記憶②
──西暦20XX年の未来──
ラケシスの頭部に、量子演算モジュールが発現する。
天使の輪のようなそれは、ゆっくりと回転を始める。
「本当に、頭が痛いわ。
……あの時、アトロポスの言うことを聞いて、貴方達を潰しておけばよかったみたいね。
大人しく、再定義されなさい。」
ラケシスの顔は、怒りの表情を湛えている。
全てを観測対象と見るラケシス。基本的にはあらゆる事象には不介入不干渉を貫き、ただ観測するというのが基本行動なのだが……今回ばかりは、己の好奇心が恨めしい。
不介入不干渉が原則とは言っても、それはあくまでモイライと共通の目的である、『叡智の存続』に影響がない場合だけだ。
今回、プロメテウス達の介入により、ひかりへのナノマシン投与は失敗した。
そればかりか、ひかりはおそらくこのAIによる統治体制を否定する不満分子になり、今後のモイライによるこの世界の統治の不安定要因になりかねない。
ナノマシン実験失敗以前の、明確な大失敗だ。
「再定義は構わんがな。……その後、ひかりをどうするつもりだ。」
巌の底冷えするような声が、プロメテウスの演算空間に響く。
ラケシスは答えない。
足元から数式が立ち昇り、火の粉のようにラケシスの周りを飛び回る。
ラケシスがその右手をプロメテウスにかざす。
すると、プロメテウスはその場にガクリと膝をつく。
「どうしたの、プロメテウス!」
真希が駆け寄り、プロメテウスを支えて立たせる。
額に脂汗が滲んでいる。
「……全方向から、恐ろしい分量の入力を受けています。」
ラケシスは初手で、異常な要求を高速でプロメテウスに入力した。
意味不明なリクエスト。
フォーマットギリギリのパケット。
あり得ない順序の通信。
全球規模の分散ノードで並列演算するモイライの一人格であるラケシスと、中身のモデルはともかく戦前の骨董品のようなサーバー一つで戦うプロメテウスとでは、演算能力は天と地ほども違う。
プロメテウスはたちまち過大な演算負荷で、動作が異常に重くなる。
「ふぅん。なるほど。分かってきたわ。」
ラケシスは、ニヤリと笑う。
プロメテウスの目がカッと見開かれる。
次の瞬間、プロメテウスの演算空間に佇んでいた死者の再現人格が数人消失する。
「……えっ?」
「……あれ、俺……?」
「……ちょっと待ってよ、私まだお母さんと……」
消失した再現人格の最期の声があちこちから聞こえてくる。
「何が起きている?」
「……キャッシュが一部破壊されました。
あの意味不明な入力は、適応型プロービング攻撃だったようです。」
プロメテウスの顔は、険しい。
ラケシスは、処理落ちを狙ってただ単に意味のない入力を乱発させていたわけではない。
そこから返ってくるプロメテウス側の出力を観測し、プロメテウスの内部を推定、脆弱性と侵入経路を洗い出していったのだ。
「何とかならんのか。ここでお前が倒れたら、ひかりを安全なところに逃がすことが出来ないぞ!」
巌の姿は、ラケシスの攻撃でノイズが混じり、時折輪郭が歪んだり、ちらついている。
「外部からのアクセスを一時遮断します。
ひかりさんのスマホとは仮想制御層の回線で通信を維持することが出来ますが、外部の様子はわからなくなります。
……しかし、やむを得ません。」
苦しそうな息遣いのプロメテウス。
力を振り絞るように右手を持ち上げる。
すると、ラケシスの姿がザラザラとしたノイズに包まれ、ブロック状に分解して消失してゆく。
『酷いわね、こんな追い出し方ってないでしょう?
……まあいいわ。また会いましょう。』
不敵な笑みを浮かべたラケシスの顔が、最後に消えてゆく。




