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楽園の獣  作者: 静原律
第三章 森を喰らうもの

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第41話「北の階段」

 カフリは、援軍の弓兵へ枝の上の位置を示した。


「あの幹の裏にも射手がいる。左だけ見てると、横から来るぞ」


「ここは引き受ける。下へ行ってくれ」


 返事を聞くと、待ちきれずに階段へ走った。スミナも後を追う。枝から地上へ下りると、戦いの音が急に近くなった。


 北の階段へ続く道に、血のついた布が落ちていた。


 家の壁に背を預けた兵が、下の方を指す。腕に巻いた布を押さえ、言葉が出てこない。


「ノルセイは!? ここを通ったか!」


 兵がうなずいた。その指の先から、聞き覚えのある声がした。


「来るな! 上から見られてる!」


 ノルセイだった。


 階段の途中で、根の張り出した陰へ身を押し込んでいる。右の腿(もも)から流れた血が、段の端を濡(ぬ)らしていた。


 すぐ下に、ギムトが倒れていた。


 首の付け根へ矢が刺さっている。起きようとも、傷を押さえようともしない。


 カフリは壁へ手をつき、外へ出かけた身体を止めた。


「ギムトは」


 ノルセイの唇(くちびる)が動いた。


「……もう、駄目だ」


 スミナは階段を見た。朝、肩をかばいながら荷を持ち直していた人が、今は目を開いたまま動かない。


 声をかければ振り向きそうで、その名前を呼びそうになった。


 カフリが手を伸ばし、彼女を壁の内側へ戻した。矢が、二人の前の土へ刺さった。


「ノルセイ、どこから撃ってる!」


「左の上だ。枝が重なって、見えない。……先に、下を止めろ!」


 階段の下から、盾を持った豚人(オーク)が上がってきた。


 ノルセイが剣を上げようとして、片手を脇(わき)へ戻す。腿(もも)だけではなかった。腹の横にも、血の染みが広がっている。


 スミナは防御魔法を階段へ張った。


 敵の盾が光へぶつかった。後ろから押され、最初の兵の靴が一段上へずれる。広い面では止め続けられない。スミナは階段の幅まで狭め、両手を前へ出した。


「カフリ、射手を探して!」


「分かってる。でも、あの葉の中じゃ――」


「私が出すから。カフリは、ここにいて」


 彼女は壁の陰で彼の顔を見た。いつもの軽い笑いがない。眉(まゆ)の間に力が入り、首筋を汗が流れている。


 スミナが作った写身(うつしみ)も、同じ顔になった。


 幻のカフリが壁から身を乗り出し、ノルセイへ走った。


 左上の葉が揺れた。


 弓の先が出て、弦(つる)が戻る。矢は幻の胸を抜け、根へ刺さった。


 本物のカフリは、その時には腕を振っていた。


 小さな刃が、葉の間へ消える。短い声がした。射手の手が枝の外へ落ち、弓の先が下がった。


「上、今だ!」


 壁にいた味方の兵が二人、階段へ出た。一人がノルセイの肩を抱え、もう一人が足を持つ。ノルセイの口から、押し殺せない声が漏れた。


 下では盾が、スミナの防御を押し上げていた。


 盾の隙間(すきま)から投げられた刃が、光の面へ刺さる。スミナは顔をそらしかけ、耐えた。敵の一人が脇(わき)の根へ足をかけ、防御を回り込もうとする。


 カフリがそちらへナイフを投げた。


 敵は腕で受け、構わず上がってきた。刃が刺さったまま、空いた手で剣を抜く。


「止まってよ……!」


 スミナの声に、カフリは答えなかった。敵が剣を振るより先に、一段低い所へ踏み込む。


 掌圧(しょうあつ)が盾の上端を打った。


 敵の身体が後ろへ反った。その首を、助けに来た味方の槍(やり)が突く。根へかけていた足が外れ、下へ落ちた。


 カフリはすぐに戻り、ノルセイを運ぶ兵の背を支えた。


「そのまま! 階段、あと三つ!」


 スミナはノルセイの靴が壁の陰へ入るまで防御を保った。手を下ろすと膝(ひざ)が震えたが、座り込む前にカフリが腕を取った。


 援軍の兵が、二人と入れ替わって階段へ盾を並べた。


 倒れたギムトの方へ、誰かが手を伸ばした。上から新しい矢が降り、その手を引いた。


 スミナは顔を伏せた。


 置いていかなければならなかった。


     *


 メルヒナは、運び込まれたノルセイを見るなり場所を空けた。


「そこへ寝かせて。足は持ったまま、ゆっくり」


「ずっと血が出てる。布を当てても、止まらないんだ!」


 カフリの声が大きくなった。メルヒナはノルセイの服を開き、傷へ触れる前に彼を見た。


「その手を貸して。僕が押さえる所へ、重ねてくれる?」


 カフリは両手を出した。メルヒナの指の下へ布を当て、体重をかけて押さえる。ノルセイが顔をしかめた。


「痛いだろ。悪い、でも、離せないから」


「知ってる……。もう少し、静かにしろ」


「怒るなら、ちゃんと目を開けて怒れよ!」


 ノルセイが薄く目を開いた。


 メルヒナは傷の深さを確かめ、血流(けつりゅう)の術を使った。布の端へ広がる赤が、少しずつ遅くなる。


 スミナは水を取りに走った。戻ると、ノルセイの顔から血の気が失せていた。血が止まりかけても、失った分まで戻るわけではない。メルヒナは指を首へ当て、呼吸を見て、何度も彼の名を呼んだ。


 カフリは言われたとおり押さえ続けた。肩が震え始めても、手を離さなかった。


「カフリ、代わるよ」


 スミナが横へ膝(ひざ)をついた。


「まだ持てる」


「手が震えてる。私も、ここにいるから」


 メルヒナがうなずき、手の位置を示した。スミナはカフリの指が一本ずつ離れるのを待って、自分の手へ重さを移した。


 彼は腰を下ろした。血のついた両手を、どこへ置くこともできずに開いている。


 外から、兵を呼ぶ声がした。


 カフリは顔を上げたが、すぐには立たなかった。ノルセイの胸が上下するのを確かめてから、残ったナイフを数えた。


「スミナ。頼む」


 彼女はノルセイから目を離さず、うなずいた。


「戻ってきて。カフリも」


 カフリが、布で指を拭(ふ)いた。濡(ぬ)れたままの手を一度握り、外へ出ていった。


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