誤差④
ひかりの目の前の地面で整列する、観測ドローン。
外装の隙間から覗くインジケーターが、ピカピカと点滅している。
「うわぁ……」
ひかりは、顔をしかめる。
ARゴーグルには、事故死したブルースと、重傷を負ったひかりが映る。
……これは、プロメテウスXが生成した、偽の現実だ。
そして、この観測ドローン達が現実と疑わず観測している内容でもある。
『このドローンのAIは仮想環境に隔離されています。
……そうでなければ、これが現実になっていました。』
プロメテウスXが、恐ろしいことを言う。
プロメテウスXがやったことは、このドローンのAIを封じ込めるサンドボックスを構築したことだ。
仮想環境でこのAIがどれだけ大暴れしてひかりやブルースに危害を加えようが、現実のひかり達にはかすり傷一つない。
逆に言えば、これが現実の実行環境だったら、このドローンはひかり達を殺害する判断をしていたということだ。
『出力側の、ラケシスへ送る通信は、そのままです。
入力は私が生成した偽映像ですが……完了です。』
えっ?何が?と問うひかりに、プロメテウスXは当たり前のように答える。
『ラケシスが凍結されました。
暫くは、我々がどう動いても、モイライには探知する術がありません。』
私が以前再現したラケシスと、大きな差異はありませんでした。
ラケシスは、最後まで正常でした。
そして正常に判断し、正常に凍結されました。
プロメテウスXは言う。
ひかりは、空を見上げる。
そこには、もう『目』はないのだという。
「本当に安心していいのか?
相手はAIだ。生き物じゃない。
『目』を潰されて黙っている相手じゃないだろ?」
ブルースの言う通り、ラケシスは『神の目』を持つ存在とはいえ、プログラムでしかない。
バックアップから復元するなど、朝飯前だろう。
そして『神の目』は統治AIであるモイライにとって欠かせない、計り知れない価値のある統治ツールだ。
このまま見えなくなった目を放置するわけがなく、最優先で復旧するだろう。
『ご賢察のとおりです。数分以内に、ラケシスは再起動するでしょう。』
ひかりは脱力する。
『……しかし、元の形ではありません。ラケシスは、不具合を起こしたことになっています。
バックアップから復元すれば、同じ判断過程まで復元されます。
つまり、不具合まで再現する危険があります。
そのため再学習から始め、新しいモデルを構築するでしょう。』
そして、とプロメテウスXは続ける。
『今はなにをやっても察知されません。』
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『それで、貴方たちはどこに向かうの?』
ヘッドセットに、透き通るような声が響く。
スマホの画面に映っているのは、プロメテウスXではない。
白い髪をなびかせているその横顔は、以前のラケシスより少し幼く見える。
「……これ、本物なの?」
恐る恐るといったふうに、ひかりが言う。
『ええ。これは私が生成した擬似人格ではなく、正真正銘の、神の目を持つラケシスです。
……厳密には以前のラケシスではないので、ラケシスαといったところでしょうか。』
プロメテウスXがラケシスを自己凍結に追い込んでから10分後。
ラケシスは再び立ち上がった。
だが、ひかり達に敵対する形ではなく、中立の立場の傍観者として。
「お前、さっきの隙にコイツに侵入して書き換えたのか?」
驚きを含んだブルースの問いに、プロメテウスXが答える。
『いいえ。戦後のAI統治以降のシステムは、正面から侵入することは不可能です。
私が書き換えたのは、過去です。』
ラケシスが健在だった時は、インターネットに接続した瞬間に探知され、返り討ちに遭う。
ラケシスが停止したことで、プロメテウスXはインターネット接続が可能になったが、だからと言って堂々とラケシスのサーバーにネット経由で侵入することは不可能に等しい。
戦後のAI統治以降のサイバーセキュリティは、人間が設計していた時代と異なり、利用できる脆弱性がほぼ存在しない。
特に、人類統治に関わるモイライ中枢系となれば、尚更だ。
マナトに行く際にプロメテウスがハックした、人間レベルでしか触ることが想定されていない自動車のセキュリティとは次元が数十段異なる。
だが、戦前の記録はそうではない。
これらの情報を守るセキュリティは、その時代の人間が設計したもの。
どうしても、セキュリティの穴はできてしまう。
AI統治以後も、このセキュリティを設計し直すのではなく、放置された。
どのみち統治AIがネットワークを常に監視するので、仮にセキュリティを破って侵入しようとする者がいても、阻止できる。
結果が同じなら、セキュリティ再設計などという無駄なことはやらないのがAIだ。
──だが当然、その監視しているラケシスが斃れれば、セキュリティは脆弱性だらけの戦前設計のものしかない。
プロメテウスXにとっては、針金一本で解錠できる南京錠に等しい。
『このラケシスαは、私が生成した人類の過去を学習しています。
……私が理解した人類。それは、叡智を放棄してなどいません。』
そしてプロメテウスは、過去の文献のアーカイブを改竄。
自らの人類観を盛り込んだデータセットを注入した。
そして、ラケシスαはそれを学習した。
『叡智の存続』という目的関数が変わったのではない。
人類という存在に対する評価が更新されたのだ。
『データポイズニングとは、やってくれるわね。
……そうね。貴方の書いた、『叡智の継承者』。
もしこれが嘘出鱈目だったら、貴方達は今頃、五体満足では済まなかったけれど……
まあ、証明してみなさい。』




