価値⑤
「亡命申請は、承認されました。おめでとうございます。」
対面して座る、移民局の局長の席につくスーツ姿の女性。
にこやかな笑みをたたえて、ひかりに一枚の紙を差し出す。
そこには、宣誓書と書いてある。
「内容を一度お読みください。
同意いただけるようでしたら、ご署名ください。
そして、あちらに掲げられた国旗の前で、読み上げていただきます。
……ただし、一つ、条件があります。」
局長は、もう一枚の紙を差し出す。
そこには、雇用契約書と書かれている。
「貴女には、この『人工知能研究局』に勤務頂きます。
それが、貴女をこの町に受け入れる条件です。」
ひかりは、首を傾げる。
「人工知能研究局って……。
あの、『ラッダイト』は、AIに反対している人たちなんですよね?」
局長は、笑いながら首を横に振る。
「その『ラッダイト』という呼び名は、外の世界のAIが勝手に我々を指して言っているだけですね。
そして我々は、AIに反対しているのではありません。
主導権を人間の手に取り戻そうとしているだけです。」
曰く、この『ラッダイト』達にしてみれば、外の世界はAIにより不当に占拠されている状態にあるという。
……そこに住む人々の自覚は薄いが。
異常なのは外の世界であり、健全な状態にある自分達にわざわざ『ラッダイト』のような特別な呼び名を付ける必要は無く、強いて言えばそれは『アトランティス連邦マナト州民』と言う程度だ。
ラッダイト達は逆に外の世界の人間を『ウォード』と呼んで自分たちと区別し、AIに支配されている範囲のアトランティス連邦を『傀儡アトランティス』と呼んでいる。
侮蔑的ともとれる呼び方なので、単純に『外の世界』と呼ぶことの方が多いそうだが。
当然傀儡アトランティスの大統領など自分たちの代表と認めておらず、ラッダイト達自身で選挙を行い、独自の政府と大統領を立ち上げているのだという。
このラッダイト達の悲願は、AIの統治を終わらせ、人間による支配を取り戻すこと。
AI自体は人間の社会を発展させる重要なツールであり、開発は必要だが、それに全てを委ねている──しかもその自覚の薄いまま──外の世界は異常、というスタンスだ。
「それと……なんで私が、人工知能開発局に?」
差し出された雇用契約書を読んでいたひかりは、少々困惑している。
確かにひかりは、外の世界では大学の保全員としてサーバーメンテナンス等を担当していたが、それにしても異常な好待遇だ。
仮に物価が外の世界と同じだとすれば、とても、駆け出しの保全員の給与水準とは思えない。
対面する移民局長の表情が、少し引き締まる。
「……詳しいことはここでは話せませんので、一週間後の勤務開始後に局長に聞いてください。」
……どういうことだろう。
ひかりは怪訝に思うが、この条件を蹴って外の世界に戻るという選択肢はない。
ブルースが言っていた『無害化』のことを思い出し、身震いする。
ペン先が走る。
少し崩れて丸っこい、とても達筆とは言えない字で、ひかりは二枚の書類に署名する。
「これで貴女は、晴れて我々の同胞となりました。
国旗の前に、お進みください。」
にこやかに微笑む係員の女性に促され、ひかりは国旗の前に立つ。
宣誓書を読み上げる。
「……私は、本日この時を以て、アトランティス連邦の一員となることを志願します。
私は、この国の法と秩序を尊重し、その定めに従うことを誓います。」
……なんか、変な気持ちだな。
宣誓書を読み上げながら、ひかりは思う。
「……私は、自らの意思によってここに立ち、この国に属することを選びました。
ゆえに、その選択の結果に対する責任を、自らのものとして引き受けます。」
この宣誓書の文面には、力強く、共同体の一員としての自覚を持ち、その責務を果たすという強い決意がつづられている。
今、目の前にあるアトランティス連邦の国旗は、外の世界の『傀儡アトランティス』の国旗と同じだ。
しかしひかりが数週間前に旭日国から移住してきた際には、このように『今日からアトランティスの一員になるんだ』というようなことを意識したことはない。
第三次世界大戦後のAIによる統治。
国境という物は形骸化し、自らの出自を示す符号以上の意味はなくなっていた。
「……私は、この国において与えられる権利を当然のものとはせず、それが他者と共に成り立つものであることを忘れず、誠実に生きることを誓います。」
この部屋にいる移民局の職員たちは、起立し、国旗に向かって宣誓を述べるひかりの背を静かに見つめている。
「……以上をもって、私はアトランティス連邦の一員としての責務を引き受け、
その名に恥じぬ生き方をすることを、ここに誓います。」
ひかりの宣誓を聞き終えた職員たちが、パチパチと拍手する。
「アトランティス連邦へようこそ、光原さん。
新しい同胞として、歓迎します。」
移民局長が、ひかりに手を差し伸べる。
ひかりは、はにかみながらその手を取る。
……やっぱり、よく分かんないや。
宣誓書を読み上げたところで、ひかりの心に強烈な愛国心や、アトランティス連邦への帰属意識が生まれた訳では、当然ない。
というか、そういった概念自体がピンと来ない。
ひかりは、忘れている。
ほんの数年前の第三次世界大戦時には、モイライのプロパガンダにより、強烈な旭日国への帰属意識を持っていたことを。
そしてひかりは気づいていない。
その後のアーティクル・ナインの統治を受けるうちに、その概念そのものを忘却していたことを。




