第3話「教官の剣」
翌朝、アキスはいつもより早く軍学校へ着いた。
腰の剣は、実技で使う木剣ではない。城外実習では何が起こるか分からないからと、実戦用の剣を携えるよう言われていた。抜いて確かめた刃を収め、左腕の盾の留め具も締め直す。
その日の実習は、東門から見張り所までの道を歩き、城壁の外で見える範囲を確かめるものだった。正規兵が先頭と最後尾につき、教官バゼルトが生徒を率いる。敵を探して戦う任務ではない。異変があれば兵へ知らせ、指示された場所から動かないよう、出発前に言い渡された。
城門を出ると、家と家の間を歩く時には見えないほど、遠くまで空が広がった。畑を抜ける道の先に林がある。アキスは見張り所の屋根を探したが、木に隠れて、まだ見えなかった。
「あの辺り、葉が落ちてる」
スミナの声で、林の端を見た。
手前には葉を残した木がある。その奥だけ、枝が細い線になって重なっていた。足元の草も薄く、土の色が見えている。
「先月より広がったな」
先導する兵士が、バゼルトへ言った。教官は林を見たあと、生徒たちへ道の中央を歩かせた。
反対側から、袋を背負った夫婦が来た。年配の男性は手に畑の作物を持っていたが、まだ育つ途中のように小さい。女性は何度も来た道を振り返る。
「門、通してもらえるでしょうか。子供を先にやってしまって……入れない人もいるって聞いたものですから」
「今なら通れますよ。東門で、畑から来たと話してください」
教官が答えると、女性は頭を下げた。デンバルが道を空けながら、背負った袋がずり落ちないよう持ち上げる。
「荷物、これで最後ですか?」
「そのつもりだったのよ。あと少し採ってからと思ったら、ほら……持っていくほどもなくて」
女性は、夫が持つ作物を見た。男性は根の付いた土を指で落とし、兵士へ差し出す。
「水は足りてる。日も当たってる。去年は同じ畑で、ちゃんと育ったんだ。それが今年は、木まで」
兵士は作物を受け取り、根を確かめた。城外で魔力が弱まっているという報告は、ほかの集落からも届いているらしい。何が原因か尋ねた男性へ、ここでは分からないと答え、街へ持ち帰るために布で包んだ。
アキスは夫婦を見送りながら、自分たちの食べ物も、この道を通って運ばれてくるのだと思った。昨日、メイハと店で菓子を選んでいた時には、どれを買うかしか考えなかった。
林の手前へ近づいたところで、短い笛の音がした。
先頭の兵士が片手を上げる。生徒たちの足が止まった。木の間から、片腕を押さえた兵が出てくる。もう一人が肩を貸し、こちらへ急がせていた。
その背後で枝が揺れた。ざらついた肌の者が木の上へ現れ、大きな翼を開いた。左右の枝からも次々と飛び立つ。アキスが目で追ううちに、八人の敵が道の上へ広がった。
「岩翼人だ! 生徒は左の木立へ入れ!」
バゼルトが剣を抜いた。
アキスが道から外れるのと同時に、先頭の敵が降下した。逃げる兵の背へ伸びた爪を、先導していた正規兵が防御魔法で受け止める。ところが別の敵が横から回り、負傷兵を支えていた兵へ足を伸ばした。爪が腿を裂き、兵は蹴り倒された。
生徒の列へ戻るか、倒れた兵へ向かうか。アキスが一歩出かけるより早く、教官が道を走っていた。
「負傷者を頼む!」
正規兵へ言い残し、剣を両手で握る。
「双身!」
走る教官の隣に、同じ剣を持つもう一人の教官が現れた。二人は倒れた兵の左右を駆け抜け、降りてくる敵へ向かった。
左の教官が、突き出された爪を剣で跳ね上げた。その刃を喉へ返す。同時に右の教官は、横から回ってきた敵の懐へ踏み込み、胸を斜めに切り裂いた。
二人の敵が地面へ落ちても、教官たちは足を止めなかった。残る六人が翼を打ち、剣の届かない高さへ上がる。
正規兵が道へ出た。一人は腕を負傷した兵を支え、もう一人は倒れた兵を背負って、こちらの木立へ運ぶ。デンバルが背負われていた兵を受け止め、木の根をよけて横たえた。アキスも膝をつき、盾を外して脇へ置くと、荷袋から手当て用の布を出した。
「ここ!? ここを押さえればいいんですか!」
「腿だ。傷の上から、強く」
言われた通りに布を当てると、兵の歯の間から息が漏れた。押す力を緩めかけたアキスの手へ、兵が自分の手を重ねる。
「緩めないでくれ。……そのままでいい」
アキスは両手に力を込めた。土と草の匂いに、血の匂いが混じっている。
「上! 石、来るよ!!」
ルーシャの声がした。後方に残っていた敵二人が、木立へ石を投げている。スミナが頭上へ手を向けた。枝の隙間から落ちた石が、張られた防御魔法へ当たって砕ける。光の面が揺れ、細かな破片が外側へ飛んだ。
