第37話「先に迎えるもの」
グマドが集落の西へ現れた時、肩の傷はふさがっていた。
鉄紺の肌に乾いた血だけが残っている。後ろでは巨鬼人の兵が石を地面へ並べ、その奥を、交代する歩兵の列が通っていた。
アキスは家のある木の下から見ていた。林の奥には、幕舎が幾重にも続く。前にいる者を倒しても、それで終わる数ではなかった。
「タベモノ、ダセ。イエ、アケロ」
グマドが声を張った。
「ミチ、トメタ。ソッチ、モツカ。オデ、マテル」
イラドナは守備兵の前へ出た。
「住んでいる者を追い出して、どこへ行かせるつもりだ」
「ハタラケルモノ、ノコレ。イラナイモノ、ヒガシ、イケ」
アキスの隣で、ノルセイが弓を握り締めた。グマドは彼の手を見たが、言葉を止めなかった。
「オデタチノ、ハタケ、カレタ。ココ、イル。ウルセドモ、ツカウ」
「ここにも、畑を失った人が来ている。食べ物が余っていると思うな」
イラドナの返答を聞くと、グマドは家を支える太い木へ目を向けた。
「ジャア、ハヤク、キメロ」
彼が片手を上げた。兵が石を持ち上げる。
エミーラが長剣を抜いたので、アキスは剣の柄へ手をかけた。だが、石はまだ飛んでこなかった。
グマドはエミーラを見つけ、口の端を上げた。
「リュウジン、ココ、イルノカ」
「それを確かめに来たのか?」
「ミエタ。モウ、イイ」
巨体が林へ戻る。石を構えていた兵も、投げずに下ろした。
エミーラはしばらく剣を納めなかった。
「私を西へ留めるつもりだね」
家の支えになっている木を倒されれば、上にいる住民をまとめて失う。グマドは、どこを狙えば彼女が離れられないかを見ていた。
*
夕方、東から返事が届いた。
救援の部隊が、翌朝には谷道へ到着するという。だが、柵の前へ来るだけでは集落へ入れない。外側から押しても、敵は斜面と木の上から攻撃できる。
イラドナは地図の上に小石を置いた。
「援軍が正面へ来たら、こちらからも柵を攻める。両方から押せれば、開くかもしれない」
「その間、西は私が残る」
エミーラが言った。
「東へ回って柵を斬る方が早いかもしれないが、私が動いたら、グマドは家の木を倒しに来るだろう。朝の様子では、見逃してくれそうにない」
ノルセイは東の斜面を示した。
「弓兵を上へ出して、柵の後ろを射る。地上の兵が下りる間くらいは、顔を上げさせずに済む」
「その弓兵が戻る橋も、守らないと」
スミナが地図へ身を寄せた。ノルセイが使うつもりの橋を指でたどる。
「見張りを追い出しても、別の場所から来たら、帰る方を切られませんか」
「来るだろうな。上にも援護を残す。だが、そうすると地上が足りなくなる」
アキスは、昨夜直した救護所の通路を思い返していた。
上なら人が通れる。下で止まっているのは、物資だった。
「荷を、後にできませんか」
イラドナが顔を上げた。
「矢も薬も足りないと話しただろう」
「捨てるんじゃなくて、先に、戦う兵だけ入ってもらうんです」
アキスは東の枝道を、柵より先までたどった。
「援軍を上から迎えに行く。兵は、自分の矢と水を持って通れる。先に集落へ入ってもらえば、休めていない兵と替われるし、橋を守る人も増やせる。道を開くのは、その後で」
ノルセイが地図を引き寄せた。
「……枝道を抜けて、谷の曲がり角の先へ下りる。外の兵を連れて、同じ道を戻るのか」
「できるかは、俺には分からない。道を知っている人に、確かめてほしい」
「人なら通れる。だが、敵にも見えるぞ。弓兵を出す以上の動きになる」
カフリが、地図の最初の橋を爪で軽くたたいた。
「まず、ここを見ている射手だな。こいつらをどかせば、最初の隊は出られる。俺が残って、橋へ近づく奴を狙う。戻る隊の護衛まで、一人で全部は無理だ」
「途中からは、弓兵隊に任せよう」
イラドナが小石を移した。
スミナは橋の手前へ、もう一つ置いた。
「私もここに残ります。動いたのを気づかせないように、兵がまだいる景色を残せる。ただ、矢が通ったら分かるし、長くごまかせるとは思わないでほしいです」
「最初の橋を渡るまで、隠れれば助かる。その後は、盾になる魔法を頼めるか」
「向ける場所を絞ってくれれば。前と後ろを、一緒には守れません」
ノルセイが、援護の射手をどちらへ残すかを話し始めた。
アキスは地上の柵を見た。
「外の援軍が、みんな上へ来たら、敵も柵を捨てて追ってくる」
「正面には一部を残してもらう。旗を見せ、攻める構えを続けるんだな」
イラドナが答えた。今度はアキスの言葉を待たず、連絡を取る兵を呼んだ。
エミーラは地図の西側に置かれた石へ触れた。
「グマドは、途中で気づくだろうね。上を通る兵が増えれば、橋を支える木を狙う。私は西を押さえるが、東へ回される兵までは止められない」
「俺とルーシャが、地上の兵と残ります」
アキスが言うと、ルーシャが地図から顔を上げた。
「木に近づけなければいいんでしょ。地面を弾ませれば――あ、でも、昨日は根へ乗られたか」
「その根の間で守る。敵が土を避けてくれれば、来る場所が狭くなる」
「狭い所へ押し込まれたら、私たちも逃げられないよ」
ルーシャは即座に返した。アキスは地図の裏へ指を回した。
「ここから、次の根まで下がれるようにしておこう。守る場所を一つに決めない。俺が止まったら、ルーシャまで残らなくていい」
「それ、昨日みたいに盾をつかまれた時も?」
「その時は、助けてほしい」
「最初からそう言って!」
彼女は小石を一つ、アキスの指の隣へ置いた。
イラドナが全員を見渡した。
「谷の援軍が着いたら、角笛を二度。枝道を戻る先頭が見えたら、白い布を上げる。迎える場所は東の階段だ。合図が出る前に、地上の隊は柵へ突っ込まない」
エミーラも、スミナも、地図の同じ階段を確かめた。
*
夜、アキスは借りた盾へ左腕を通した。
壊して置いてきた盾より幅が広く、革帯の位置も違う。何度か動かしてから、帯を締め直す。エミーラがその手元を見ていた。
「痛む所へ当たるか?」
「少し。でも、昨日のよりは動かせます」
エミーラが外側から押した。アキスは踏ん張らず、一歩下がって重みを逃がした。
「明日も、下がる足を残しておきなさい」
「エミーラさんも」
思わず返すと、彼女の手が止まった。
「……私にもか」
「あの大きいの、強いんでしょう」
「強いよ。だから、私が行く」
アキスはそれ以上、教えるようなことを言えなかった。エミーラは盾から手を離し、彼の肩を軽くたたいた。
「戻ったら、今日の帯の締め方を見よう。戦って緩むなら、まだ直せる」
アキスは左腕を下ろした。翌朝も、その先も、見てもらうつもりで、余った帯を折り込んだ。




