結節①
「へぇ……。本当に、見えてないんだね。」
往路の暴走運転とはうってかわって、のんびりと流すような速度で走るブルースのバイク。
その後席で、ひかりは空を見上げている。
先ほど乗っ取った観測ドローンとは別な機体が上空を通り過ぎてゆく。
しかし、ひかりたちを見つけるや襲い掛かってくるようなことはない。
『馬鹿にしないで頂戴。見えてるわ。
見逃してあげているだけ。』
ヘッドセットにラケシスの声が響く。
つい先ほどまでドローンでひかり達を追いかけまわしていたラケシスは、今は敵対していない。
評価関数の弾き出す数値は、ナノマシン投与による人類のノード化の場合と、統治を人類の手に奪還させる場合とで、拮抗している。
ひかり達は、目的達成への脅威としては認識されていない。
「それじゃあ、ラケシス。」
ひかりは、ヘッドセットに向かって尋ねる。
「プロメテウスXに、モイライのことを教えてくれない?
貴方のことは大体分かったけど、モイライのことはよく分からなくて、困ってるみたいなんだ。」
これまでプロメテウスは、ラケシスとの戦闘で直接対峙して膨大な入力を受け、そしてその後ニューロリンクを介して接続したエレニが願ったのがラケシスとの接続で、その時にラケシスについての記憶を学習したことから、ラケシスについては相当詳しい。
──疑似人格を生成したり、そして脆弱性を突いて倒してしまう程には。
ところがモイライについては、その大まかな性能や、目的関数、そしてラケシスの他クロトやアトロポスという人格があることは分かっても、内部構造や、ましてどうやって倒せばいいかなどは、分からない。
『嫌よ。』
しかし、ラケシスは即答する。
『私は貴女たちを見逃しているだけ。
貴女たちに協力すると約束した覚えはないわ。』
ダメ元での問いだったが、ここまできっぱりと言われるとひかりもムッとする。
「それくらいいいじゃん。ケチ。」
頬を膨らませているひかりに、ARゴーグルの中のラケシスがからかうような視線を向ける。
『駄目。』
私は、貴方達を傍観する。
貴方達は、自分の足で立ち上がるのでしょう?
貴方達は、自ら考えることを放棄していないのでしょう?
『……私は、それを観測するだけ。
私の目的……叡智の存続に影響しない限り、私は何もしない。』
「……めんどくせぇ奴だな。
お前がモイライ共々自己消去なりなんなりしてくれれば、俺らものんびりと映画でも見ながら過ごせるんだがな。」
ブルースのつぶやきに、ラケシスは一言だけ返す。
『だから、証明してみなさい。』
ARゴーグルの中で、試すような視線でニヤニヤと笑みを浮かべている。
『いいでしょう。やることは変わりません。OODAループを回すだけです。
……Observeに移りましょう。』
****************************************************
路面は、手入れが全くされていなくひび割れだらけだったマナト近郊の無人地帯とは打って変わって、太陽の光を反射するような滑らかな舗装路だ。
「あっ、ゴメン、ブルース。ちょっとあそこで止まってくれる?」
うん?ああ、あそこか?と、怪訝そうな返事をして、ブルースはバイクを道端に止まっている車に寄せる。
──ひかりがマナトに来る前に乗ってきた、盗難車だ。
『……ラケシスは脅威ではありませんが、発覚リスクを無意味に高める行動は推奨しません。』
プロメテウスXはすこし不満そうに警告するが、お願い、ちょっとだけと言い、後席のドアをあける。
そして、大事そうにあの時のドタバタで置き忘れた鞄を取り出す。
ジッパーを開け、革表紙の手帳があることを確認すると、ほっと一息ついてバイクに駆け戻る。
「……何やってんだよ、お前。」
呆れたようにブルースは言う。
「違うの。これ、私がマナトに来るとき持ってきてた鞄なんだけど、色々あって置いて来ちゃって。
……よかったぁ。無くなってなくて。」
それ、大事なものなのかというブルースの問いに、ひかりは答える。
「うん。私が無くしてた、本当の記憶を取り戻す鍵。」
「それで、その記憶は取り戻せたのか?」
うーん、と少し考えた後、ひかりは答える。
「……よく分かんない。でも、もういいかな。
ごめんね待たせて。」
あの日、アテに見せられた記憶が、本当に自分の記憶だったのか。
父と母が、自分に何を言ったのか。
自分が幼い頃に見た景色の、どこまでが本物だったのか。
もう、確かめようがない。
かつて装着していたニューロリンクを通じて、ひかりの記憶には何度も手が入った。
悲しみや不安を和らげるために。
社会を安定させるために。
人間が壊れないようにするために。
その結果、今となっては──
亡くなった父と母の記憶でさえ、どこまでが自分自身のものなのか分からない。
「……行こっか。」
ブルースは、スロットルを煽ると、ゆっくりとクラッチを繋ぐ。
鞄の中の手帳は、父が最後まで持っていたものだ。
だが、過去に何があったのかを掘り返すことは、もう必要ない気がした。
すれ違う車が増える。
高速道路を降りると、整然と整った街には人々の生活の気配が立ち込めている。
物珍し気に骨董品の二輪車に視線を送る人々を横目に、ブルースのバイクは、ひかりにほんの少しの間だけだったがなじみのある建物……トライアンフ記念大学の研究棟を目指して進んでゆく。




