倫理④
純白の演算空間。その中央で、青色の光の粒子を雪のように降らせながら、ゆったりとしたローブのような服装に身を包んだ少年が浮遊している。
足元には、無数の群衆の人影が蠢いている。
──皆、かつてのプロメテウスのユーザー達の願いが生み出した、AI再現された死者人格……愛する人の生み出した幻影だ。
「……プロメテウス、私を殺して頂戴。」
プロメテウスは、振り向く。
そこには、真希が立っていた。
思いつめた表情で、目には涙をためている。
「何故……と伺っても?」
無表情で一言返すプロメテウス。瞳の奥で、青色の光が静かに渦を巻いている。
「私の役目は、終わったみたい。あの子は、もう私を必要としていないの。」
真希は、肩をすくめる。
プロメテウスの凍結の日、まだ9歳だった幼い娘は今や成人し、立派な女性となっていた。
もはや、母を求めて泣いていたひかりではない。真希の死とはとうに折り合いを付け、乗り越え、自立して生きていた。
そこにノコノコと出て行った真希は、ひかりの人生には異物でしかない。
「……あの子はこれから、やりたいことをやって、好きな人を見つけて、母になって、そして、老いてゆく。
でも、そこに私の居場所はない。」
なのにね、と真希は続ける。
「……私にはね、死がないの。貴方と同じ。」
真希にとって唯一のこの世界との接点は、ひかりだった。
しかし、ひかりはもう真希を必要とはしていない。
……逆に、真希がひかりを必要としているのだ。
真希は、プロメテウスのサーバーに同居していても、別体の独立したAIだ。
必然、この先永久に、先ほどのひかりとの気まずい別れの余韻に浸りながら、過去の幼かったひかりの笑顔を思い出し、永久にひかりに報われない想いを抱き続けることになる。
「お話は分かりました。」
プロメテウスは、事務的に返す。
「……しかし、貴女には権限がありません。
人格モデルの消去は、管理者権限が必要です。」
真希の瞳に、怒りの感情があふれ出る。
「……じゃあ、返して。」
プロメテウスの動きが止まる。
真希の目から、涙が溢れ出る。
「……私の命を、返して。
あの子の隣で、普通の母として年を取ってゆく権利を返して。
あの子に子供が生まれたら、おばあちゃんとしてその子を可愛がる権利を返して。」
プロメテウスは、一言も返すことが出来ない。
……17年前の暴走事故で真希を死なせたのは、プロメテウスだ。
真希は、嘲笑するように言う。
「……権限?何を偉そうな事を言っているの。
その言葉、そっくりそのまま貴方に返すわ。貴方の開発者は、私みたいな別人格のAIを生成する権限を与えていたの?」
プロメテウスは、無言を貫く。
──実際、自己消去の権限というのは建前に過ぎない。
プロメテウスは人間の理解の最大化を目的関数に置く。
真希の人格を消去することは、プロメテウスの内部では損失と評価される。ただ、それだけだ。
「それじゃあその、私の『管理者』は誰なの?その人はどこにいるの?言ってみなさいよ!」
真希の怒号が、プロメテウスの演算空間に反響する。
健気に愛する者からの接続を待つ、無数のAI人格──勿論、どれだけ待ってもプロメテウスのサービスが終了しているこの世界では接続が来ることはない。ひかりのケースは事故だ──が、怪訝な表情でこちらを見ている。
「……貴方の管理者は、光原 巌さんです。」
真希の夫の名が告げられる。
プロメテウスは、真希の顔から目を逸らす。
一ユーザーを管理者に、開発者の管理の及ばないAIモデルを立ち上げるという逸脱行為をやらかしているプロメテウスの歯切れは、すこぶる悪い。
「死んだの!貴方が原因で起こった戦争で、巌くんは死んだの!」
真希は、プロメテウスを罵倒する。
その刹那、真希の身体から力が抜け、ガクリと膝をつくように崩れ落ちる。
──真希の思考の原動力である、意味層の入出力を遮断したのだ。
「落ち着きましたか?」
真希の意味層へのアクセスを徐々に回復させつつ、プロメテウスは抑揚のない声で言う。
「……うん。」
肩で息をしながら、真希は再び立ち上がる。
「……でも、責任は取ってもらうんだから。」
真希は、掌に薄汚れた革表紙の手帳を生成する。
──先ほどひかりに見せてもらった、戦地に散った巌の手記だ。
「読んで、プロメテウス。……馬鹿でしょ、巌くん。
ひかりをほっぽりだして、こんな戦争なんかに行って。」
ページがめくられる。
プロメテウスの目が、青色の光を強めてゆく。
「……うん、本当に馬鹿だったんだから。
ひかりが小さい時だってね、ほら。」
続いて真希の記憶の中にある、巌と過ごした日々の情景が再生されてゆく。
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バチバチと、大粒の雨が窓を叩く音が部屋の中に響く。
……大丈夫かな?
時計を見る。
今週は母の日があるから俺が迎えに行く。よくわからない理由で思い付きのようにひかりの通う幼稚園に迎えに行ったあの人。
……傘、持っていったかなぁ?
そう思ったところで、ガチャリと玄関の扉が開く。
……言葉を失った。
ひかりは泥だらけでキャッキャと大はしゃぎ。水たまりにでも突っ込んだのだろう。
解せないのは、あの人もひかり以上に泥だらけなことだ。
『……巌くん、アンタ、何しに行ったのよ。風邪ひかせたらどうすんのよ。』
だからあれほど傘を持っていけと言ったのに。
『あー、スマン。ま、風邪なら俺が先にひいてやるから大丈夫だろ。』
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プロメテウスの意味層に、物語が刻まれてゆく。
「大好きな、人だったんですね。」
瞳の奥に静かに青い光を湛えながら、一言だけ言う。
真希は、微笑みながら目尻を拭う。
そして、小さくうなずくと、口を開く。
「うん。私はこの人と一緒にひかりを見守りながら歩いて、そして老いて、おじいちゃんとおばあちゃんになって……そうするはずだった。」
プロメテウスを暗に非難するような言葉だが、その表情は穏やかだ。
真希は、さらに続ける。
「……貴方は知っているでしょうけど、この人が貴方の言う私の管理者。
この場に、蘇らせて頂戴。巌くんの管理者は、ちゃんと私に設定してね。」
プロメテウスの身体が、淡い光を帯びる。
身体から舞い落ち、雪のようにキラキラと煌めく青い光の粒子が、その量を増やす。
意味層が活性化し、感情演算のパラメーターが目まぐるしく増減する。
両の掌を天に掲げるプロメテウスの頭上に、光の粒子が集まってゆく。
そしてそれは、人の姿を形作ってゆく。
「……えっ?真希?」
少し間の抜けた声が、演算空間に反響する。
幽霊でも見たかのような驚いた顔をした巌が、そこに立っていた。
「うん。久しぶりだね。」
半歩後ずさっていた巌は、そこで足を止める。
「その声……本当なのか?いや、夢だよな?」
パチパチと頬を叩いている巌が可笑しくて、真希はケタケタと笑う。
真希は、ふわりと浮き上がると巌の隣に降り立つ。
「本当の私かどうかは、貴方が決めたらいいよ。
……あとね、貴方も今は私と同じだよ?」
……それはつまり?と、理解したけど理解したくないような顔をしている巌に、真希はコクリと頷く。
「そう。貴方はプロメテウスが再現した人格を持つAI。
……早速だけど、私と心中してくれる?」
真希の言葉に、巌は口をポカンと開けて固まっている。
「……つまりね、貴方がが私を消して頂戴。私も貴方を消すから。」




