解析②
「パパ、ここまで来れば、怖い神様は追いかけて来れないよ。」
アレクシオスの腕の中で、頭を包帯でぐるぐる巻きにされた女の子が弱々しく言う。
後遺症から舌がうまく動かないらしく、発語がたどたどしい。
……こんなところまで来てしまったが、ここからどうすればいいのか。
アレクシオスは、木陰から恐る恐る辺りを見渡して警戒している。
目の前には、ゆったりと流れる大きな川が広がっている。
流れの中に巨大な崩れた高速道路の高架が突き刺さるその先には、かつてこのアトランティス連邦の中枢だった町、マナトが霞の中に浮かんでいる。
エレニの病巣摘出手術は、何とかやり切った。
いや、あれは病変組織などと言っていいものだっただろうか。
アレクシオスは、エレニの脳から摘出した不可解な物体を思い出す。
この時代、人間の医師が手術を執刀することなど、まずありえない。
より正確に、より細かい作業を、より手早くすることが出来る医療ドローンと、それを操作するAI。
戦前~戦中にかけては凄腕の外科医としてメスを握っていたアレクシオスにも、到底敵わない。
戦後のAI統治の時代、アレクシオスはAIを使う側──とアレクシオス自身は信じている──に回り、病める人々の治療にあたっていた。
しかし、エレニの手術にはAIやドローンを使うことはできなかった。
どういう訳かアレクシオスのアシスタントAI、パイオンは、エレニの病状を偽装し、隠蔽した。
エレニを殺そうとしていたとしか思えない。
半ば衝動的に、パイオンを破壊したのだ。
ただ、数年間のブランクがあるとはいえ、アレクシオスは凄腕の外科医だ。
エレニは、自分の手で救う。
そう決意し、エレニの開頭術を執刀した。
アレクシオスの指先が、手順を覚えていた。
一生残るであろう傷跡に心を痛めながら、エレニの頭部を縫合し、包帯を巻く。
昨日まで、鏡の前で自慢の髪を結んでいた小さな娘。
その頭皮に走る縫合痕を見て、アレクシオスは唇を噛む。
それでも心電図の波形は安定しており、規則正しい電子音を響かせる。
……終わった。
疲れがどっと出る。
手術台の脇に乗せられた膿盆の上にある、不可解な物体に目を落とす。
これは、何なのか。
それなりの執刀経験のあるアレクシオスも、こんなモノは見たことが無い。
直線的な人工物のような輪郭のそれは、どうやら骨と同じ材質のようだ。
そしてそこには、生体神経のようなものがまるで電子部品の回路のように表面を這っている。
血にまみれたそれは、とても自然にできた病変組織とは思えなかった。
しかし、人為的に埋め込まれたものとも思えない。
仮に人為的に埋め込んだものなら、どうやって埋め込んだというのだ。
確かなのは、これ以外、エレニが倒れた原因が思いつかないということだ。
しかし、これがどう作用したのかは全く分からない。
数時間後。
エレニの瞼がモソモソと動き、ゆっくりと開く。
「エレニ!」
アレクシオスはエレニの手を握り、呼びかける。
「……パパ。」
エレニの顔半分は引きつっている。
舌が絡まり、うまく発声できないようだ。
後遺症による半身麻痺。
それでも一命をとりとめた喜びと、今後一生この子が背負っていかねばならない後遺症と、綺麗な頭に残ってしまった傷跡の不憫さに、アレクシオスはむせび泣く。
「……逃げた方がいいよ。
怖い神様がね、パパを探しに来るよ。」
こうして、アレクシオスはこの川のほとりまで、エレニを連れて逃げてきた。
エレニはしきりに逃げろ逃げろと言った。
しかし術後は絶対安静だ。
「怖い神様が来ても、パパが守ってやる。」
そう言ってエレニを安心させようとしたが、不安に思っているのは自分自身だと気づいた。
突如4歳児離れしたことを語り始め、挙句の果てにアレクシオスの思考を読むようなことを言い出したエレニ。
エレニの症状をなぜか隠蔽しようとし、挙句殺そうとしたとしか思えないパイオン。
人為的に作られた訳がないが、自然にできた物ともとても思えない病変組織。
まともではないことが起きており、そして、その出来事はエレニを殺す方向に進んでいる。
悩みに悩んだが、アレクシオスは手術器具と薬品を鞄に詰め込み、エレニを背負ってクリニックを後にした。
──この場所についてから、どれくらい時間が経っただろうか。
遠くに霞むマナトの街を眺めながら、アレクシオスはため息を吐く。
この場所を、アレクシオスは知らない。
いや、マナト自体は戦前の、AI統治が始まる前にアレクシオスが青春を過ごした場所でありよく知っていたが、こんな川の畔など知るはずがない。
当然エレニも知るはずがないのだが、エレニは確信をもってアレクシオスに道案内した。
その結果、この場所にたどり着いた。
エレニはどういうつもりでこの場所に連れてきたのか。
体力も気力も限界だ。
それでも、どんな雑菌がいるか分からない地べたに術後のエレニを降ろすわけにはいかない。
抱きかかえる腕に、力を入れ直す。
そこで、アレクシオスの身体に緊張が走る。
遠くの方から、今ではすっかり聞くことの無くなった、内燃機関の排気音が聞こえてくる。




