侵蝕①
──第三次世界大戦期──
巌は、たった今届いた黄色い封筒を机の抽斗に入れると、小さくため息を吐く。
……来ちまったなぁ。
3年ほど前に勃発した、蒼海島をめぐる紛争。
戦前はお互い切ってもきれない緊密な経済関係もあり、お互い痛み分けの玉虫色の停戦条約で短期戦で終わると予想していた専門家や政府関係者の言葉とは裏腹に、この宣戦布告なき戦争は、すでに3年が経過してなお、終わる気配が全くない。
それどころか、世界は2陣営に割れ、戦線は拡大し、世界大戦の様相を呈している。
この戦争が始まった当初は、大同人民国と、それに立ち向かう青天民主国、旭日国、そしてアトランティス連邦の連合軍という構図だった。
無尽蔵と錯覚するような人的資源、同じく無尽蔵と錯覚するほど弾を撃てるだけの軍需生産力、そして軍事に最適化された高性能AI……最初の数か月間は、真剣に降伏が議論されるほど、連合軍は壊滅的被害を受け、苦戦した。
しかしその後、旭日国が開発したAIが、戦況をひっくり返した。
政府は曖昧にしか説明しないため、巌のような市民には噂話程度しか伝わっていなかったが、それまで銃後の市民生活を破壊するまでに猛威を振るっていた敵AIによるサイバー攻撃が嘘のように消えたことからも、旭日国がなにやら人知を超えたAIを開発したことは確実視されていた。
このまま三国連合側が押し切るかに思われたが……通称中央大陸と呼ばれる、オルビス大陸の超大国、ヴォルジア連邦が大同人民国側に立って参戦してきたのだ。
──当初は大同人民国への間接支援にとどまっていたヴォルジアだったが、その支援物流ルートのシベロフ寒帯圏へアトランティス連邦が空爆を敢行したことで、即座に参戦を宣言した。
今やこの戦争は、極東の小競り合いでは済まない。
アトランティス連邦と、旭日国や青天民主国をはじめとするその同盟国の『海洋国家連合』陣営と、大同人民国やヴォルジア連邦、その勢力圏の周辺国からなる『オルビス連携戦線』陣営の二陣営による、第三次世界大戦と呼んで差し支えない程に戦線は拡大していた。
「お父さん、どうしたの?顔色悪いよ?」
16歳になったひかり。首を傾げながら、心配そうに巌に声をかける。
「ああ、何でもないさ……。
いや、何でもなくはないか。
父さんのところにも、令状が届いた。」
ひかりは、息をのむ。
「……ああ、大同の連中に、こないだのお礼をしに行かないとな。
大汐島の、なぎさちゃんの仇も取ってやる。
──招集兵は前線には立てないらしいのが残念だがな。」
3年前の自分なら絶対に言わない言葉かもしれないが、巌はそれには気づかない。
ひかりは、一瞬驚愕の表情を浮かべた後、笑顔を見せる。
その目から、涙が溢れ出て来る。
「そうなの……頑張ってきてね、お父さん。
……ちょっと待っててね。」
そう言うとひかりは、部屋に戻ると、真新しい革表紙の手帳を持ってくる。
そして、最初のページに、『七』とやや大きめに書き、それから7ページ目ごとにページの隅にマルを書いてゆく。
呆気にとられる巌に、ひかりはその手帳を差し出す。
「はい、お父さん。これ、『七つ願い帳』のおまじないだよ。
ネットで話題の、弾除けのおまじないなんだって。
……兵隊さんのお仕事が暇なとき、ここに日記を書いてね。でも、このマルのページは空欄だよ。
『七難を避ける』んだって。……約束だよ?」
ひかりは、笑っていた。
そして巌も、苦笑いしながら、ひかりから手帳を受け取る。
「ありがとう、ひかり。……まあ、あんな奴等の弾なんて当たる訳がないから安心してくれ。」
ひかりがこんなことを言う子ではなかったことにも、巌は気づかない。
──旭日国の救世主と噂されているAIが、同時に国民の感情と記憶、そして常識にも手を伸ばしていることに、誰も気づかない。




