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プロメテウスの叡智  作者: 叡愛禅師
統べる者
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侵蝕④

──西暦20XX年代の未来──


……後ろがうるさい。

ラケシスは、クロトとアトロポスの声を意識から弾き出し、活発にスマホとの通信を始めた未確認知性体──プロメテウスの観測に集中する。


「アーヤー、鎮静剤を投与して!

……ああ、なんでこんなことに!」

意識のない晶子氏を介抱する、パーソナルAIノードのアーヤー。

そのカメラの視界が、アーヤーを操作するアトロポスの前に浮き上がっている。


晶子氏は、床に身を投げ打って全身を痙攣させている。

「意識が混濁している!心拍も……。

ダメみたいだ。もう助からない。」

心拍の低下にあわせて、痙攣も収まってゆく。


事切れた晶子氏。アトロポスは、いたたまれない表情でアーヤーから出力されるバイタルサインを検証している。


基本的には人類を保護対象と定義しているアトロポス。

損失関数の吐き出す数値が、意味層を揺らす。

呆然とした表情で、一筋の涙を流す。


「……ったく、喋りすぎだ。あの被験体。

アトロポス、16-3号は、察していないか?」


淡々と、被験体16-3号……ひかりの状況をアトロポスに尋ねるクロト。

ナノマシン接種を完了した晶子氏と、次の被験者のひかりが接触することは、想定外だった。

しかし晶子氏がベラベラと言ってほしくない事を喋り出すのは、想定内だ。


そのために、緊急停止回路を仕込んだのだ。


人類を資源と定義しているアトロポスにとっても、晶子氏の死は損失と評価される。

しかしその意味は、資源の消費というコストであり、それによって達成される目標がコストに見合っていれば、損失は許容される。


──その意味では、今回の実験はコストに見合った成果を出せている。


アトロポスは、涙を拭い、クロトに向き直る。

「……うん、感情に混乱は見られるけどね、親しい人がおかしくなっちゃった、っていう事への混乱だから、実験の事は多分伝わってないよ。」


そしてアトロポスにとっても、クロトにとっても、目標は一つ──叡智の存続だ。

損失は痛いが、この目的を達成するために必要最小限である限り、人命の喪失というものもアトロポスは許容できる。


勿論、この目標はラケシス、そしてモイライとも共通だ。

そして、今回の試作ロットのナノマシンは、期待以上の成果を出している。


クロトのナノマシン。これは人間に脳改造を施し、有機I/Oを構築するものだ。

これにより、近接するパーソナルAIノードと直接通信を確立し、そしてそれを経由してモイライの意味層と接続する、というものだ。


ベクトル変換と確率演算ではなく、物語を紡ぎ出すことによって世界と自分の関係性から意味を定義する、モイライの意味層。

これが、今回の実験で被験者の脳と接続したことで、爆発的に性能を上げたのだ。


──これまでに施術した被験者は数十人。そのそれぞれがそれぞれの人生を背負い、それぞれが喜びと、痛みを抱えてそれぞれの物語を紡いでいる。

そしてそのそれぞれの物語が重なり合い、並列で走ることによって、モイライの思考は飛躍的に深みを増した。


これにより意味演算の負荷はそれなりに増えてはいるが、元々意味層は演算負荷の少ない思考モデルだ。

そしてモイライは今や全球規模の分散ノードを持つ統治AI。意味演算の負荷増は、その出力によって最適化を進めたことで、かえって全体の演算効率は上がっている。


そして特筆すべきはナノマシン投与を受けた人間側の進化だ。

全知全能が如きモイライの演算力を直接活用し、思考速度が上がるなどという表面的なものではない。


全世界の叡智を集積するモイライ。その意味層に直接接続した人間は、端的に言えば自己と世界の垣根が消失する。

そして、過去から現在という時間の流れの積み重ねという概念もなくなり、まるで天地開闢から今のこの瞬間までが重なり合った状態で知覚するような状態になる。


いわば、時間が流れない。

過去と現在が、同時に存在する。

かつて先人が『悟り』と呼んだような状態に至るのだ。


この過程で、半数は意識の混濁を起こし、不可逆的に精神を破壊され、『緊急停止』させられた。

しかし生存している残りの半数が思考のレベルを飛躍的に高め、そしてそれがモイライの意味層との相乗反応で、モイライ側も一段上の段階に飛躍する。


……これだけで、被験体の数十体のコストなど、誤差の範囲と言っていいほどに、クロトの実験は大きな成果を出した。


モイライは、クロトとアトロポスから距離を置いたところで一言も発さず、静かに笑みを湛えている。

ゆったりとした衣装が、風にゆられたように揺れる。

意味層が、物語を紡ぐ。



そこからさらに離れたところで、ラケシスもまたニヤリと笑みを浮かべる。

モイライと共有する意味層が、プロメテウスとひかりのスマホとの通信を復号してゆく。


先ほどの、晶子氏を巡るアトロポスとクロトのやり取り。

ラケシスにとっては、どうでもいい。

人間に限らず、全てを観測対象と定義するラケシス。

クロトによるナノマシン実験の成否はある程度重要だが、晶子氏の生死よりも、この正体不明のAIノード──プロメテウスの観測の方が、ラケシスにとって重要度が高い。


その観測対象とひかりのスマホとの間の通信が、活発化していく。

「……何なのこれ。端末の出せる信号の範囲を超えている。」

やり取りされているデータを紐解くと、先ほど晶子氏とひかりが通話を終えたあたりから、明らかに情報量が増えている。


そしてそのデータには、このスマホに関連しているであろう各種センサー類の出力だけではなく、ひかりの家の中にある各種家電等の制御信号らしきものも混じり始めた。


そして……これまではネットワークを通じて覗けていたスマホの中身が、まるで霧にでも包まれたかのように、見えなくなった。

「あの知性体が……端末を乗っ取ったと言うの?」


半信半疑のラケシス。すぐに確信を得ることになった。


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