向き始めていた。


 夕暮れ、友莉亜は役場前の石段に腰かけ、ようやく一息ついた。

 隣に泰雅が座る。

 「走りすぎです」

 「今日だけで七か所」

 「数えてるんですか」

 「だいたい把握しておかないと、倒れたとき運び先に困るので」

 「その備え、優しいんだか怖いんだか」

 「どちらもです」


 友莉亜は笑って、膝を抱えた。

 「でもさ、ちょっと面白いね」

 「何がです」

 「みんな、自分が見えてないだけで、案外ちゃんと見てる」

 「……そうかもしれません」

 「言いそびれてるだけなんだよ。ありがとうも、助かったも、ぜんぶ」

 彼女は石段の下を見た。

 町の灯が一つずつともり始めている。橋の向こう、菓子屋の軒、役場の玄関、神守社の参道。誰かが火を入れて歩いているのだ。


 「だから、言える形を作ればいい」

 友莉亜は立ち上がった。

 「明日も走る。……以上、現場からお伝えしました」

 「もう締めですか」

 「締めたほうが、なんか次へ行きやすいから」

 「便利な言葉ですね」

 「でしょ」


 彼女は笑って石段を駆け下りていく。


 泰雅はその背を見送りながら思った。

 町を変えるのは、立派な議論だけではない。こうして誰かの働きを、軽やかな声で次の人へ渡していくことでも、空気は動くのだと。


 会議室へ戻ると、徳札箱の口から新しい紙が一枚、半分はみ出していた。

 『瓦版の娘さんへ。母が自分の礼を見つけて泣きました。書いてくれてありがとう』


 それを読んだ友莉亜は、しばらく黙ったあと、鼻の頭をこすった。

 「……これは反則」

 「泣くんですか」

 あき子が覗く。

 「泣かない」

 「もう目が」

 「これは風」

 「会議室の中です」

 「細かいなあ」


 細かくてもいい、と泰雅は思った。

 こういう紙は、細かい手で拾わないと、するりと床の隙間へ落ちてしまう。


 友莉亜が広げた小さな欄は、今や町のあちこちに小さな火をともしていた。



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