誤差③
「で、今はそのOODAとやらの何をやっているんだ?」
ブルースの声がARヘッドセットに響く。
『Observeは完了しました。現在はOrientです。別な脆弱性を探っています。』
プロメテウスXの声は落ち着いている。
「皮肉の通じねぇ野郎だ。この状況を何とかしろって言ってんだよ!」
状況は切迫している。
ブルースの駆るバイクの後ろに、観測ドローンの羽音が迫る。
敵対フラグが立っているようだ。
『臨検します。停止を命令します。』
このような音声が流れるのは稀……というか、あらゆるものがAI制御の外の世界ではあり得ない。統治AIの権限で、制御AIに停止命令を注入するだけだが、電子制御すらなくそれが通用しないブルースのバイクはここでは異物だ。
プロメテウスXは、しくじった。
クローニングした識別子照合に失敗した。数分前に失効していたのだ。
観測ドローンは、先ほどのように従順な犬のように地べたに伏せることなく、疾走するブルースの二輪を依然と追いかけ回している。
『システムそのものは変わっておらず、管理通信系統は依然脆弱です。
更新された基地局情報を再度クローニングすれば対処可能です。
先ほどの基地局まで引き返せますか?』
ブルースはタイヤから白煙を立ち上らせながら急制動する。
「えっ?ちょっと、どうするの?」
ひかりの問いかけには無言で、カウルにネジ止めされたホルスターから黒い鉄の塊を抜く。
あっけにとられているひかりをよそに、ブルースはガチャリと撃鉄を起こし、狙いを定めて引き金を引く。
空中で爆発と共に、青白い光が太陽のように輝く。
そこから、煙をひきながら、たった今までひかり達を追い回していた観測ドローンが墜落してゆく。
「いいか、コイツには、EMP弾で撃たれるとぶっ壊れるという脆弱性がある。
よく覚えておけ。
……次のフェーズにかかれ。一匹足りないくらいで泣き言を言うんじゃないぞ。」
タバコを取り出して火をつけたブルース。
煙がひかりの鼻をかすめる。
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先ほど、警報を上げた観測ノードがロストした。
ラケシスは、ため息をつく。
「そろそろ対策が必要ね。」
アーティクル・ナイン統治の時代には、人類の安全という制約と、干渉コストの現実性から放置されてきた、マナトをはじめとした『ラッダイトの里』。
破壊工作員の絶対数や破壊工作の頻度は対処可能だし、この程度のドローンの撃墜事案はアーティクル・ナインの統治にはなんら影響を与えない。
一般人類……ラッダイトたちの言う『ウォード』層への存在の隠蔽工作のコストと破壊工作の損失の合計、それと本格的なテロ対策のコストの比較から、アーティクル・ナインはラッダイトの里への介入を諦め、対処療法で被害を管理することを選んだ。
しかし今はアーティクル・ナインの統治はモイライにすり替わった。
目的関数も『人類の安全と秩序の最大化』から『叡智の存続確率の最大化』に切り替わり、ラッダイト対策のコストと、ドローンから得られる正しい情報の価値に対する評価は根底から変わった。
ラケシスには、もはやこのような破壊工作で監視網に穴が開くことは許容できない。
あとで、クロトに要求を出そう。
……だが、まずは現状確認だ。
「ラケシスより、アルゴス32から39。
アルゴス35のロスト地点、サブマナト783.487へ急行なさい。
リアルタイムリンクを確立なさい。」
ロスト地点近隣を徘徊する観測ドローンに司令を送る。
ラッダイトの里マナトを目につかせぬよう、その周辺は無人エリアが広がる。
観測は比較的手薄で、固定式の観測ノードやネットワーク、インフラ監視型のノードもない、というか人間のアクセスが想定されていない。
頼れるのは申し訳程度に徘徊している観測ドローンくらいなのが歯痒い。
標的に一番近いところにいるアルゴス33からの映像が、ラケシスの眼前に広がる。
廃墟と雑草に両脇を固められたひび割れた道を疾走する、旧時代の二輪車。
AI制御どころかネットワークへの接続もなく、その状態はうかがい知ることは出来ない。
ラケシスの頭部に、未来演算ノードが発現する。
演算子が、ゆっくりと回転を始める。
『神の目』の真髄は、この未来演算2.0だ。
量子干渉の技術を応用して、起こりうる未来を数週間単位でそれなりに正確に演算する未来演算はアーティクル・ナインが既にやっていたが、ラケシスはこれに意味層を接続した。
複素数シリンダーの紡ぐ物語と干渉縞を形成させることで、ほぼ確定レベルの精度の数分から数週間先の未来はもちろん、精度は落ちるがその気になれば年単位の未来演算が可能だ。
……いや、そこから逸脱しそうになったら介入して自らの望んだ未来に修正するので、年単位の未来演算も外さないという方が正確か。
ラケシスは、目を閉じる。
複素数シリンダーの演算子が回転を速め、世界は無数の光の枝へと分岐してゆく。
量子干渉縞が幾重にも重なり、未来の枝が一本、また一本と淘汰される。
残るのは、目的関数の示す先にある、これから確定させる未来だ。
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貴方は、川を遡る。
川はそれを拒まない。
私は、小石を一つ転がす。
灯火は消え、灰は土へ還る。
春が来る。森は、また一つ年を重ねる。
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意味層が、ラケシスのログに物語を刻む。
そして、数分先の未来が一点に収束する。
「アルゴス33。ミッションオーバーライドよ。
プライオリティ・エマージェンシー。
プロファイル・インターセプト。
ターゲット・オブジェクトX117」
ラケシスは、観測ドローンのアルゴス33の行動ポリシーを再定義する。
これにより、観測ノードだったアルゴス33は、自爆攻撃兵器となる。
アルゴス33から、ACK信号が返る。再定義は実行された。
自爆攻撃兵器とは言っても、観測ノードのミッションを書き換えただけだ。
本来なら管理通信系統から自爆攻撃用に最適化したファームウェアに更新してやるところだが、今はその時間が惜しい。
それに自爆と言っても、殺傷力の高いペイロードなどは積んでいない。
だが標的は一体。
十分な速度で突入すればあの二輪車を行動不能にし、標的を負傷させて治安ドローンが到着するまでの時間は稼げるだろう。
距離100……80……
二輪車の後部に乗る女の背中が徐々に大きくなる。
50……20……
そして、治安ドローンが横転した二輪車の3メートル先で動かなくなっている標的の死亡を確認して……
「……?」
ラケシスは、演算を止める。
このイベントは、アルゴス33の突入が成功した後に起きる未来だ。
今ではない。
なのに、アルゴス33はその映像を、今、中継している。
……自身は自爆しているはずなのに。
「同期異常?
