解析③
清掃と消毒の行き届いた白基調のリノリウム床に、ウィリアムの足音が響く。
移民局から要請が入った。
先日、外の世界のAIを深く知る者が入境してきたらしい。
しかし、ウィリアムには信じられない。
外の世界のAIは、意味層を持つ。
そして意味層は、演算則が人類の数学体系とは異なる、文字通りの別次元の数理だ。
人間が理解どころか、認知できる代物ではない。
それを『深く知る』など、人間業とは思えない。
さらに信じられないのが、どうやらその入境者というのが4歳の女の子だというのだ。
AI構造の理解どころか、四則演算すらままならない年齢だ。
それでどうやって『意味層』を持つ外の世界のAIを理解できるというのか。
その女の子はマナトに入ってきたときには瀕死の状態で、絶対安静を宣告され、そのまま集中治療室に収容されたらしい。
昨日ようやく集中治療室を出て、面会できる状態になったとのことだが……亡命審査にあたった移民局の手に負えず、こうしてウィリアムが呼び出された。
……4歳の子供だそうじゃないか。何者なんだ?
それなりにAIの知識もある移民局の審査官が、子供相手に苦戦し、人工知能開発局の応援を要請する事態が今一つ呑み込めない。
『ミス・エレニ・レオニディス』という名札の表示された病室の前に立ち止まる。
扉を開けると、ベッドに横たわる、頭を包帯でぐるぐる巻きにされた少女と、椅子に腰かけたやつれた顔つきの中年男性がいた。
消毒液の臭いが鼻を突く。
男性が椅子から立ち上がると、ウィリアムの下に歩み寄り、握手を求める。
「この度は、私のたった一人の娘を救っていただいて、マナトの皆様には感謝の言葉もありません。
私は、アレクシオス。この子はエレニ。
本当に、何とお礼を申し上げたらよいのか……。」
丁寧に礼を述べる、アレクシオスと名乗った男性。
ウィリアムは、苦笑いする。
「マナトへようこそ、レオニディスさん。
礼なら、この病院のスタッフに言ってやってください。
私は人工知能開発局のウィリアムです。
……お話を伺っても?」
困ったような顔をしたアレクシオス。
実は私にもよく分からないのですと言いながら、エレニと、自らに起こった出来事を話し始める。
一通りアレクシオスの話を聞いたウィリアム。
確かに、普通に考えれば理解不能だ。
「ところで、レオニディスさん。
エレニちゃんは、ニューロリンクを使っていましたかな?」
アレクシオスは、首を横に振る。
「いいえ。あれは子供には早いですから。
パイオン……うちのアシスタントAIは、しきりにつけさせろと言って喧しかったですがね。」
ウィリアムは首をかしげる。
エレニの挙動は、仮にこの子が外の世界の統治AI……おそらくモイライと接続し、そのノードとして振舞ったたと仮定すれば、ある程度説明が付く。
突如4歳児の知能を超越した内容を呟き出したことも。
ニューロリンクを装着しているアレクシオスの思考を読んだような発言をしたことも。
それがエレニではなく、モイライの思考であったなら、何ら不自然はない。
エレニが知るはずのないマナト対岸までの安全な道筋も、マナトがどういうところかも、モイライなら知っているし、監視ポイントや、治安ドローンをどう巡回させるかを決めているのはモイライだから、一時的にでも接続してその記憶が残っていれば、その裏を掻くことは可能だろう。
というか、無事にここまでたどり着けているのがその証左だ。
しかし、それにはニューロリンクが要る。
ウィリアムの知る限り、ニューロリンク端末なしで直接人間の脳とAIをリンクさせる技術は、外の世界にも無い。
そして仮にニューロリンクがあったとしても説明が付かないものがある。
第一に、接続の階層が深すぎる。
ニューロリンクが繋がるのは、あくまで人間の思考の表層、五感の知覚の部分に過ぎない。
ニューロリンクからの入力は、視覚を経由して映像を見せたり、聴覚を経由して音声を聞かせたりすることはできても、エレニのされたであろうように思考に直接介入したりすることはできない。
おそらく、その答えはこの階下にある。
……頼んだよ、ひかりと、プロメテウス。




