価値①
ブルースは川の岸辺の古びた小屋のシャッターをガラガラと開ける。
中には、錆びついた燃料タンクや、部品や工具が乱雑に入れられた棚がある。
乗ってきたバイクをそこに格納したブルース。
棚から油で汚れたボロ布を取り、愛おしそうに車体を撫でる。
ひとしきり車体を撫でまわすと、今度はタンクからゴポゴポとオイルジョッキに燃料を受け、バイクに給油する。
……私はどうすればいいの。
ひかりは、小屋の外で放置されている。
ブルースの作業を手伝おうかとも思ったが、どう考えても出来そうにない。
これでも保全員の端くれ、こういうメカはムリでも電気だったら多少は触れる……と思ったが、それも違う気がしてきた。
それはブルースのバイクは点火系や灯火類以外ほぼ電気とは無縁だからということではない。
何と言うか、ブルースの作業には、ひかりの仕事にはないものがあるような気がする。
どちらが優れているとか、そういう次元の低い話ではなく、根本的に何かが異なる気がする。
楽しさ?……きっと違う。
本当に楽しそうにバイクと対話するブルースの姿を見ていると少し自信が無くなってくるが、ひかりだって自分の仕事は好きだ。
AIの進路相談に大反発してまで選んだ仕事だ。
毎日仕事に行くのは楽しみで仕方なかったし、配線を引き直したりソフトを編集している時は、この仕事を選んで本当によかったと思っている。
成果?……いや、この人が今やっているのは多分趣味みたいな領域だろう。
なんなら私の仕事の方が、役割は重い。
一端の有名大学の保全員であるということをひかりは誇らしく思っている。
ひかりの仕事がないと、大学は一週間ともたないだろう。
自分の仕事は、社会から必要とされているとひかりは確信している。
しかしブルースが今やっている作業は、どう見ても自己満足だ。
どうやらこの世界を統治する存在に唾を吐き喧嘩を吹っ掛けているらしいブルース。
逃走時の命綱であるバイクが壊れては命にかかわるだろうから、壊れないよう入念に整備するのはわかるのだが、外装にこびりついた泥を落とすのに10分はひかりを待たせて念入りに磨いている。
収入?……ちがう。
難しさ?……ちがう。
組織の強さ?……ちがう。
……わかんない。もういいや。
ひかりは、ここで思考放棄した。
心の中のモヤモヤに蓋をして、頭から追い払う。
ひかりは、気づかない。
この世界は人間の仕事は象徴的なもので、その実はAIが社会を回していることは知っている。
仮に人間が失敗したり、仕事を投げ出しても、なんなら凡庸に成功しても、AIが補正して結果が大成功になることに変わりがないことも知っている。
ただ、ひかりは気づかない。
ひかりの仕事の成果が、自分の作り出した価値だということを疑っていない。
失敗の責任を自分で引き受けていないことにも、気づかない。
ニューロリンクを持たないひかりにも、アーティクル・ナインそしてそれを引き継いだモイライの介入はこれだけ有効に機能していた。
ひとしきり作業を終えたブルース。
満足そうにバイクのカウルを一撫でしてシャッターを閉めると、桟橋に向かって歩いてゆく。
「おーい、ボケっと突っ立ってないで来いって。
……アレに乗るぞ。」
ブルースの指さす先には、小型のボートが留まっている。
ひかりは我に返り、ブルースの元に駆けてゆく。




