離脱⑤
タコメーターの針が、1万回転を示している。
甲高い排気音が空気を震わせ、フロントカウルが弾丸のように風を切る。
速度計は、見たくない。
路面の継ぎ目を前輪が拾い、車体が小さく跳ねる。
……ひぃっ!
たまらずひかりは、前に乗る男の腰に回した手に力を入れ、汗臭い革ジャケットに顔を押し付ける。
「悪い気分じゃないが姉ちゃん、落ちるなよ。
……この先もっと飛ばすぞ。」
風圧で男の声はよく聞こえない。
動力を内燃機関に頼り、電子制御すら碌に入っていない、前時代の遺物であるこの乗り物。
当然この世界を統治するAIとは繋がっておらず、その制御は及ばないどころか、走る場所によってはその姿を捕らえることすらできない。
ひかりと、この男のように、監視の目を盗んで身を躱すにはもってこいの乗り物だ。
クラッチレバーを握り、アクセルを一瞬捻ってエンジンに燃料と空気をぶち込む。
ガチャリと変速ペダルを踏みこむと、この男とひかりの跨る骨董品の二輪車は後ろに引っ張られるような加速で速度を上げてゆく。
──『ブルース』と名乗ったこの男。
ラッダイトの一人なのだという。
ニューロリンクを外せと言われ、フルフルと首を振りながら持っていませんと言った時には、中々信じてもらえなかったが、父の葬儀の際に破壊した旧型の埋め込み式ニューロリンクをむしり取った時の首筋の傷跡を指さし、納得してもらった。
「まあ、アレを付けた奴に銃を向けた時点で終わりだったけどな。アンタがそうじゃなくて助かったよ。
……しかし、何でこんなドローンに見つかったかな。今までこんなことなかったのに。」
状況が呑み込めないひかりを前に、路面に散らばった治安ドローンの残骸を一瞥するブルース。
「あのー、多分これ、私を捕まえに来たんだと……」
恐る恐る口を開くひかり。キョトンとした顔で顎をポリポリと掻くブルースに、ひかりは今までのことを説明する。
ブルースは豪快に笑う。
「そうかそうか。それなら、俺と来るか?
……アンタはもう、この世界じゃ生きていけない。
あと、多分アンタの目的地は、ウチの街だ。」
そう言うと男はスッと銃を構え、上空めがけて引き金を引く。
耳をつんざくような銃声に、ひかりは思わず目を閉じ、耳を押さえる。
数秒後、墜落したドローンが地面に激突し、黒煙を上げる。
……EMP弾は残り4発か。早めにずらかるか。
訳の分からない独り言をつぶやきながら、男はガチャリとレバーを操作し、排莢すると、ポケットから無造作に一掴み弾薬を取り出し、カチャカチャと装填する。
ジャキッと遊底を引き、レバーの位置を確かめ、バイクのカウルにネジ止めされたホルスターに銃をしまうと、男はひかりの方を向く。
「で、どうする?
こいつに乗るか、それとも機械ごときに捕まって『無害化』されるか、アンタが選べ。」
その言葉に、一にも二にもなく、ひかりはブルースのバイクの後席によじ登った。
──無害化。
このときひかりはそれがどういうことなのか知らなかったが、あとからブルースに教わり、ついていって本当によかったと思った。
この時代、そもそも犯罪というものは存在しない前提で社会が設計されている。
犯罪に走る動機は統治AIのミクロ調整層の介入で自覚なく潰される。
この世界で犯罪に走るのは、基本的には逸脱者か、AIとの接点がない者だけだ。
そしてそれらは、一般の『アクター』層から隔離され、忘れられる運命にある。
AIとの接点を拒絶する『ラッダイト』達は既に自らを隔離しているので、統治AIはその痕跡をアクターに見えないよう隠蔽するだけだ。
問題はアクター層からたまに出る逸脱者だが、これらは『無害化』される。
統治AIは、犯罪者の更生など目的にしない。やるのは最適化だ。
逸脱者は、つまるところAIが最大限のコストをかけて実施した介入が効かなかった相手だ。これ以上の介入は、コストが合わない。
「機械もアホだよな。そんなまどろっこしいことしないで、ムショにぶち込むか、ぶっ殺してやればいいだけなのに。」
ブルースは笑いながら言うが、前者はともかく後者はやりすぎだろう。
しかし、この世界で統治AIがやっていることは、それと同等以上にえげつない。
投薬して活力を失わせ、『ニート』の層に固定し、アクター層から隠蔽するのだ。
この処理を受けた人間は、夢も怒りもなく、ただ与えられたものを消費するだけの人間になる。
そして、アクター層との情報の接点は回避され、もともとそんな人間はいなかったかのように忘れ去られる。
転倒したら確実に命が無いであろう速度での逃避行に耐えられなくなったであろうひかりを気遣い立ち寄った、遺棄されているであろう道端の建物。
『安全地帯』とブルースが言っていた、埃だらけで乱雑にモノが散乱した建物内でその話を聞いたひかりは、もう何を信じてよいのか分からなくなる。
昨日までの日常の生活ではカスることもない、裏の社会。
情報量が多すぎ、何が本当で、自分は今まで何に騙されていたのか、それとも騙されていないのか。
頬を張ってみるが、ちゃんと感触がある。
夢でないことだけは確からしい。
『安全地帯』を出るひかりとブルース。
……このあたり一帯は雑草が生い茂り、道も荒れている。
通りかかる車も存在しない。
「あと10分くらいで着くぞ。
……ちょっと道を外れるけどな。」
そう言うとブルースは、元来た高速道路の本線ではなく、建物の裏手に向けてひかりを乗せたバイクを走らせる。
さび付いたフェンスの扉の向こう側には、未舗装の、バイク1台がやっと通れるほどの獣道が見える。
一旦バイクから降り、ブォンブォンとアイドリングするエンジン音を背中に受けながら、ギィと音を立てて扉を開けるブルース。
扉からはパラパラと、古い塗料が砕けて地面に落ちる。
無言で道を行くブルースとひかり。
先ほどのような高速走行ではないが、未舗装の悪路を行くだけに、揺れが酷い。
右手には、木々の隙間からさきほど走っていた巨大な高速道路の高架が見える。
それが、少し先でプッツリと途切れているように見える。
そうこうしているうちに、林の外にたどり着いた。
そこには、大きな川が流れていた。
先ほど途切れていたように見えた高速道路の高架は、この川のところで途切れているようだ。
意図的に破壊されたかのように、その断面は鉄筋がむき出しになり、崩れたようになっている。
川の流れの中には橋脚が残り、川に突き刺さるように崩れた高架がところどころ頭を出している。
……その橋がかつて繋がっていたであろう先には、摩天楼の立ち並ぶ、中洲の島が浮かんでいる。
「あれが、俺達の街。
──マナトだ。」




