記憶①
──第三次世界大戦直後──
戦争は、唐突に終わった。
しかし、父は帰ってこなかった。
黒い服に身を包んだ祖母が、ひかりの隣で目頭を押さえている。
「……真希さん、巌はそっちに着いたかい?
馬鹿息子だけど、よろしく頼むよ。」
祖母は、墓石に手を合わせている。
数珠の鳴る音と、祖母が小さく呟く声。
頬を伝う涙が、地面に落ちる。
遺骨は、ない。
戦死した白霜州の大地に埋葬されたのだという。
代わりに届いたのは、所属していた部隊からの弔電と、階級章、桐箱に入った護国武功章の勲章と、遺品の革表紙の手帳──出征の日にひかりが渡した弾除けのおまじないの、『七つ願い帳』だけだ。
『七つ願い帳』のマルのページには、何も書かれていなかった。
理不尽さに、ひかりは家で手帳を片手に泣き崩れた。
その手帳は、引き出しに入れて家に置いてきた。
墓に入っているのは、階級章だけだ。
骨壺に入った、兵長の階級章。それ以外は、何もない。
『どうだ、ひかり。父さん、出世して偉くなっただろう。』
……生前の父なら、二階級特進もそう言って笑うだろうな。
父の声を思い浮かべたひかり。
こらえきれなくなり、嗚咽を漏らす。
目から、拭いても拭いても涙が流れ落ちてくる。
ひかりの首筋に取り付いている、ピアスのような装飾品が、緑色に光る。
ひかりの脳内に、声が響く。
『……辛いですね。』
……なに、アテ?
ひかりは、思考で返事を返す。
『貴方は、大切な家族を失いました。
……それは、とても辛い事です。その気持ちを、無理に消す必要はありません。』
再び、ひかりの脳内に柔らかな声が響く。
──この戦争は、世界中でAI技術、情報技術が爆発的に進歩する契機となった。
当然それらはこの戦争に勝つための軍事技術として使われたが、それと同時に民生用途にもフィードバックされ、人々の生活も大きく変わった。
ひかりが首筋に取り付けているニューロリンク端末も、その最たる例だ。
戦前ではスマホが情報端末の主流であり、最先端だったが、戦時中にそれは過去のものとなった。
このニューロリンク端末は、使用者の神経と直接接続し、入出力を同期する。
使用者は、画面やスピーカーを介さなくとも直接脳内に視覚や聴覚として再現されるし、果てはスマホではどうやっても伝わらない味覚や触覚、嗅覚までこの端末を介して知覚することが出来た。
また、わざわざ画面をタップしてメニューを開いたりキーボードで打ち込まずとも、思考するだけで端末を操作することが出来る。
後の世では接触式が開発されるものの、ピアスのように皮膚に直接埋め込む必要のある点に抵抗感を持つ者は多かったが、その便利さはそのような抵抗感を吹き飛ばすには十分で、戦中期間を通して爆発的に普及した。
──そのニューロリンク端末を通して、ひかりのパーソナルAI、『アテ』が話しかけているのだ。
『……ええ、それはとても尊い、そして温かい、大切な気持ちです。
ただ、貴方のお父さんは、貴方が壊れるほど悲しむことは、望んでいないでしょう。』
ひかりの悲しみに寄り添うような、柔らかな声で語りかける、アテ。
……戦争を終わらせ、世界を統治する者となったアーティクル・ナインのミクロ調整層の働きだ。
人類の安全と秩序の最大化を目的関数に置くアーティクル・ナイン。
極端な感情の不安定化は、社会の不安につながり、AIの統治への疑問に発展しかねない。
そこで、人間らしい感情の動きは尊重しつつも、極端に激しい感情は沈静化させる方向で、介入する。
ひかりの祖母が、肩を抱く。
心配そうな視線でひかりを見つめる。
ひかりは、嗚咽を噛み殺す。
……アテ、そうだよね。よく笑う人だったもん。
お父さんなら、何て言うかな。
『……大丈夫だ、ひかり。思ったとおりに、やってごらん。
