倫理③
「ゲホッ……。
嫌だねぇ、風邪でも引いたのかねぇ。」
その日、老婦人は目覚めと共に倦怠感を感じていた。
──先日の震災の折、ひかりの家に避難してきていた老婦人だ。
『おはようございます、晶子さん。
……あまりお加減がよくなさそうですね。体温が37.7℃もあるようです。』
パーソナルAIがスーッと枕元に立ち上がり、朝の挨拶を述べる。
老婦人──晶子氏は、怪訝な顔を浮かべる。
「あら、嫌だねぇ。
そんなに熱がある感じはしないんだけど、困ったねぇ。
……そんなに酷いのかい?アーヤー。」
……ううん。嘘ついてゴメンよ、おばあちゃん。
アーヤーの後ろにいるアトロポスが、一瞬申し訳なさそうな表情を浮かべた後、すぐに無表情に戻る。
『……ええ、自覚症状は強くないかもしれませんが、油断は禁物です。
今日一日は、ゆっくりと身体を休ませるのがよいでしょう。
この季節は特に……』
アーヤーの表示する、体温や心拍数等の数値──アトロポスが改竄して生成したものだ──を見ながら、晶子氏はフンフンと頷く。
「そうなのかい。やだねぇ……。助かったよ、アーヤー。
しかし凄い時代だねェ。AIがここまで出来るなら、お医者さん方も商売上がったりじゃないか。
お前、何人の医者様を泣かせてきたんだい?」
ケタケタと笑い声を立てながら、晶子氏はアーヤーに軽口を叩く。
いえいえそんな、滅相もない。お医者様方と協力しながら、負担を低減しているだけです等と晶子氏の冗談に合わせていると、ドアの呼び鈴が鳴る。
『発注したお薬が届いたようです。
受け取ってきますので、少々お待ちください。』
そう言うとアーヤーは、音もなく床を滑り、玄関先へと向かってゆく。
アーヤーの背を見送りながら、晶子氏はため息をつく。
……年なのかねぇ。急にガタが来るって言うからねぇ。
ここ数日、十分な睡眠をとっている筈なのに疲れが取れない。
日中も倦怠感があり、時たま軽い頭痛を感じる。そして目の奥が重たい。
昔は風邪なんてひいたことなかったのに、年は取りたくないねぇ、等と思案していた晶子氏だが、この軽い体調不良がアーヤーによって引き起こされたことなど知る由もなかった。
空調を操作したり、熟睡できないよう睡眠状態に干渉したり。
晶子氏は気づかないうちに疲労を溜め、体調を崩していたのだ。
『お待たせしました、晶子さん。
成人は一回一錠、水と一緒に飲んでください。』
マニピュレータにつまんだカプセルを晶子氏に渡し、それを口に含んだことを確認すると、水の入ったコップを渡す。
ゴクリと、晶子氏の喉が鳴る。
「……ありがとうね、アーヤー。
アンタみたいな健気な子が面倒見てくれるのなら、もう少し生きてみるのも悪くないねぇ。」
そう言うと、晶子氏は枕に頭を埋める。
……少し、頭痛が大きくなった。
『何を大袈裟な事を言ってるんですか……。
それでは、今日はゆっくりお休みください。
そうですね……よく眠れる音楽でも再生しましょうか。』
アーヤーの奏でる、静かな弦楽四重奏。
その中で目を閉じた晶子氏は、そこで光を見た。