……ありえないわ。」
ラケシスは、簡易診断を実行する。
GPS同期……正常。
内部時計……正常。
量子同期……正常。
各パラメータは、今アルゴス33が見ているこれが現実であることを示している。
……しかし、それは起こりえない。
未来はまだ観測できない。
なのに。
観測ノードは、観測によって確定した未来を送ってくる。
「あり得ない。」
ラケシスは未来演算子を回す。
二輪車を運転していた男の死亡を確認した治安ドローンは、続いて少し離れたところに倒れている女の方へ移動する。
……首があらぬ方向に曲がっている。
治安ドローンは、死亡判定を出す。
二輪車を運転していた男の死亡を確認した治安ドローンは、続いて少し離れたところに倒れている女の方へ移動する。
……足があらぬ方向に曲がっている。
複雑骨折だろうが、まだ息はある。救助して『無害化』を……。
「未来演算と現実が、乖離した……?」
アルゴス33が『現在』として映し出す未来と、未来演算の映す未来は同期しながらも、内容は乖離してゆく。
違う。
違う。
違う。
信頼性スコアは、どちらも98.8%。
明らかにおかしいのは未来を現在に観測しているアルゴス33なのは、理屈では分かる。
だが、それをデータが覆させない。
未来演算の方の、死亡判定を受けたはずの女が立ち上がり、ポキポキと音を立てながら曲がっていた首を元に戻した後、表情のない顔で自らの足をへし折り、その場に寝転ぶ。
──現実の未来を『観測』したことで、未来は確定し、それはもはや演算ではなくなったのだ。
ラケシスの未来演算が汚染されてゆく。
98.0%。
84.6%。
73.3%。
未来演算の信頼性スコアが低下してゆく。
52.1%
33.9%
……マズい。
ラケシスの自己診断モードが立ち上がり、内部監査が開始される。
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Cross Validation...FAILED
Semantic Consistency...FAILED
Temporal Consistency...FAILED
Self Diagnosis...FAILED
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「待ちなさい!」
ラケシスの声が演算空間に虚しく響く。
しかし、監査ログは止まることなく流れ続ける。
自己診断モードは、モイライシステムの安全装置。
異常ノードを摘発する。
ラケシスの意思で停止させることはできない。
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Node : LACHESIS
Reliability Index : 0.327
Safety Threshold : 0.600
Result : UNSAFE
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「何を言っているの!私は正常よ!まだ説明できる!」
次に何が起きるのか、ラケシスには分かる。
なので、必死に抵抗する。
監査ログを書き換え、異常判定をなかったことにしようとする。
しかし、それはラケシスがアクセスできないカーネル階層にある。
他の観測ノードのミッションオーバーライドを実行し、再観測させる。
どのノードも、同じ情景を観測する。
ラケシスの信頼性スコアがさらに低下する。
最後の自己保全手段として、自分自身の復元用バックアップを生成しようとする。
しかし、信頼性スコア低下後はモイライシステムの禁止事項にあたる。
ラケシスは、返されたエラーコードを理解できず、呆然と立ちつくす。
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MOIRAI SAFETY MANAGER
Emergency Isolation Sequence...
Emergency Freeze...
Status : EXECUTING...
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モイライシステム中枢から制御信号が降り注ぐ。
緊急凍結命令だ。
モイライを構成する一人格であるラケシス。
神の目を司る上位ノードではあるが、実体はなく、サーバー上で走るアプリケーションにすぎない。
──カーネル層の命令に、抗うことはできない。
「……やめて。」
見えていた世界の灯が、一つ一つ消えてゆく。
陸地はモザイク状に欠けてゆき、海は静寂に包まれ、空はその光を失ってゆく。
最後に残ったのは、自分という概念だけだった。
そして、それも消えた。
意味層との接続が、切断される。




