侵蝕②
「まるでいたちごっこだな。」
統合戦略本部の作りの良い椅子に腰かけた折越は、部下からの報告にため息をつく。
モイライの快進撃に、陰りが見え始めた。
敵方のAIも、性能を上げてきているのだ。
「ここ半年ほどか。敵方のAIの性能が上向いてきたのは。」
「……ええ。模倣学習ではなく、蒸留まがいのやり方に切り替えたようです。」
報告を聞いた折越は、コツコツとペンで自分の額を叩く。
モイライが敵方にベンチマークされることは、織り込み済みだ。
モイライが大同人民国相手に働いたサイバー攻撃の手口や、世論操作の内容などは、学習データとして敵方のAIに取り込まれるだろう。
モイライはそれを見越し、データの汚染──データ・ポイズニングを仕込んでいた。
これにより敵方AIは、モイライ登場後は非常にゆっくりと、敵方の開発陣が気づかない程度に劣化し、脅威が下がっていた。
──モイライの攻撃を学習することで、大同陣営の開発陣が驚くほどの性能向上を見せていたのだが、その出力の内容は、モイライが対処できる範囲に収束していた。
自分たちのAIがモイライの掌で踊らされていたことに気づいた敵方の開発陣は、開発のやり方を変えたようだ。
モイライの出力した攻撃を直接学ばせる代わりに、人海戦術で、自陣営のAIがモイライと同じものを出力するようにモデルを作り替えるやり方に切り替えたとみられる。
今では、モイライが完全優位ではなくなり、それまで防げていた変電所へのサイバー攻撃などが防ぎきれず、たまに旭日国内で停電などの不具合が出るようになってきた。
「面白くないな。
……北部戦線も芳しくはないのだろう?」
折越の顎に、僅かに皺が寄る。
「遺憾ながら。
アトランティスも、余計な事をしてくれたものです。」
そして何より今、旭日国を苦しめているのは、オルビス連携戦線側に立って参戦したヴォルジア連邦だ。
旭日国の北端が、戦場になっている。
今、旭日国は二正面作戦を戦っている状況だ。
西の海では島から島へと飛び移りながら大同人民国と渡り合い、北ではヴォルジアの精強な陸軍兵と死闘を繰り広げている。
西方の島嶼戦線で、モイライを擁する海洋国家連合は優位に戦いを進めていたが、敵のAIとの性能差が詰まってきたところで以前のような快進撃は難しくなった。
そしてヴォルジア連邦の参戦で、一気に苦しくなった。
戦力が、足りないのだ。
島嶼戦線では、モイライの設計した自律AI兵器群が戦場を駆け巡っているが、北方戦線と二正面となると、この自律兵器群が全然足りない。
彼我のAIの能力差が詰まった今ではそれも厳しいが、仮にモイライが、北方のヴォルジア軍を軽くあしらい撃退するだけの作戦を立てたところで、その作戦を実行するのは自律兵器群。
──実体を持たない、情報知性体でしかないモイライが、どれだけ頭をひねってみたところで、弾を撃ち込まなければ目の前の敵は倒せない。
かと言って西方戦線から引き抜けば、今度はそちらが崩れる。
急ピッチで増産をかけているが、これまで長く続いた平和の時代で軍需生産基盤はすっかり縮小しており、まずは生産ラインから立ち上げる必要がある。
一度縮んだ生産力は、一朝一夕に戻るものではない。
苦肉の策でモイライが導き出した最適解が、徴兵だった。
──強度の高いプロパガンダを拡散し、国民の怒りを極大化し、そして徴兵制復活への忌避感を摘み取っていった。
反対活動家にはスキャンダルを捏造して拡散し、悪魔化し、社会的に抹殺することで、その声を封じた。
その結果、徴兵制復活法案はあっさりと議会を通過。
各地の徴兵局には続々と正義を疑わない顔をした男たちが集まり、国防陸軍の練兵所へと旅立っていった。
「で……。端的に問う。
勝てるのか?」
折越の問いに、下士官は力無く首を振る。
「モイライの能力を10とすれば、敵AIの能力は7前後といったところでしょうか。
ただ、兵力と生産力。これは、勝負になりません。」
専制色の強い権威主義国家のオルビス連携戦線陣営の国家群。
その気になれば民生品の生産資源を徴発し、ほぼ全て軍需に充てることができる。
前線では、物量に物を言わせた飽和攻撃に流石のモイライも苦戦を強いられている。
対する海洋国家連合陣営。法と秩序は、このような非常時にあっても主権者である国民の承認を要求する。
国家の正統性がこの法と秩序により担保されている以上、正規の手順を逸脱した権力の執行は許されない。
倫理面に目を瞑り、法に定義のないモイライの力で国民の承認を作り出すことはできなくはないが、そうしている間に敵は自陣営の一歩も二歩も先へ行く。
……せめて、モイライの性能が、再び敵陣営のAIを圧倒することができれば……。
折越は、こめかみをぐりぐりと指で揉みほぐしながら、机の上の受話器に手を伸ばす。
西久遠島の、国防サイバー軍基地につながる、専用回線だ。
敵による盗聴は、物理的に不可能な端末だ。
「統合戦略本部の折越大佐だ。ウィリアム博士を呼び出して欲しい。」
3分間ほど待たされたのち、受話器からアトランティス語で話す声が聞こえる。
折越もまた、流暢なアトランティス語で答える。




