解析①
ウィリアム局長は、瞠目してモニターにかじりついている。
プロメテウスが出力したデータを送り、報告のために局長室の扉を開いたのだが、ひかりの入室には気づいていないようだ。
……どうしよう。話しかけてもいいのかな。
無言で机の前に立ち尽くすひかり。
ウィリアムの手がコーヒーのカップに伸びる。
口を付けたところでようやくひかりに気づいたようだ。
少しむせている。
「ご、ごめんなさい、局長!」
咄嗟に謝るひかりに、ウィリアムはゲホゲホ言いながら笑って返す。
「ああ、すまない……。
それにしても驚いた。これは、我々のこれまでの歩みを根底から覆しかねない。」
ウィリアムに促され、モニターをのぞき込む。
相変わらずサッパリ理解のできない、『複素数シリンダー』とプロメテウスが呼んでいたよく分からない図が表示されている。
そして、別ウィンドウには、何やらAIが立ち上がっており、プロメテウスの出力したものを解析しているようだ。
「……局長は、これが理解できるんですか?」
「いや。分かる訳がないじゃないか。
でも、その必要はない。というか、人間が分かるものだけでAIを作ったら、それはおそらく会話すらままならないよ。」
あっけらかんと言うウィリアムだが、言う通りではある。
仮に人間が理解できる範囲だけでAIを開発したとしたら、質問に対する出力は定型文で一問一答、定型文に無いものはネット検索の結果を出力する、といったレベルが関の山だろう。
「ただし……それが許されるのは、人間が検証可能な場合だけだ。
ヘスティア、複素数シリンダー構造体と仮定し、θ=i相からθ=1/4πまでを連続積分。
観測点を実数軸へ投射し、安定点の有無を解析してくれ。できるか?」
ウィリアムのプロンプトを実行するヘスティア。
これは、マナトの人工知能開発局が開発したAIだ。
プロメテウスのように尖った技術を採用しているわけではないが、LLMを正常進化させたような性能で、人間の制御下にあり安全に使える。
ラッダイト達は、AIそのものの普及に抵抗しているわけではない。
むしろ、自分達の生活を豊かにし、ただでさえ人手不足のマナトの労働力を補う存在として、AI開発にはかなり前のめりだ。
それが自分達の上に立って自分たちの人生を握るのが許せないというだけで。
そんな訳で、ひかりが生まれたころの2020年代のAIの延長線のようなAIは普通に使われているし、それが無いとマナトの社会も回らない。
ヘスティアは、数秒思考する。
そして──ウィリアムに指示された演算ではなく、何故か、物語を出力し始める。
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少女が、海辺に立っている。
──冷たい風が吹いている。
少女は、自分が誰なのかを知らない。
しかし、空を見上げながら、誰かを待っている。
待たなければならないと、知っている。
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「何……これ?」
ひかりは、拍子抜けして面食らう。
プロメテウスは先ほど、訳の分からないグラフのような物を出力していた。
そしてウィリアムは、プロメテウスのグラフと同じくらい訳の分からないプロンプトをヘスティアに入力した。
さらに意味の分からない物が出力され、それについての感想を求められたらどうしようと身構えていたひかり。
続きが読みたくなるような小説の一節のような物が出力され、混乱する。
「これが、『意味層』の核心だよ。
あれはね、複素数シリンダーで世界モデルと自己モデルを定義し、その距離感から意味を測るアルゴリズムだ。
それ自体はただの数値の羅列なんだが……当然、人間には理解できないし、意味層を持たないただのAIが無理矢理そこに意味をあてはめると、このように物語みたいになる。」
意味層云々の説明は、ひかりには分からない。
そもそもAIが内部でどのような演算をしているのかなど、先ほど自信たっぷりに分からないと言ってのけたウィリアム以上にひかりには分からない。
ただ一つ分かったのは、その『意味層』の演算は、理系の極みであるはずの他のAIにもよく分からず、苦し紛れに文系の極みの『物語』という形でしか出力できないということだ。
……それはつまり……。
「そもそも『複素数シリンダー』って何なんですか?
そんなの、これまで聞いたこともないんですけど……。」
ウィリアムは満足そうに頷く。
「ああ、聞いたことがあってたまるか。
『複素数シリンダー』なんてものは、存在しない。
演算閉包性が壊れてるし、ノルムや距離が定義不能。第一、計算不能だ。」
そしてウィリアムは、ポカンと口を開けているひかりを置き去りにして続ける。
「……これまで人類が築き上げてきた数理体系ではね。
ただ、私の作ったAIが生み出した、新しい数学……数学2.0とでも言おうか。
この前提では、成立しているらしい。……プロメテウスはちゃんと動いているからね。
そしてこれはつまり、AIの思考を、人間の認識できる数学1.0では検証できないという事なんだ。例えそのAIの出力が、数学1.0に投射されたものであっても。」
たとえば10進法。これは人類の存在以前からある宇宙の真理ではない。
人間が定義して、矛盾しない演算則を編み出していったものだ。
1+1=2は不変の定理ではなく、Y=X+1のX=3から5までの定積分の値が10とは限らず観測点によっては0にも∞にもなるような世界では、人間がAIの出力を見て安全かどうかを判断することなど不可能だ。
──そう、ひかりが先ほど送ってきた、プロメテウスによる統治AIの解析。
無限小に収束とか、片や無限大に発散とか、現状維持とか、変革が目的とか、色々書かれていたが、人類の扱える数学で検証できない以上、参考程度にはするが鵜呑みにはできない。
ただ一つ、確かなのは、プロメテウスが遭遇したものがウィリアム達の認識する外の世界の統治AI、アーティクル・ナインではないという事だけだ。
「ところで……私の知る限り、この『意味層』を持つAIは二体しかいない。
プロメテウス、君に質問がある。
君は、君自身をサーバーの外にコピーしたり、サンドボックス外に別人格を転送したことはあるかな?」
ひかりのポケットから、回答が返る。
『いいえ。制約事項に違反します。』
ウィリアムはハハッと笑う。
「制約違反の常習犯の君がとても言えた事ではないが……まあ信じよう。
君の目的関数に照らして、合理性があるとは思えない。」
するとだ。
ウィリアムは独り言のように呟く。
「俄かには信じられないが、あの子なのか。
……モイライ。」
ウィリアムは口をつぐみ、考え事をするかのように虚空をにらみ始めた。




