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楽園の獣  作者: 静原律
第一章 命をつなぐ街

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第6話「守れない街」

 祈り堂の長椅子が壁際へ寄せられ、床に布が敷かれていた。負傷者を置く場所は、そこにもほとんど残っていなかった。


 アキスたちは入口近くの隙間(すきま)へ兵を下ろした。治癒術師(ちゆじゅつし)の女性がしゃがみ、血で固まった服を傷口の周りから切り取る。デンバルは足首を、アキスは膝(ひざ)を支えた。


「その脚、まっすぐに支えていて。離していい時は、私から言うから」


 傷の上に淡い光が集まる。兵の手がアキスの袖(そで)をつかんだ。


「西門の見張り台に、仲間がいる。帰ってきた者がいたら……」


「西門の見張り台ですね。戻った人に聞きます」


 自分が迎えに行くとは言えなかった。あの店の敵がもう一体増えていたら、この人さえ運べなかったかもしれない。兵の指から力が抜けても、アキスは脚を支え続けた。


 扉の外で声が上がった。祈り堂に面した大通りまで敵が迫り、担ぎ込まれる負傷者のすぐ後ろを、武器を構えた兵がふさいでいる。


「入口を空けろ! まだ中へ入れてない者がいる!」


 バゼルトが正面へ出た。その隣で、同じ服、同じ剣を持つもう一人の教官が身体を起こす。二人は通りの左右へ分かれ、負傷者を運ぶ兵たちと入れ替わった。


 屋根から降りてきた岩翼人(ガーゴイル)へ、射手たちが矢を集中させる。敵は羽ばたいて軌道を変え、負傷者の列を守る兵の肩へ両足を伸ばした。兵が上げた盾の外から、爪(つめ)が肩へ回り込む。教官は兵の横へ走り、敵がつかんで飛び立つ前に、翼の付け根を剣で切り裂いた。敵は片翼を動かせないまま地面へ落ちた。


 もう一方には、長い柄(え)の武器を両手で握った巨角人(ミノタウロス)が迫っていた。先頭の戦槌(せんつい)が味方の盾をへこませ、兵を後ろへ押し倒す。その横から大斧(おおおの)が振られ、助けようとした仲間まで退かされた。教官が近づくと、敵は武器の届く手前に防御魔法を張った。


「断空斬(だんくうざん)!」


 剣が横へ振り抜かれた。大きな斬撃(ざんげき)が光の膜を破り、戦槌(せんつい)を握る腕と、その背後の敵まで切り裂く。落ちた武器を越えて正規兵が踏み込み、大斧(おおおの)を構え直す敵へ横から迫った。


 倒れた敵を越えて次の列が進んでくる。だが、正規兵も引かなかった。屋根の射手が低空の敵を追い払い、地上では術者が建物の戸口を防いだ。教官が通りを進むたび、負傷者を運ぶ場所が少しずつ広がっていく。


「西の角まで押し返したぞ!」


 入口の兵が叫んだ。アキスの身体も前へ浮いた。


「離さないで! まだつながってない!」


 治癒術師(ちゆじゅつし)に止められ、膝(ひざ)をつき直す。支えている兵がこちらを見ていた。アキスは目をそらさず、持ち直した手に力を込めた。


 しばらくして、女性が兵の脚に布を巻き始めた。


「もう手を離して大丈夫。二人でそこの壁際へ運んでくれる? まだ立たせないでね」


 デンバルと兵を運び終えた時、西から赤い光が走った。


 祈り堂の扉からは、大通りを遠くまで見通せた。さっき正規兵が取り戻した交差点へ、横の通りから炎が噴きつけられた。防御魔法に当たった炎は消えず、光の膜を赤く染めて広がった。術者が腕を下ろすより早く膜が破れ、前に立つ兵の金属盾を焼き抜いた。


 盾を捨てた兵が倒れる。その後ろでも服に火がつき、仲間が地面へ押さえて消していた。


「交差点から退け! 建物の陰へ!」


 バゼルトの声に合わせて兵が下がる。だが、逃げようとした路地の入口からも火柱が上がった。西側の通りにいくつもの炎が立ち、交代するはずだった部隊を分断する。頭上を越えた岩翼人(ガーゴイル)が、炎を避ける兵へ急降下した。


 身を低くした兵の背へ両足がかかり、爪(つめ)が肩の金具をつかんだ。兵が剣を振り上げた時には、もう足が地面を離れていた。そばの仲間が手を伸ばしたが届かず、敵は兵をつり下げたまま屋根を越えていく。


「上!! 兵がつかまってる、早く、誰か――!!」


 アキスが入口へ駆け寄る前に、岩翼人(ガーゴイル)は両足でつかんでいた兵を放した。兵の身体が屋根より高いところから落ち、通りへたたきつけられる。剣だけが石畳を滑り、兵は動かなかった。助けに走り出した別の兵へ、もう一人の岩翼人(ガーゴイル)が急降下してきた。


「通りへ出るな! 頭上を守って、建物の陰へ戻れ!」


 バゼルトの剣が、伸びてきた足を下から払った。兵たちは防御魔法を斜めに重ね、負傷者をその下へ引き入れる。だが、通りに落とされた兵のところまでは届かなかった。


 教官たちは火柱の左右から追手へ斬(き)りかかった。一方が両手武器の振り下ろしを外へそらし、もう一方が敵の胸を貫く。その間に正規兵が負傷者を抱え、祈り堂の入口へ戻った。


