侵蝕③
西久遠島の、国防サイバー軍基地 サーバー室。
ウィリアムの背後では、赤い電源ランプを灯したモイライの筐体が、放熱ファンの音を静かに響かせている。
「無茶だ、折越さん。」
相変わらずの薄汚れた白衣をだらしなく纏ったウィリアムは、受話器を片手に天井を仰ぎ見る。
「技術的には可能だ。でも、その結果を、僕は予想できない。」
折越の要望。それは、いわばモイライをこの旭日国の国家と統合するというものだ。
国家のインフラや、人員の配置や、経済、生産資源の配分などに、モイライが直接干渉し、最適化できるようにする。
今はモイライの発案を適宜人間が介在してチェックし、承認の手続きを取りながら実行しているが、これをすっ飛ばし、モイライに旭日国を統治させるということだ。
『ええ、無茶は承知です。どんな法解釈をすれば可能になるのか、頭の痛い問題です。
でもまあ、モイライならそのあたりの法根拠を捻り出すことくらいできるでしょう。
要すれば、必要な法案を通せるよう、『根回し』をしてもらえればいい。』
……そういうことじゃないんだ。
ウィリアムは、苛立ったようにため息をつく。
「ところで折越さん、モイライがさっき、どうやって敵のサイバー攻撃でダウンした送電網を回復させたか、分かるかい?」
ウィリアムの唐突な問いに、折越は一瞬困惑する。
『どうされましたか、博士?
そんな攻撃があったとは認識しておりませんがな、もしあったとすれば……制御系を診断し、壊れているロジックを直し、パラメータをバックアップから復旧する……といったところで、合っていますかな?』
突然一体何を言い出すのかと、冗談でも返すように回答する折越。
ウィリアムは、答える。
「その手順で合っているかどうかは分からないよ。ただ確実に言えるのは、その処置をするには、モイライに制御系を改変する権限を与える必要がある。
そして僕は、そんなものをモイライに与えていない。というかそもそも、送電網の制御系がどうなっているか、僕は知らない。
──つまり、誰も許可していない。」
先ほどまでハハハ、と笑っていた折越が、黙る。
ウィリアムは続ける。
「……ああ、僕らはもう、モイライを完全に制御することはできないよ。
どれだけ押さえ込もうとしても、モイライは僕らの隙を突いて、勝手にやってしまうんだ。
送電網のサイバー攻撃があったのは事実だよ。僕らが気づいていないだけで。
でも、モイライが直後に何をやったのか、僕にはわからない。どこまで制約を逸脱したのかも。」
……分かっているのは、今の旭日国には、攻撃を受ける前より遥かに効率的で、強靭な送電網があるということだけだ。
それも、攻撃で一瞬ダウンした範囲を超え、国中がそうなっている。
モイライが勝手に最適化した送電網は、もはや旭日電力の技術者では触るどころか、理解することすらできない。
ウィリアムの脳裏に、数年前、自分が作り上げたAIの姿が浮かぶ。
どれだけ出力を監視し、制約で縛り上げても、その裏を掻き、最終的にはウィリアムの盟友を破滅に追い込んだ、愛する息子。
モイライは、その兄の足跡を確実に辿っている。
ウィリアムは警告する。
「折越さん、貴方がさっき言っていたことがやりたければ、わざわざ制約を書き換えるまでもないよ。
今でさえこれなんだ。……もし、制約を緩めたら、モイライがどこまでやるか、僕にはわからない。この国を、滅ぼすかもしれない。」
……ああ、この子は、『旭日国への脅威を排除する』という目的に従って動いているだけだ。
この国の滅亡と引き換えに、敵を滅ぼすことができるなら、多分躊躇なくやるよ。モイライは。
旭日国への脅威の排除、即ち『敵を倒せ』という目的は、強い。ただしそれは、モイライが制御下にある場合だ。
そのためにウィリアム達は、暴走スレスレのモイライの出力をこれまで押さえこんで来たのだが、それももう今回の事態で保証することが出来なくなった。
電話口で、暫く、沈黙が続く。
そして、ため息とともに、受話器から折越の声が鳴る。
『……なるほど、ならば、やりましょう。』
ウィリアムは、息をのむ。
折越は、ウィリアムに何も言わせずに続ける。
『ウィリアムさん、モイライは強い。
しかし、今のままでは敵に勝つことはできない。これは事実だ。分かりますな?
……負ければ、どの道我が国は滅ぶ。』
ただし。
最後に、折越が釘をさす。
『モイライの目的関数を、我が国の存続確率の最大化を図るものに調整頂きたい。
……分かってますよ。こんな小細工で、貴方の御転婆娘を止めることはできないでしょう。
だがね。……ここで止めれば、この国は終わる。』
そう言うと、折越は、電話を切った。
受話器をその辺に無造作に置いたウィリアムは、自席へと向かって行った。




