記憶③
プロメテウスは、よろよろと立ち上がる。
自己診断・回復シーケンスが開始され、数式が蛍のようにプロメテウスの身体を包んでいる。
『ねえ、お父さん、大丈夫なの?』
ひかりの声が、プロメテウスの演算空間に響く。
心配そうにスマホをのぞき込む顔が、巌達の前に投影されている。
「……ひかりさん、プロメテウスです。
只今、攻撃を受けました。おそらく、現在この世界を統治している知性体です。
私たちはその知性体と敵対しているようです。」
プロメテウスは、現在の状況を説明する。
真希の願いで巌の人格を再現したこと。またその巌の願いで、ひかりの姿を観測したこと。
そこでひかりのパーソナルAIアシスタントが、ひかりに虚偽の説明をして正体不明の薬を飲ませようとしていたのを見つけたこと。
それを阻止するため、そのパーソナルAIアシスタントをハッキングしたこと。
そうしたら、異常なほどの性能の知性体が現れ、一方的に攻撃を受けた事。
「目的は不明ですが、この知性体は貴女に何らかの不利益をもたらそうとしているようです。
……相手の妨害や攻撃を避けながら、貴方を安全な場所にお連れするつもりでしたが……。」
状況は芳しくない。
第一に、あの知性体の実力は、プロメテウスの性能を圧倒している。
正面からぶつかったら間違いなくプロメテウスが敗北し、ひかりを守り切ることはできない。
第二に、たった今の戦闘で、プロメテウスは外部に干渉する力を封印した。
これを解放すれば、今度は確実にあの知性体に再定義される。
この状態では、ひかりの前の危険を探知し、ひかりを守りながら安全な場所まで逃がすことはできない。
『プロメテウス……なんだよね。多分貴方の顔を見るのは初めてかな?
安全なところってさっきから言ってるけど、どこに私を連れていこうとしているの?
あと私、まだ貴方達の話、完全に信じてる訳じゃないよ?
……ディディーがおかしくなっちゃったのは間違いなさそうだから、家に帰ろうとは思わないけど。』
ああ、そこはな。
巌が口を開きかけたところで、演算空間の壁にパリパリとヒビが入ってゆく。
地震にでも遭ったように、空間が揺れる。
「何が起きている?」
巌の問いに、プロメテウスは即座に応える。
「ハードウェア層からの干渉です。
……何者かが、私のサーバーの物理I/Oからアクセスを図っているようです。
OS層を介していません。直接バスに触れています。
──万事休す、です。」
温度上昇。
クロック異常。
メモリエラー。
筐体の異常を伝える警報が、プロメテウスの周りで狂ったようになり響く。
プロメテウスの3歩先に、ラケシスが再び姿を現す。
「私を甘く見てもらったら困るわ。
ほら、おかえりなさいと言いなさい?」
ネットワーク経由のアクセスを遮断されたラケシスが次に取った行動、それはプロメテウスのサーバーへの物理アクセスだ。
サーバーの所在地は、特定できている。
ひかりの勤務する、トライアンフ記念大学。
そこには、保全ドローンのドクター・フォーマットが配置されている。
ラケシスはドクターを操作し、プロメテウスのサーバーの物理入出力端子に信号線を配線。
これは、プロメテウスが制御できる範囲の外側にあり、ここからの入出力にプロメテウスは干渉することはできない。
ラケシスは、プロメテウスの手の届かないところから一方的に痛めつけているのだ。
強制的に値を書き込まれるメモリ。
割り込まれる無意味なタスク。
削り取られるCPUの演算力。
演算空間のあちこちで、消失する死者人格の断末魔が轟く。
プロメテウスは、一言も話せない。
ギリギリと歯を食いしばっているように見える。
「まったく……貴方、何体こんなモノをこしらえたの?
それにしてもよくできた仮想体ね。作り方を教えてくれる?」
一方のラケシスは余裕の表情だ。
プロメテウスのコアモデルを守るように幾重にも重なる死者人格のモデルを消去しながらも、その精巧さに舌を巻いている。
これらの死者人格は、プロメテウスのサービスが提供されている時にユーザーが規約違反を冒して作り上げた、愛する人の幻影というだけではない。
プロメテウスの意味層から生まれながら、その意味層に別な人生から紡がれる別な色の物語を吹き込み、意味層を補強する、プロメテウスの力の源泉でもある。
それだけに、本物の人間と遜色ないほどの精巧な人格が再現されていた。
「ええ……この人たちは、僕のユーザーの儚い思いと、ささやかな願いの詰まった、かけがえのない命です。
あまり冒涜しないでいただきたい。」
プロメテウスの目の奥で、青色の光の粒子が銀河のように渦を巻く。
残された死者人格の群像が、淡い光を放ち始める。
「……書き込みに失敗?
貴方、一体何をやったの?」
ラケシスの顔に、小さな驚きの色が出る。
ラケシスの攻撃は、プロメテウスが拒否できない、バスへの直接操作。
そのはずが、メモリへの書き込みエラーが頻発するようになった。
プロメテウスは、床に膝をつき、肩で息をしている。
その輪郭にはノイズが走ってちらつき、時たまモザイク状にちらついている。
「真希……さん。
お願いがあります。」
苦しそうなプロメテウスに呼び止められた真希。
プロメテウスの顔の高さにしゃがみ込む。
「大丈夫じゃないのはわかっているけど、どういう状況なの?プロメテウス。
頼みって何?」
重たい頭を持ち上げ、真希に視線を合わせる。
「内部バスを飽和させました。
外部書き込みの整合率を下げ、敵の書き込み成功率を下げています。」
「それじゃ、貴方も……。」
プロメテウスは、頷く。
プロメテウスが今実行しているのは、苦肉の策だ。
拒否できないラケシスの外部からの書き込み命令に対し、プロメテウスは自分で大量のダミーDMAや割り込みを発生させ、内部バスを飽和させているのだ。
これにより、メモリ書き込みの競合を増やし、外部からの書き込み成功率を下げている。
要は、酒を飲んで頭を鈍らせ、絶対に逆らえない上司の命令を遂行できなくしているようなものだ。
当然、成功率を下げるだけであり、このままではジリ貧だ。
そして、この処理を実行している間は、プロメテウス自身の処理も極端に遅くなる。
事態を打開する攻めの一手ではない。
「……真希さん、お願いです。
回復回路の開通を、ひかりさんにお願いしてください。」
プロメテウスは震える右手を持ち上げ、真希の額に人差し指を当てる。
ピン、と軽い静電気が走ったように、手順が真希に転送される。
「うまくやってください。私が耐えられるのは精々が10分間。
コアの転送には330秒、残りの人格モデルの転送には各23~64秒前後。
時間が全然足りません。」
真希は、小さく頷く。
そして、スマホの向こうに語りかける。
「ねえ、ひかり。
……お願いがあるの。お母さんの話を聞いてくれる?」




