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楽園の獣  作者: 静原律
第一章 命をつなぐ街

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第5話「壁を抜ける敵」

 祈り堂へ続く通りを、兵たちが西へ走っていく。その流れに逆らい、アキスはデンバルと負傷兵を運んでいた。


 兵の両腕をそれぞれの肩へ回し、腰を支えて歩く。傷ついた右脚は地面につけられず、無事な方の靴だけが石畳をこすった。アキスは兵の体重を受けるたび、背に回した盾を壁へぶつけた。


「あと、あの角までです。ほら、もうすぐですから」


 デンバルの言葉に、兵が西を振り向こうとする。


「門の下に、まだ取り残された連中がいる。俺は戻らないと……」


「待って、動かないで! 伝えます。門の下ですね? 俺から伝えますから、今はつかまっててください!」


 アキスは兵の腕を握り直した。自分も西の空が気になっていた。門が崩れる直前まで、正規兵と並んで戦うつもりだった。授業で試したことが、本当の敵にも通じるのか。それを知りたい気持ちが、鐘の音を聞いた時には確かにあった。


 今は剣を抜く手も空いていない。歩調を速めれば、隣の兵がうめく。あの門まで行けたとして、自分は誰を助けられるのだろう。


「待て待て、アキス! 速いって! こっち、腕が……落ちる!」


 デンバルの肩から、兵の腕がずり落ちかけていた。アキスは立ち止まる。デンバルが抱え直すのを待ち、今度は隣の足を見ながら歩いた。


 背後で武器と盾のぶつかる音が続いた。振り返ると、大通りを守っていた兵が東へ下がっている。巨角人(ミノタウロス)が両手の大斧(おおおの)を防御魔法へ振り下ろし、光の膜に亀裂を走らせた。頭上には岩翼人(ガーゴイル)が次々と飛来し、屋根の射手が空へ弓を向ける。矢を避けた一人が、今度は負傷者の列へ降りてきた。


「アキス、こっち!! 中へ入って!」


 先を走っていたルーシャが、通りに面した戸を押し開けた。食事を出していた店らしい。長机の上には器が残り、倒れた椅子が床をふさいでいる。


 スミナが椅子をどかす間に、ルーシャは広間の奥へ走った。


「こっち、抜けられる! 祈り堂の屋根、すぐそこだよ!」


 正面から入って奥へ抜けるだけだ。アキスたちは負傷兵を抱えて店内に入り、入口へ背を向けた。その時、右手の壁から白い腕が伸びた。


 石の割れ目からではなかった。指が壁の表面を通り抜け、その後に顔と肩が現れる。顔の向こうに、壁の模様が透けて見えた。


「幽体人(レイス)だ!」


 負傷兵が叫ぶ。伸びた手が兵の首へ届く前に、スミナが防御魔法を張った。指先が光の膜に突き当たり、壁から出かけていた身体が止まる。


 アキスは兵をデンバルに預け、剣を抜いた。背から盾を下ろしながら光の膜の横へ回り、敵の肩へ刃を振り下ろす。


 何も切れなかった。


 剣は白い身体を通り抜け、床板を打った。振り切った腕を戻す間に、敵はアキスの横を抜けていく。首を狙うと見せて防御魔法を回り込んだのだ。デンバルが負傷兵を引いても、歩く速さでは逃げ切れない。


