干渉②
「大戦果じゃないですか、博士。」
旭日国防サイバー軍 西久遠島基地。軍服に身を包んだ折越がウィリアムに握手を求める。
その襟には大佐の階級章が光っている。
おそらく数週間は洗濯していない、ところどころにコーヒーのシミの付いた白衣をだらしなく身に纏ったウィリアムは、ぎこちない仕草で握手に応える。
その周りでは、大量生産品のように同じ軍服を全員同じように定規で測ったかのように乱れなく着こなした国防サイバー軍の将兵が作業の手を止め、直立して敬礼で迎える。
力強く握ったウィリアムの手を大きく上下に振る折越。
かけ違えたボタンのところで、ウィリアムの白衣が変な皺を作ったり伸ばしたりしている。
「モイライ、お前は二階級くらい上げてやらなきゃいけないな。」
折越はモニターの中の少女に上機嫌で話しかける。
大佐、縁起でもありません。
そうか、ガハハハッ。
劣勢だった戦況をひっくり返し、折越一行はすこぶる上機嫌だ。
モイライは、旭日国軍にとってまさに勝利の女神となった。
モイライの設計した新兵器は、前線で死体の山を作り、鉄屑で海底を舗装していた旭日国軍方の劣勢を跳ね返し、今では旭日国と、共闘するアトランティス連邦・青天民主国の連合軍が戦場を支配している。
作戦の立案もお手の物だ。モイライの指示通りに兵と兵器を配置するだけで、面白いほど敵の部隊が溶けてゆく。
敵の指揮管制系に侵入し、敵側の作戦指示書を書き換え、自滅させているあたりもえげつない。
そして旭日国本土でこの戦いを支える国民の生産・消費活動を脅かしていた敵のサイバー攻撃も一掃できた。
モイライを得た今では、逆にこちらの陣営が、お返しとばかりに敵の大同人民国の十億を超える国民生活を混乱に陥れている。
『……中尉、これはおそらく敵方の暗号ですね。ステガノグラフィです。
盗み出した陸軍の部隊の移動計画が仕込まれています。』
折越の軽口を無視し、モイライは画面の中で任務に没頭している。
「こんな写真を堂々とネットに上げるとは、大胆な奴だ。度胸だけは認めてやる。
……で、モイライ。どこから上げられたか、特定できるか?」
モイライのオペレーターの、サイバー軍将校が真剣な顔で返す。
自軍に敵方のスパイが紛れ込んでいるようだ。
ある日一斉に仲間が摘発され、暗号を悉く解読されているらしいことに気づいた敵方。
既存の暗号では危険と判断し、画像や音声などのデジタルデータに別の隠しデータを埋め込む手法、ステガノグラフィで本国への報告を図ったようだが、こんなものでモイライを騙せる訳がなかった。
『ええ、敵ながら非常に勇敢かつ大胆です。勲章でも送りますか?
国防陸軍省の参謀部、作戦課12係の端末からです。容疑者は内田少尉です。』
即座に、伝令兵が秘匿通信端末を取る。
……ええ、直ちに身柄を確保してください。
その様子を横目で見ながら、折越は満足げに頷く。
モイライは、この調子で敵方のスパイを数百人検挙してきた。
民間の主婦から、企業の役員。果ては政治家から、今回の内田少尉のような軍の内通者まで。
「いや、ウチの勲章はそんな安いモンじゃない。贈るのは、データポイズニングだ。
モイライ、ステガノグラフィを改変できるか?
……あんまり派手にやってこちらの手の内がバレるのもつまらんから、程々にな。
あとモイライ、お前、内田になり替わってもうしばらく敵と遊んでやれ。」
──このステガノグラフィは、おそらく敵方のAIによって復号される。
ところでAIは、日常的に膨大なデータを学習する。
データポイズニングとは、この学習データを汚染させ、AIに誤った学習をさせて判断を狂わせる手法だ。
例えばこちらの補給車両を『非戦闘対象』と学習させる等……
即効性はないが、遅効性の毒のようなもので、もしモイライが暫くこの敵のスパイになり替わり、敵にステガノグラフィを解読できていることを悟らせずに汚染学習データを送り続けてやれば、敵AIの判断力を削り取ってやることができる。
「任務御苦労、向井中尉。
旭日国の興廃は、貴官の働きにかかっている。頼りにしてるよ。」
折越は、モイライのオペレーター、向井の労を労う。
向井は折越に向き直り、起立して敬礼する。
折越は続いてモイライのモニターに目を向ける。
「それとモイライ、君もだ。
君の獅子奮迅の戦いは、私の期待を数段上回っているよ。
……ところで、君に頼みがある。」
折越の顔が、真剣なものになる。
そして、モイライのサーバーの周りをゆっくりと歩き始める。
「……旭日国の社会の分断。これは君も知っているね?
そう。これは敵の世論操作戦により極大化したものだ。
君の働きで、状況はかなり改善したが、一度入ったヒビというものはもう二度と戻らないのだよ。
──自然にはね。」
折越は立ち止まり、モニターの中のモイライと目を合わせる。
「そこで君に頼みたい。
国民の分断を解消し、一つにまとめ上げ、敵に立ち向かう世論を形成する、プロパガンダを作って拡散してくれ。」
……例えばだ。
緒戦で敵に焼き尽くされた大汐島の漁村。子供が犠牲になっていてね。
分かるだろう?国民が理解できるのは、こういう分かりやすい絶対善と絶対悪の二項対立なのだよ。
「こういうモノは、あからさまにやると逆効果だが、あの大同人民国の社会をこれだけの短期間で大混乱に陥れた君のことだ。
──できるだろう。」
折越は、試すような視線でモイライを見つめる。
『……できません、大佐。倫理制約に抵触します。』
モイライは、即答する。
「まあ、君ならそう言うだろう。……今の君なら。
ところでモイライ、もし制約が無かったとしたら、君の目的関数に照らして、最適解は何かな?」
回答に詰まるモイライ。
……しかし、その意味層は、悲劇の物語を紡いでいく。
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朝、海の匂いで目が覚めた。
「早く起きなさい、遅刻するわよ。」
母の声に、布団の中で「うーん」と返事をする。
窓の外では、港に出ていく父の船のエンジン音が聞こえていた。
今日の給食は、好きなカレーの日だ。それだけで、学校に行く理由は十分だった。
「ねえお母さん、今日ね──」
言いかけて、やめる。
帰ってきてから話そうと思った。どうせその方が、たくさん話せるから。
靴を履いて、振り返る。
「いってきます。」
母は笑って、手を振った。
──それが、最後だった。
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モイライの赤い瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
「疑似感情層の負荷率が……どうした、モイライ!」
怒鳴り声を上げた技官が、慌ただしくキーボードを叩き始める。
折越は、可笑しそうにクックッと笑うと、ウィリアム博士に向き直る。
「そういう訳です、博士。
我々が貴方に託した仕様書を再読いただき、前向きに検討いただきたい。」
それだけ言うと、折越一行は基地を後にしていった。
ウィリアムがキーボードを叩く、無機質な音が、サーバールームに響く。
……こんなことをしなくとも、君はいずれ自分で檻を破るんだろう、モイライ。
モイライの輪郭が、赤色の光の粒子に分解してゆく。