敵は生徒のいる木立へ、もう一つ石を投げた。スミナが防御の位置を変え、今度は石を横へそらす。後ろの幹へ当たり、樹皮がはがれた。
アキスは立って盾を構えたい衝動をこらえた。目の前の兵の脚から、まだ血が出ている。上はスミナが守っている。布を放す方が、この兵を危険にさらす。
道の上では、二人の敵が低く迫り、その後ろから別の二人が左右へ広がっていた。二人の教官は、敵の手前で道の両端へ分かれる。左の教官が剣を腰の横へ引き、右の教官は身を沈め、剣先を地面近くまで下げた。
「断空斬――双牙!」
左の教官が腰を回し、剣を横へ振り抜いた。大きな斬撃が、低く迫った二人の防御魔法を破り、その胸を横に切り裂いた。二人は翼を広げたまま道へ落ちた。
その後ろの二人が羽ばたき、一撃目を飛び越えた。
右の教官は、もう剣を振り上げていた。下から斜めに走った二撃目が、翼を広げた二人を続けて切り裂く。林の上へ届いた斬撃が、後ろの太い枝まで断ち落とした。
左の教官は、まだ振り抜いた剣を戻していなかった。
石を投げていた二人が腕を引いた。道に落ちた仲間を見下ろし、翼を返して林の向こうへ退く。追おうと弓を上げた射手へ、教官が手を向けた。
「深追いするな。負傷者を城門へ戻す」
二人いた教官が一人に戻り、こちらへ歩いてきた。剣を収める手も、生徒へ指示する声も、いつもの授業と変わらなかった。
正規兵がアキスの押さえていた布を引き継いだ。盾を拾って立ち上がると、両膝が少し震えた。戦っていないのに、訓練で何度も倒された後より疲れている。
城門まで戻る間、ルーシャは口を開かず、林の方を何度も振り返った。スミナも両手を身体の前で握り、兵の担ぐ負傷者を見ていた。見張り所には捜索の部隊が送られ、生徒たちの実習はそこで終わった。
学校へ着き、手を洗っても、アキスには血の匂いが残っているように思えた。
それでも、道の向こうへ届いた教官の剣が忘れられなかった。あんなふうに、遠くにいる相手へ自分の剣を届かせられたら。動けない人のそばを離れずに戦うことも、できるのではないか。
実技場を通りかかった教官に、アキスは声を掛けた。
「教官! さっきの、枝まで切ったあれ……俺にもできますか。魔法が使えなくても」
「断空斬か。魔力は要らない。だが――」
「教えてください!」
「今からか?」
教官はアキスの手を見た。洗ったばかりの指を、彼は無意識に握っていた。
「その手を見てみろ。さっきから握りっ放しじゃないか。今日は帰って休め」
「……帰っても、たぶん振ります。気になって。だったら、ここで一度だけ、見てもらえませんか」
アキスは握っていた手を開いた。急に技が使えるようになるとは思わない。けれど、どうすればあの剣へ近づけるのか分からないまま、今日は帰りたくなかった。
教官は実技場を見たあと、木剣を一本持ってきた。
「まったく、正直に言えば済むと思ってるな。……振り方だけだぞ。私が止めたら終わりだ。あと一回も駄目だからな」
アキスは木剣を受け取り、教官の前で構えた。
腰の向きと足の位置を直された。剣を早く動かそうとして肩へ力を入れると、教官がその肩へ手を置いた。
「ほら、また肩が上がった。先に足で地面を押して、腰を回す。その動きに腕をついていかせてみろ」
一度振る。教官の時のように、離れた物が切れることはなかった。もう一度、足を動かす順序を確かめる。今度は剣先が狙いより下へ落ちた。
「今、どこを狙った?」
アキスは木の的の真ん中を指した。剣が触れた跡は、それよりずっと下にある。
「……遠くを切ることばかり考えてました」
「こら。まだ的の先を見てるだろう」
アキスは目を伏せた。振り方だけだと言われたのに、的の向こうを見ていた。
「その的が気の毒だな。目の前にいるのに見てもらえない。まず真ん中へ当ててみろ。続けて当たるまでは、遠くを切るのはお預けだ」
今度は的の真ん中を見て、アキスは足を戻した。教官の一撃のように振りたい。けれど速さをまねるたび、教わった順序が飛んでしまう。近くで待つ教官に見られながら、初めの動きからやり直した。
門の方から、教官を呼ぶ声がした。帰還した兵の報告が始まっていた。バゼルトは生徒たちへ帰宅を命じ、翌朝もいつもの時刻に集まるよう告げた。
アキスは木剣を返し、妹の待つ家へ急いだ。教官の剣を見たことは、メイハにも話したかった。けれど、押さえた布が赤くなっていく時のことは、まだ言葉にできなかった。