「まだ動く敵がいる。奥の戸をふさげ」


 敵が壁へ声をかけ、負傷兵の服をつかんだ。その指に色が戻る。身体の向こうが見えなくなり、引っ張られた布が兵の肩へ食い込んだ。


 デンバルは兵の腰を抱え、机の脚へ足をかけて耐えた。


「ルーシャ、腕を!」


 ルーシャは腰の剣を抜かず、床へ両手をついた。


「獣相(じゅうそう)!」


 腕と脚が太い獣のものへ変わり、指先に硬い爪(つめ)が伸びた。低く走って敵の腕を払う。だが、敵が服を放した途端、彼女の前脚は白い肩をすり抜けた。


「当たってたのに! また透けた!?」


 ルーシャはもう一度前脚を出しかけた。敵は動かず、その足を見ている。


「……見てる。振るのを待ってるんだ、こいつ」


「でも、つかむ時は戻ってた! 俺が前へ出る。ルーシャ、横から腕を狙って!」


 アキスは身を起こし、左腕の盾を上げた。負傷兵を狙っている間に背後から切ればよかった。気づいた時には、敵はもうこちらへ顔を向けていた。


 奥の壁から、別の幽体人(レイス)の顔が現れる。スミナは裏戸の前へ下がり、防御魔法を張り直した。光の膜が裏戸の横にある壁を覆い、デンバルの逃げる先を確保する。


「二人も来て。裏の戸は開いてる!」


 アキスは下がりかけた。敵の目が、兵を抱え直したデンバルへ向く。先ほども、こちらの剣を素通りして追いつかれた。


「先にデンバルを! このまま退いたら、また追いつかれる!」


「二人はどうするの!? ここからじゃ守れないよ、アキス!」


 スミナが防御魔法の向こうから手を伸ばしかける。


「裏戸の横の壁を防いでて! ルーシャ、俺が止めたら――」


「腕でしょ。見てるから!」


 机の陰へ回ったルーシャが、前脚を床に伏せた。今度は飛びつかず、敵の手を見ている。アキスは盾を胸の前へ構えた。


 魔法で守ってもらえないまま、剣の通らない相手を待つのは怖かった。透けた指がまた首へ伸びたら、今度こそ止められるだろうか。盾の持ち手を強く握りすぎ、左手の指が痛んだ。


 敵は盾を見て口元をゆがめた。身体を透けさせたまま近づき、盾の上から首へ腕を伸ばした。


 アキスは盾を動かさずに待った。指が盾の縁(ふち)を越える。首へ届く直前、指の向こうにあった灯りが見えなくなった。


 そこで盾を引き上げた。


 金属の縁(ふち)が手首を打つ。敵は手を引かず、アキスの肩をつかもうとした。アキスが下がれば、その後ろにいるデンバルを追える。相手もそう考えたのか、実体を持った足で床を踏み、盾ごと押し込んでくる。


「ルーシャ!」


 横から伸びた前脚が、敵の腕を払った。肩をつかもうとした手が外へ開く。アキスは盾のすぐ横から剣を突き出した。敵が身体を透けさせるより早く、刃が胸へ入った。


 敵の口が開いた。盾を押していた力が抜け、白い身体が床へ崩れる。


 アキスは剣を引いた。刃に重さが残り、右手が震えた。倒れた相手も普通に言葉を話していた。最後にこちらを見た目が、床へ伏せられていた。


「アキス!! そっちじゃない、後ろ! こっちへ来て!」


 スミナの声で顔を上げた。もう一体が、防御魔法の端を回ろうとしている。立っていても壁が守ってくれるわけではない。アキスはルーシャとともに奥へ下がった。


 デンバルは既に負傷兵を路地へ連れ出していた。スミナが残った二人を裏戸の外へ押し出す。彼女は店の中の壁へ一度目を向け、その模様を戸口に重ねた。


「留景(りゅうけい)」


 開いていた戸口が、切れ目のない石壁に見えた。幻の向こうから椅子を倒す音が近づく。追手は壁を抜けられる。隠したのは通れる場所ではなく、四人が選んだ出口だった。


「角まで急いで! すぐ追ってくるよ!」


 スミナは防御魔法を解き、路地を指した。アキスは剣を収めて盾を背に戻し、もう一度負傷兵の腕を肩へ回す。敵につかまれた兵の服は、肩口が大きく裂けていた。


「俺に体重をかけて。立てそうですか?」


「脚が……頼む、離さんでくれ」


 デンバルと歩調を合わせる。背後で追手が何かを叫んだが、四人は振り返らずに角を曲がった。


 祈り堂の入口には、ここまで歩いてきた人と、運ばれてきた人が折り重なるように集まっていた。アキスは人の間へ顔を出し、脚を傷めた兵がいると声を張った。


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