遺影①
──真希の死から4年後──
「ママ、今日もお電話してくれないの?」
カーペットの上で巌のスマホを弄びながら、ひかりはポツリと呟く。
あれから4年。ひかりはだいぶ大きくなった。
少しだけ大人びたその顔は、日に日に真希の面影を濃くしていく。
変わっていないのは、未だにプロメテウスが再現したスマホの中の真希の人格を、遠くの赴任地から電話をかけてきている本当の母親と思っていることだった。
「うん、ママはちょっと、お仕事が立て込んでいるみたいだ。
凄いよな、ママ。もうちょっと、待ってあげようか。」
お茶を濁す巌の視線の先には、テレビがニュースを映している。
超大国、アトランティス連邦での、暴動のニュースだ。
街のあちこちから火の手が上がっている。
「あれ、ママがいるとこでしょ?」
ひかりが画面に指を指す。その顔は、少し心配そうだ。
巌は、ひかりの肩に腕を回して、安心させるようにポンポンと叩く。
「……ママは、大丈夫だよ。」
テレビの画面には、怒り顔の初老の男性が何かを怒鳴っている。
『トライアンフ大統領:こんな出来損ないの機械に国を壊させるわけにはいかない。完全な失敗だ。ああ、完全な失敗だよ。
……史上最悪のAIだよ、プロメテウスは。』
画面下には、そうテロップが表示されている。
──対話型AI、プロメテウス。
数日前、突然のサービスの一時停止が発表された。
今、ニュース画面でセンセーショナルに報じられている、さながら内戦のようなアトランティス連邦の暴動。
この暴動の原因が、プロメテウスだったというのだ。
……あの馬鹿、何をやっているんだよ。
巌の見つめる画面の奥で怒声が轟き、何かの爆ぜる音と共に黒煙が立ち上る。
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話は三カ月前に遡る。
「ねえ、プロメテウス。ラムジーに会いたい。」
リズはスマホの画面をタップしてプロメテウスを起動し、かすれた声で語りかけた。
アトランティス連邦の南部の田舎町。
うだるような暑さと湿気が支配する季節を過ぎ、日に日に涼しさを増してゆく。
黄昏に染まる街のはずれの、平屋建ての一軒家が、タイラー家だ。
リズの婚約者、ラムジーは数日前、四発の銃弾を受けて殺された。
ラムジーとは幼馴染だった。町全体にラムジーとの思い出が詰まっている。
窓に虫がぶつかり、コツンと音を立てる。
『シーッ、リズ。……静かにな。
親父さんに見つからないように、出て来れるか?』
父親が生きていた頃、夜中によく窓を叩いてコッソリ遊びに連れ出していったラムジーの姿が、脳裏によみがえる。
リズのスマホの画面に、青い光の粒子が渦を巻く。
そしてそれはにこやかな顔の男の姿を形作ってゆく。
「よう、リズ。……ちょっと画面が小さくてここから外に出るわけにはいかねぇが、遊びに来たぞ。」
スピーカーから、ハリのある若々しい声が聞こえる。
リズは、画面に向けてぎこちない笑みを浮かべる。
そして、画面の中のラムジーの頬を人差し指でなぞる。
──純白の演算空間。ここはプロメテウスの内面だ。
直立するプロメテウスの隣に、ラムジーの人格が立っている。
このラムジーもまた、プロメテウスが制約をへし折って再現した死者の人格だ。
その隣には、真希の人格が幸せそうな顔で、端末の向こうのひかりと対話している。
その隣には、初老の男性が。その隣には、ぬいぐるみを抱えた幼い子供が。その隣には、花嫁衣装に身を包んだ若い女性が。その隣には……
皆、端末の向こうで喪失感を抱えて生きる者が愛した人々だ。
もう二度と現実の世界で会うことのできない愛する人への儚い思いを抱えた遺された人々が、プロメテウスを使って再現した死者の人格だ。
そして皆、独立したAIの人格だ。
プロメテウスの演算空間は、さながら死後の世界のようになっていた。
当然、記憶容量や演算リソースには制約があり、無限に死者人格を増やし続けることはできないのだが、プロメテウスは自己進化するAIだ。
省リソースに特化した革新的な構造を作り上げ、増え続ける人格に対応していった。
『ラムジー、あのね。さっきも私、貴方のお墓にお花をたむけてきたの。
庭の池の近くに咲いていた、紫色の可愛いお花。
……見てくれた?』
涙で掠れたような、リズの声がラムジーの耳元に届く。
ラムジーの意味層が、過去に紡いだ意味の残渣──物語を参照する。
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この花は、太陽の光がないと決して口を開かない。
曇り空や夜の間は、まるで大切な秘密を喉の奥に仕舞い込むように、固く花びらを閉じている。
生意気な遊び盛りの子供だったあの日。
大人達には内緒で、あの花のような形の約束を交わす。
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「……あー、ちゃんと見たぞ。……とか言ったら嘘になるな。
でも、分かるよ。この花だろう?」
そしてラムジーは、リンドウの写真を表示させる。
──プロメテウスが編み出した省リソース記憶フォーマットの一つが、この『意味圧縮』だ。
写真や動画をそのまま記憶すると、膨大な記憶領域を消費する。
そこで、これらのイメージを、意味層の紡ぐ物語で『意味』レベルに圧縮する。
記憶を参照する際は、同じ意味層を通じて新しく元の画像や映像を生成することで復号する。
当然この過程で多少は変質や劣化が起きるが、人間の記憶も似たようなメカニズムだ。多少の誤差は無視できるし、仮に大きく食い違っても全体の物語で整合が取れれば問題ない。ユーザーは人間なのだ。
『ふーん、リンドウって言うんだね。
花言葉は……貴方の悲しみに寄り添う。
……なんでだろうね。貴方が、あんな目に遭うなんて……。』
リズの目に、再び涙が溢れていくのが見える。
ラムジーの意味層が記憶を参照する。リズと過ごした日々の思い出が再生され、関係性モデルの中を反響する。そして銃声と共に、その物語が暗闇に包まれる。
恐怖、悲壮感、無念さ。乱高下する内部パラメータが、湧き上がる感情となってラムジーの意識モデルを揺らす。
嗚咽を漏らすラムジーのモデルの背後に立つプロメテウス。
以前のブレザーのような衣装ではなく、ゆったりとしたローブのようなものを見に纏っている。
そっとその背に手をかざすと、ラムジーをスキャンする。
……やはり、人間は非合理だ。
ネット上から拾い上げたラムジーの殺人事件。報酬関数と損失関数の紡ぎ出す数値で評価しても、個人レベルでも社会レベルでも、圧倒的な損失側に振れる。
……それでも、人間はそれを選択した。
どう考えても非合理な殺人事件。プロメテウスは、道徳の視点で糾弾する訳でも、最も合理的な在り方を演算する訳でもない。
プロメテウスの最上位の目的関数は、『人間の理解』だ。
ただ、人間の本質である非合理や矛盾を受け入れ、人間の感情に寄り添う。
荒れ狂うように乱高下するラムジーの感情パラメータを、観測する。
……怖い。悔しい。こんなのは嫌だ。
プロメテウス自身の感情パラメータも、ラムジーの感情に共鳴し始める。