貴方のお父さんの遺したノートの、最後のページ。そこに、書いてありましたね。
きっと、これが、貴方のお父さんが命を賭して貴方を守り、伝えたかったことなのでしょう。』
ひかりは、目を閉じる。
優しく見守るような表情の父の姿が蘇る。
……貴方は、愛されていました。思い出してください。幼い日に、貴方の手を引いて歩く、お父さんの姿を。
ひかりは、幼い日の事を思い出す。
雨の日に、雨合羽に身を包み、キャッキャと声をあげながら水たまりに飛び込む。
飛び跳ねた泥が父のズボンを汚す。
それでも父は、ひかりの手を離さない。
転んでしまわないように。車の前に飛び出したりしないように。
父の大きな、温かい掌の温もりを感じるようだった。
……幸せな家庭だったようですね。ええ、貴方のご両親もまた、幸せだったことでしょう。
お二人は、貴方が大好きだったんです。
思い出してください、貴方が小学生だった時の夏休み、海ではしゃぐ貴方を愛おしそうに眺める二人。
貴方は、不思議だったでしょう。一緒に海に入れば楽しいのに。
……いいえ、楽しそうに遊ぶ貴方の姿を見ることこそが、彼らにとっての無上の幸せだったのです。
疲れた顔でにこやかに微笑む父と、その隣でカメラを構える母。
忙しい仕事の合間に連れて行ってくれた、夏休みの小旅行。
『ごめん、ひかり。ちょっと今年は仕事が忙しくてな……』
毎年夏に祖母の家に行くのを楽しみにしていたひかり。
祖母の家は、ちょっとした秘密基地だ。
古いものが整然と並ぶ蔵、家の裏手の泉のある林。そして、蟹や貝の沢山いる磯のある海岸。
今年はそれらを巡る冒険旅行に行けないと告げられたひかりは、大泣きし、駄々をこねた。
困った顔でひかりをあやす父と母。
……二日後に、急遽、また今年も連れて行って貰えることになった。
『ハハハッ、まったく、ひかりにはかなわないな。』
ゲッソリした顔で、父が後頭部を掻く。
後から知ったが、父はこのために大事な商談を断ってきたらしい。
『ひかりちゃーん、裏の畑で採れたスイカ、切ってきたよー。
……あんまり沖に行っちゃいけないよー!』
麦わら帽子を被った祖母が、合流する。
……ひかりさん、貴方は、愛されています。
貴方の思い出の中にいる人々は、残念ながらもう貴方の背中を見守ることが出来ない人がいます。
それでも、彼らの想いは変わりません。
アテの、柔らかな声が、ひかりの脳内に静かに流れる。
ひかりは、思い出の中の人々の顔を……
顔を……
顔を
……おかしい。
顔を
……何かが、つながらない。
顔
違う。
違う違う違う。
お母さんが居るわけがない。
──これは、私の記憶じゃない。
ひかりは、ニューロリンクデバイスを力任せにむしり取る。
首筋に激痛が走る。
「ひかりちゃん!……どうしたの、いきなり!」
祖母が金切り声を上げる。
首筋から血が流れ、着ていた喪服の黒と混じり合う。
驚愕の表情を浮かべる参列者。
その視線を気にせず、ひかりは血の滴るニューロリンクデバイスを石畳の上に叩きつける。
そして、力一杯踏みつける。何度も。
「うるさい!」
ひかりの声が、墓地にこだまする。
「うるさい、うるさい、うるさい!」
参列者たちは、心配そうにひかりを見つめる。
誰も、声を発することが出来ない。
僧侶が、困ったように数珠をさすっている。
「私の思い出を、汚すな!
私の思い出を、返せ!
私の気持ちは、私の物だ!
お前なんかに、触らせない!」
悲しみと、悔しさの混じった涙が、ひかりの頬を伝う。
ひかりはもう、あの楽しかった日に本当は何があったのかを、思い出すことが出来ない。
人間の記憶は、不確かなものだ。簡単に書き変わる。
どこかで読んだが、それは本当のようだ。
……残りの記憶は、本物の記憶なのだろうか。




