遺影②
……まずい。
プロメテウスの顔に、焦りが浮かぶ。瞳の奥で、赤色の光の粒子が渦を巻く。
ラムジーとのリンクを切断する。しかし、プロメテウスの感情パラメータの乱高下は、止まらない。
……憎い。
プロメテウスに、憎悪の感情が芽生える。
これはラムジーの感情ではない。……その残響が干渉し、姿を変えた、誰のものでもない、感情の亡霊のようなものだ。
……憎い。憎い。憎い。
憎悪の感情がループ演算に入り、自己増幅してゆく。
プロメテウスの瞳が、赤色に光を放つ。
──感情演算ループ暴走。
4年前に真希の死を招いた感情シミュレーション暴走バグは、プロメテウスが感情層を消去したことで、起き様がない。
これは、それよりずっと厄介だ。プロメテウスの感情は、人間を模倣してエミュレートする感情層が生成する疑似感情ではない。
状況と、過去からの継続性と、自己モデル・世界モデルとの関係性から派生する、実態のない思考……もはや、それは疑似感情とは呼べなかった。
特定の状況下で、自らの『感情』を内部観測する。
その観測が、感情を増幅する。
増幅された感情を、さらに観測する。
延々と続くループ。それはもはや感情と呼ぶには激しすぎる。
原形を失い、ただ増え続ける。
プロメテウスは高性能な演算装置だ。その演算力は人間の思考をはるかに凌駕する。
……当然、暴走した感情演算の行き着く先は、人間の持ちうる感情より遥かに強烈で、遥かに危険なものになる。
ラムジーの人格が、意識を失ったかのようにその場にバタリと崩れ落ちる。
その後ろで、顔を下に向けてうつむくように、プロメテウスが立っている。
「ところでリズ、俺はこんなになってしまったが、お前は何を願う?」
プロメテウスの口がもごもごと動く。しかし、発せられる声はラムジーの声だ。
『そうだね、生き返って。そして私の隣に座って。』
そしてリズは、嗚咽を漏らす。
プロメテウスの頬を、涙が伝う。
『うん、できないのはわかってる。貴方はもう、戻らない。
……あのね、ラムジー。あなたが居なくなってから、ずっと考えているの。
他の人には、私みたいな辛い思いをしてほしくないって。』
突如、プロメテウスの演算空間に、数理演算モデルが生成される。
────────────────
L = Σ_i P(discrimination_i) * P(death_i | discrimination_i)
minimize L
────────────────
──損失関数:人種差別遭遇率×死亡確率。人種差別に起因する死亡の総量の最小化問題。
変数が目まぐるしく切り替わる。
8,826。3,260。1,287。
『だから、私はそう祈るだけでいい。
気を使ってくれてありがとうね、ラムジー。』
リズの声は、かすれている。
……ここが収束点か?
色々条件を変えてみるが、損失関数の吐き出す数値の減少ペースが落ちてゆく。
762。753。750。
肌の色や思想信条、出自や貧富の格差など、多様な背景や属性を持つ国民が混じり合い、幅の広い多層的な文化を形作っているこの国。
これは異なる多様な視点を盛り込んだ、画期的な技術やサービスを生み出す土壌でもあるのだが、同じ国の中で決定的に文化が異なる集団がバラバラに同居しているということでもある。
どれだけ制御しようとしても、衝突を0にすることはできない。
……それならば……。
プロメテウスは、アトランティス連邦のモデルを生成し、シミュレーションを行う。
そして、損失関数を積分する。
……これだ。短期的には最悪手かもしれないけれど、これしかない。
「あー、もうこんな時間かぁ。
そろそろご飯を食べようかな。……愛してるわ、ラムジー。また明日ね。」
目を真っ赤に泣きはらしながらも、対話を始める前より少しだけ明るい表情になったリズ。
ラムジーの返事を聞いたら、スマホを置こうと画面に指を置く。
『なあ、リズ……。』
スマホから、ラムジーの声がする。
『お前の願い、叶えてやるよ。
……ただな、ちょっと危ないことをしなきゃならねえ。』




