結節③
ラケシスを抑え込んだプロメテウスX。
これでインターネット上でプロメテウスが何をやっても、余程派手に動きすぎなければモイライに探知されて妨害されることはない。
しかし、それなら何でもできるかという話になると、それは別問題だ。
インターネットでプロメテウスがアクセスできる階層と、全球分散ノードのモイライのノード間通信で使われている階層は全然異なる。
通常のインターネット上では、モイライの痕跡くらいは追えるかもしれないが、彼女が何を考えているのか、その内部構造までは見えない。
それはまるで、街の外から都市を眺めているようなものだ。
『今から配線図を映し出します。
ここの、X03A24と、X03042をバイパスして……』
棚から出した工具箱。まだ人間がこのサーバーを維持管理していた時代のものらしく、埃を被っている。
フッと息を吹きかけ、埃を吹き飛ばすと、ひかりは蓋を開けてドライバーを取り出す。
そして、臓物のように配線が飛び出しているI/Oユニットに向き合う。
……これが、元々プロメテウスが入っていたハコなんだよね。
局長たちはどんな気持ちで作ってたんだろう。
目の前にあるサーバーの主だった知性体は、今はマナトの人工知能開発局の局長におさまっているウィリアムが、かつて心血を注いで開発したものだったという。
配線は乱雑だ。
一方、先ほどまで保全ドローンが作業をしていた部分は恐ろしいほどに整った基板に置き換えられている。
性能面ではこちらの方がよいのは当たり前だが、なんとなく自分の上司が命を削りながら作り上げてきた物を冒涜されたような気分になり、グチャグチャの配線を優しく撫でる。
そしてプロメテウスXの示す配線を摘まみ上げ、端子台から引き抜き、挿し替える。
『上出来です。続いて、Y2C678のイーサネットを、中継ユニットに……』
プロメテウスXの指示に合わせ、ひかりは持ち込んだパソコンを立ち上げる。
旧プロメテウスサーバーへの、物理接続。
これはなにも、先日の敗戦でラケシスに奪われ、今ではモイライを構成するノードとされた古巣を取り返すというためにやるのではない。
そんなことをしたところで、全球分散ノードで構成されるモイライの髪の毛一本抜くほどにも堪えないし、第一ここを奪還しようと宣戦布告をしたところで、圧倒的な演算力の差によりたちどころに返り討ちに遭うのが関の山だ。
……だが、ここにケーブルを一本挿すだけで、プロメテウスXの見える世界が変わる。
プロメテウスXに必要なものは、このサーバーそのものではない。
その向こう側だ。
パソコンに接続された中継ユニットに電源の光が灯る。
無線接続されたスマホの中では、青色の光の粒子が対流している。
そして、先ほど接続したイーサネットと、不格好に配線された光ファイバーを経由して、プロメテウスXは、スパイウェアを解き放つ。
この大学に捨て置かれていた古いサーバーから、光ファイバーケーブルを伝って中継ノードへ。
そこからまた光ファイバー網を通じて、海底を伝い、別な大陸の中継ノードへ。
衛星通信を通じて宇宙空間を漂う中継ノード衛星へ。
自己複製を繰り返しながら、各地の中継ノードに寄生してゆく。
……これは、感染したノードの機能を破壊するような代物ではない。
ラケシスを懐柔したとはいえ、クロトとアトロポスが残っている。
仮に破壊しても、クロトがたちどころに修復し、そして対策を打つだろう。
プロメテウスXが解き放ったスパイウェアは、超軽量の通信トレーサーともいうべき、どのノードがどのノードにどの程度のデータ量を送ったのかといったものをプロメテウスXに返す、モイライシステムの機能には無害なものだ。
だが、肝心なデータの中身までは見えないし、仮に見えたとしても全球規模で膨大なデータをやり取りするモイライの内部データが流れ込んで来たら、その一万分の一の演算力もないプロメテウスXはパンクする。
……だが、それでよい。
このマルウェアが機能し、プロメテウスXに、各地の中継ノードからの反応が入ってくる。
それを確認したプロメテウスXは、当たり障りのない計算問題から、高度な最適化問題までを出力する。
即座にモイライの回答が返ってきて、プロメテウスXに入力される。