 バゼルトが次の敵へ向き直った時、火柱から噴き出した炎が右腕を包んだ。袖(そで)が焼け落ち、その下の皮膚(ひふ)がただれた。剣を左手へ持ち替える。離れたもう一人も同じ腕を下げたが、攻める足は止めなかった。二つの剣が敵を押し返し、負傷者を運ぶ兵の背後を空けた。


 剣を握り直した教官が、焼けた腕を一度だけ見た。西の交差点へ戻るその背を、アキスは目で追った。


 運び込まれる人数が増えた。入口に積んであった布がなくなり、ルーシャとデンバルが奥から運んでくる。アキスも渡された布を抱え、空いた場所を探した。


 新しい担架(たんか)が入口を通った。その横をスミナが歩いている。誰かを呼びに行くのだろうと思ったが、彼女は担架(たんか)が床へ下ろされると、すぐにしゃがんだ。


「父さん……? 父さん!」


 アキスは止まった。


 舞台で大きな伸びをして、メイハを笑わせた人だった。服に石の粉がつき、頭の横を血が濡(ぬ)らしている。スミナが手を取っても、顔はこちらへ向かなかった。


「建物に挟(はさ)まれていた。引き出した時には、息があったんだが……」


 運んできた兵が言葉を切った。治癒術師(ちゆじゅつし)が父の胸と首に触れ、スミナに向かって首を振る。


「待って。まだ、何もしてないじゃないですか」


 スミナは父の手を持ち上げ、治癒術師(ちゆじゅつし)へ差し出した。


「治す光、出してくれませんか。さっきの人みたいに。……お願い、まだ温かいんです。ここ、触ってみて……!」


 女性はその手を受け取り、もう一度首へ指を当てた。スミナは父の顔を見つめて待つ。女性が何も言わずに手を離すと、返された手を自分の両手で包んだ。


 アキスは抱えていた布を一枚、隣へ置いた。スミナは布へ目を落とし、父の顔を見た。


「顔には……かけないで。お願い」


 アキスは布を広げ、肩で折り返した。話しかけようとしても、何を言えばいいのか出てこなかった。スミナは布の端を直し、もう一度父の手を取った。


 彼女の母が駆けつけたのは、その直後だった。娘のそばへ座り、夫の名前を呼ぶ。返事を待つ間も、外では戦いの音が続いていた。


 祈り堂へ戻ってきた守備隊の兵が、教官へ報告した。西側の部隊は退却を始めた。守備隊長は街を放棄し、東門から住民を出すと決めたという。


「歩ける者を先に出す。東の部隊へ、列の先頭を守るよう伝えてくれ」


 教官は兵を送り出し、生徒たちにも避難の手伝いを命じた。西へ戻る部隊はもう集められなかった。


 アキスは入口の外へ出た。人々の間にメイハの顔を見つけ、名前を呼ぶ。妹は付き添っていた兵の手を離し、胸元へしがみついてきた。


「お兄ちゃんっ!! 家に兵の人が来て、逃げろって……どこにもいないし、私、どこに行けばいいか……!」


「ごめん、メイハ、ごめん! ここで待ってれば会えるって……けがは? 転んだりしてないか?」


 メイハは首を振ったが、アキスの服を放さなかった。


「お兄ちゃんの手、血がついてる」


 剣を持つ手を背に回しかけ、アキスはやめた。


「俺の血じゃない。運んできた人の……」


 それだけではないことを、妹に説明できなかった。メイハの手を包み、東の方へ身体を向ける。


「……メイハ。兵の人と東門へ行っててくれ。俺は、中の人を運んだら――」


「やだ!! やっと会えたのに!」


 メイハの指が、服をきつくつかんだ。


「邪魔しない。ここで待ってるから」


「ここは駄目だ。もう敵が来てるんだよ」


「お兄ちゃんは!? お兄ちゃんもここにいるじゃない!」


 アキスは口を開き、そのまま閉じた。メイハの手を放したくないのは自分も同じだった。それでも、入口の内側には自分で立てない人が並んでいる。


「……そうだな。俺だけ残るの、ずるいよな。でも、まだ歩けない人がいるんだ。運び終わったら行く。門の外で、俺を呼んでてくれ。聞こえたら、すぐ探すから」


 付き添っていた兵が、妹の肩へ手を添えた。メイハはアキスを見たまま、握っていた指を一本ずつ離した。歩き出しても、何度も振り返った。デンバルも避難者の中に家族を見つけ、列の場所を教えに走っていく。


 祈り堂では、スミナの母が娘の肩に手をかけ、東へ向かおうと促していた。


「このままじゃ、出られなくなるのよ」


 スミナは父の手を握ったまま、顔だけを上げた。


「母さんは先に行って。私、あとで……」


「あとでって、どうやって来るの!」


 スミナは答えず、父の指を自分の指に重ねた。何度直しても、手を返すと離れてしまう。


「……放したら、父さん、ここに一人になっちゃう」


「だからって、スミナまで置いていけるわけないでしょう……!」


 強く言った母が、スミナの肩から手を滑らせた。娘の隣へ座り直す。ルーシャも近くへしゃがみ、スミナの足元から血のついた布を取りのけた。


 アキスが空の担架(たんか)を取りに戻った時、東側の大通りから悲鳴が上がった。進み始めた避難の列が止まり、前にいた人たちが祈り堂へ押し戻されてくる。


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