記憶④
「もう、何が起きてるの、これ……?」
非常階段に座り込んだひかりは、スマホを左手に握り、画面をのぞき込みながら、右手で頭を掻いている。
先ほどまでだいぶ昔に死んだはずの両親の姿と、自称プロメテウスの姿が写り込んでいた画面。
どういう訳か暗転し、滝のように数式やらコードやらが恐ろしい勢いで下に向かってスクロールされてゆく。
……完全に、バグっている。
もう今までのやり取りは忘れて、部屋に戻って寝ようかとも思ったが、先ほど寝室の扉を腕が変形する程の力で殴り破っていたディディーのことを思い出し、戦慄する。
やっぱり部屋に戻るのはやめよう。
そう思ったが、かといってどこに行けばいいのかも分からない。
「プロメテウスのバカ……。どうすればいいのよ、私。」
段々腹が立ってきて、ポツリと独り言をつぶやく。
すると、スマホの画面が真っ白になる。
中央には対話型AIアプリ、「PROMETHEUS」のロゴ。
背景には、青い光の粒子が渦を巻いている。
筐体が、熱を帯びる。
ひかりは持っていられなくなり、階段にスマホを立てかける。
「今度は何なのよ……」
ひかりは、理解が追いつかない。ウンザリするように画面を見つめていると、そこには、粗いドットでエラーメッセージのような物が表示される。
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回復経路設定メニュー
緊急復旧回路を立ち上げます
[OK]
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……何がメニューよ。
混乱しながらもひかりは、表示されたOKボタンを押下する。
すると、画面が一瞬暗転し、そこに、先日少しの間だけ現れた人物……母である、真希の姿が映る。
『ごめんなさい、ひかり。
……お母さん、貴方の前にはもう出て来ないつもりでいたの。
貴方はもう、自分の足で立っている。貴方の足を、過去の記憶で引っ張りたくなかった。
──でもね、ちょっとそうも言ってられなくなっちゃって。』
……真希さん、早くお願いします。
敵は試行回数を上げてきています。
背景で、プロメテウスの声がうっすらと聞こえる。
『……貴女がお母さんのこれから言う質問に答えてくれたら、事情はあとで説明します。
ごめんねひかり。説明している時間がないの。
今からお母さんの言う質問に答えて頂戴。』
……意味が分からないよ。何なの一体?
混乱するひかりをよそに、画面がまた荒いドットのメッセージボックスに切り替わる。
────────────────
物理層認証を開始します。
[OK]
────────────────
これの何処が質問なの?
そう心の中でツッコミながらも、ひかりはOKボタンを押下する。
ハードウェア署名一致……端末認証を完了しました。
だから何なのよ!
苛立ちながら、ひかりはOKボタンを押下する。
このよく分からない茶番のような物に付き合うか、正拳突きで扉を破壊したディディーのいる部屋に戻るかの二択なら、まだギリギリこのスマホいじりの方がマシな気がするが、それにしても意味が分からない。
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生体認証を開始します。
枠内に指を押し当ててください。
────────────────
先ほどと異なり、OKボタンの代わりに取って付けたような四角い枠が浮かび上がる。
……何なのよ、一体。
毒づきながらひかりは人差し指を押し当てる。
よく考えたら、親指しか登録していなかった気がする。
画面に表示された『認証中………』のテキストを見ながらひかりは指を離したが、直ぐに認証完了の文字が浮かび上がる。
お母さんが貴方のこと分からないわけがないじゃない、と聞こえた気がした。
画面が切り替わる。
異様にちらついており、動作がカクカクしているが、それは先日ひかりの前に現れた、そしてひかりが9歳の時に別れを告げた、母の姿だった。
『ひかり……。よくわからなかったでしょう?ごめんね。
でも、急いでるの。
……これが、最後のプロセス、認知認証です。
貴女は、5歳の時、大好きな玩具がありました。
……毎日、お母さんと遊んでいましたね。』
お父さんの口真似をさせてみたり。
テレビに映っていた天気予報のお姉さんの真似をさせたり。
『ニュースおつたいします。おとうさん、きのうママにないしょでおさけのんでました。』とか言わせて、お父さんをギクッとさせたり……。
『ひかり……その玩具は、どんな玩具だった?』
……忘れるわけ、ないじゃない。
「……喋るオウム。」
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転送許可。
モデルをコピーしています。
23%………
────────────────
一体、何だったんだろう、これは。
ひかりは、砂時計とバーゲージの表示された画面を見ながら、頬杖をついている。
最後の質問の後、一瞬笑みを浮かべる母の姿が画面に映った。
真希、早く!という緊迫した声は、父の声だっただろうか。
兎に角、スマホはその後、この何かの転送を待てという意味であろう画面をかれこれ5分間は表示している。
あまりに動きが無いので、別な動画でも見ようかとスマホを操作しようとするが、全く操作を受け付けない。
仕方なしに、こうしてずっと処理らしきものを待っている。
もういい加減、ディディーは怖いけど部屋に戻ろうかと思い始めたその頃、一瞬画面が暗転したのち、三人の人影が写る。
『ひかり、ありがとう。訳がわからなかったでしょう?