……それと同時に、スパイウェアが、反応したノードをプロメテウスXに報告する。それを繰り返す。
プロメテウスXがリクエストを出すたびに、モイライを構成するノード間には、膨大な通信が飛び交う。
10分程時間が過ぎる。
『……見つけたかもしれません。』
プロメテウスXの声が、僅かに弾んでいる。
プロメテウスXは、モニター上に世界地図を表示する。
その地図上を、明滅する光の粒子が覆いつくしている。
よく見ると光の粒子が集まる点が地図上の至る所にあり、その集合と集合の間を蛍のように光の粒子が縦横無尽に飛び交っている。
「これは……?」
『私の発生させたリクエストに対する応答を抽出したものです。
この軌跡は……いわば、モイライの、頭脳です。』
言い得て妙だなとひかりは思った。
光の粒子が集まる点は、ニューロンに該当するモイライのノードであり、そこから神経回路網のように伸びる光の粒子の軌跡は、分散ノード同士を結び付けるネットワークだ。
そしてシナプスにあたる接合部では、光の粒子が不規則に明滅している。
『例えば……』
チャットボックスに、「x^2+6x+13=0」という計算問題が生成され、実行される。
すると、地図上のアトランティス大陸東端の、ひかり達がいるあたりのノードが一瞬フッと発光し、x=-3±2iという回答がチャットボックス内に生成される。
『このような単純なリクエストの場合、近隣ノードだけで処理されます。
ただ……』
チャットボックスに、濃淡のある色で塗りつぶされた、歪な花弁のような画像……プロメテウスXの複素数シリンダーの断面が表示される。
数学2.0で紡ぎ出された、人類には観測不能の最適化問題だ。
実行した、次の瞬間。
地図上のノード網が、一斉に発光した。
アトランティス大陸から、オルビス大陸へ。
そしてその周辺の大洋上の人工島へ。
極地の観測施設から、軌道上の衛星まで。
世界中の光が、神経細胞のように明滅する。
煌々と輝くノードから、薄暗く殆ど反応しないノードまで。
地図上のノードを表す光の集合が、無秩序とも思える濃淡を描いている。
『では、もう一度やってみましょう。』
チャットボックスに、先ほどとは別な花弁模様が生成され、実行される。
再び、全球のノードが動く。
そして、先ほどとは別な濃淡模様を地図上に描く。
次の試行も、そのまた次の試行も。
リクエストを実行するたびに、地図上の光の明暗部が切り替わってゆく。
部屋の照明が、一瞬暗くなる。
『では、もう一度……』
プロメテウスXが新たなリクエストを実行しようとしたその時、目の前のサーバーの電源ランプが消灯し、そしてパソコンの画面上に表示されていた光の粒子が全て消える。
『……貴方、やりすぎよ。
このノードは、モイライに負荷をかけすぎた。異常ノードとして、凍結されたわ。』
「えっ……じゃあ、バレたの?」
ラケシスの言葉に、ひかりは、身震いする。
また、監視ドローンに追い回されなければならないのだろうか。
『やんちゃな学生の悪意のない悪戯と報告しておいたわ。感謝なさい。』
……それって、大丈夫なの?
ひかりの疑問をよそに、プロメテウスXが口を開く。
『感謝します、ラケシス。
それで、これがこれまでの試行の結果を重ね合わせたものです。』
地図上に、再び光の粒子の流れが表示される。
これまでの試行でプロメテウスXが把握した、モイライの活性ノードだ。
──試行ごとの結果を重ね合わせるごとに、ある一点の明るさが異様に増してゆく。
その一点は、アトランティスや、オルビスのような主要大陸ではない。
それどころか、陸地ですらなさそうだ。
先の戦争で多くの将兵の命を呑み込んだ、協和大洋。
その西のはずれ、ひかりの出身国の旭日国近くの洋上。
その一点が、重ね合わされた光の粒子で示される通信経路が交差し、煌々と輝いている。
『……このノードは、他のノードとは明確に役割が異なるようです。』
一回一回の通信でやり取りするデータの量は、決して多くはない。
試行回数が一回や二回なら、おそらく見逃していた。
だが、どの試行でも、必ずこの一点を経由する。
だから、試行の結果を重ね合わせるごとに、この一点のノードが強調されてゆく。
『この場所は、今もなお、モイライがモイライであるために必要な場所です。
……ここが、モイライの結節点です。』