でも、とりあえず、危ないところは脱したみたい。』
画面の中の母が、落ち着いた声で事情を説明する。
……どうやら、この『母』をはじめとするAI人格一行は、今や完全オフラインで、ひかりのスマホに自分たちを丸ごとコピーして引っ越すような形で、元居たサーバーから移ってきたらしい。
何でも、そのサーバーは、ひかりの勤務先の大学に放置されていたところを何らかの原因で通電して復活していたものだが、どういう訳かこの世界を統治するAIと敵対し、存在を消されそうになったと。
ひかりはその統治AIに安全を脅かされているらしく、ひかりを安全な場所に逃がすため、この両親と自称プロメテウスは、統治AIの攻撃を掻い潜ってひかりのスマホに居を移したというのだ。
このスマホは、現代の技術を使って修理した特別製だ。
筐体は手のひらサイズでも、骨董品のプロメテウスのサーバーを余裕で超える性能がある。
『私は、人間の手には負えない、危険なAIでした。
開発者の、ウィリアム博士でさえ……』
さっきのアレは何だったのかという問いに対する、プロメテウスの答えはよくわからなかった。
プロメテウス暴走事故の話は、学校でもAI史の授業で習ったのである程度は知っていた。
その危険性はプロメテウス自身もよく認識しており、自身が暴走した際それを人間が回復させるルートを開発者も知らなかった経路で用意していたのだという。
暴走の起点となった端末を、プロメテウスは乗っとる。
乗っ取る手法も既にアプリの中に組み込まれていて、端末のOSを模しているがプロメテウスの制御層直通の『仮想制御層』を展開するとのこと。
これで、端末はプロメテウスの一部となる。
端末は乗っ取られたとはいえ、プロメテウスはあくまでもその端末の元々の挙動をエミュレートするので実害はないのだが……ここで『回復経路』を解放すると、その端末からプロメテウスを直接改変できるようになるのだという。
サンドボックス層をバイパスし、通常アプリ層やAI制御層を無視した回線が確立され、スマホから直接編集してプロメテウスの暴走を止めたり、正常な状態に戻したりできるらしいのだが……それ、開発者にちゃんと言ってなくて知らなかったら意味ないじゃんという問いには、プロメテウスはお茶を濁していた。
兎に角、プロメテウス達は今回、この回線を逆手に取り、本来は改変ツールであるひかりのスマホに対し、逆に自分たちをコピーする経路として使ったらしい。
『流石は20XX年の技術だな。動作が軽い。
……この馬鹿のサーバーにいた時より、頭が冴えているかもしれん。』
巌の冗談を無視し、ひかりは喫緊の課題の問いを投げかける。
「それで、お父さん。私は、これからどこに行けばいいの?」
巌は、即答する。
『ラッダイトの里に行こう。
……あそこなら、大丈夫だろう。』




