第35話「手を放しても」
「荷車の横へ! 上から来る!!」
アキスは盾を頭上へ向けた。矢が金属を打ち、足元へ落ちる。荷を引いていた一人が膝をついた。メルヒナが腕をつかんで、道の脇の太い幹へ連れていく。
エミーラは隊列の後ろへ走った。
最後尾の道をふさごうと、別の巨鬼人が出てきていた。横では小鬼人が枝を渡り、引き返す者を狙って弓を構える。
「ノルセイ、前を頼む! 後ろは私が空けておく!」
長剣が走った。踏み出した巨鬼人の手首から血が飛び、握っていた棍棒が傾く。その内側へエミーラが入るのを、アキスは最後まで見ていられなかった。
正面の赤土色の巨鬼人が、荷獣の前へ武器を下ろした。
「ニモツ、オケ。ハシルナ」
言いながら、こちらの剣の届く所までは来ない。荷獣がひるむと、横の歩兵が荷車の車輪へ木を差し込んだ。運ぶ者を殺すより先に、荷を止めるつもりだった。
ノルセイの矢が、車輪へ近づいた豚人の腕を射た。
「南の根へ寄せろ! 止まった荷は捨てる!」
荷を引く者が綱を寄せ、先頭の荷車を動かした。道の中央へ兵が残り、防御魔法で矢を受ける。その光の上から、石が落ちてきた。
防御の面が大きくたわんだ。アキスはルーシャと前へ出た。
「右の足、狙えるか!」
「狙えるけど、殴り返してくるよ!」
ルーシャは地面へ手をついた。
「弾面!」
敵の前足の下で、土の表面が弾んだ。巨鬼人は足を取られたが、倒れ込まずに後ろの根へ手をつく。すぐにその根へ足を乗せ、次の踏み込みは土を避けてきた。
「ソコ、ハネル。キ、フメ」
横の兵も足場を変えた。
ルーシャが舌打ちし、剣を両手で構えた。振り下ろされた棍棒を横へ避け、その鉄の帯へ刃先を打ち込む。
「砕牙!!」
触れた一点で、光がはぜた。
鉄の帯が割れ、下の木が深く裂けた。武器全体を砕くほどではない。だが、引き戻す手元がずれ、巨鬼人の左前腕が前へ出た。
アキスは短く踏み込んだ。
「閃駆!」
皮膚を切り、追いかけずに戻る。裂け目から出た血が、腕を伝った。
傷の端が動いた。
見間違いではなかった。開いた肉が寄り、切り口が閉じていく。巨鬼人は傷をかばわず、ルーシャへ武器を返した。
「もう戻ってる!?」
アキスは叫び、盾を差し入れた。武器の側面を外へ流そうとしたが、敵の左手が盾の縁をつかんだ。
引かれる。左腕ごと前へ出され、足が地面を滑った。
「アキス!」
ルーシャの剣を棍棒が止めた。アキスは右の剣を振り上げかけた。
さっき切った腕が、目の前にある。
木剣を収めた朝を思い出した。手を空ける間、ルーシャが敵の武器を止めている。今なら届く。
アキスは剣を鞘へ戻した。震える右手を、閉じかけた傷へ当てる。
固有の力を、引き離す。
手の下が熱くなった。巨鬼人の傷が、途中で動きを止めた。
盾を握る指は緩まなかった。
敵が腕を引いた。アキスの身体が前へ運ばれ、すぐ近くへ大きな顔が来る。
「カイフク、トメタ。デモ、ツカメル」
敵の額が迫った。
「目を閉じて!! 閃幕!」
スミナの声に、アキスは顔を伏せた。閉じたまぶたの向こうが白くなる。敵の顔がそれた。
ルーシャの剣が、盾をつかむ指へ走った。指が開く。アキスは右手を放し、ルーシャと一緒に後ろへ転がった。
立ち上がろうとした時、もっと大きな影が道を横切った。
鉄紺の肌。短く刈った黒髪。欠けた左耳。
その巨鬼人は、赤土色の兵の傷を一度見た。次に、アキスが剣を抜き直す動きを見た。
長い棍棒を短く握り、盾の中央へ突き込んできた。
逃げるのが遅れた。
盾が胸へぶつかった。金属が大きくへこみ、腕の革帯が食い込む。アキスは後ろへ飛ばされ、地面を転がった。
追ってきた武器を、横からエミーラの長剣が受けた。
受け止めるのではなく、刃の腹を沿わせて先をずらす。それでもエミーラの足が土へ沈んだ。巨体は武器を引くと、握りを滑らせて長く持ち直した。
間合いが、一度に広がった。
エミーラの剣が肩へ届く前に、棍棒が横から戻る。彼女は防御魔法を斜めに出し、衝撃を逃がして後ろへ下がった。
「アキス、立てるか!」
「立てます……っ!」
胸が痛んだが、息は入った。アキスはルーシャの手を借りて起き、盾の壊れた帯を外した。持ち続けられず、地面へ置く。
「その盾は置いていきなさい。荷の方へ!」
エミーラは、もう大きな巨鬼人へ向き直っていた。
*
木の上の射手へ、カフリが短い槍を投げた。
落ち枝から作った槍は弓をかすめ、後ろの枝へ刺さった。先に残した付与魔法がはぜ、火が射手の袖と弦へ移る。
射手が弓を落とした。隣の枝から別の矢が来る。
スミナが防御魔法を張り、カフリの前で受けた。
「右にもいる! カフリ、幹の裏へ!」
「先に荷を動かしてくれ! まだ一人、下にいる!」
薬を積んだ荷車が傾き、荷を引いていた者の脚が車輪のそばへ挟まれていた。ギムトが駆け寄り、倒れかけた木枠を肩で支える。兵が荷獣を外す間、カフリは足元の綱を取った。
「絡索!」
綱が伸び、動けない者の胴へ回った。ギムトが枠を押し上げ、カフリと兵が引く。脚が抜け、身体が地面を滑った。
その直後、ギムトの肩へ矢が刺さった。
「ギムトさん!!」
アキスが駆け寄ると、ギムトは歯を食いしばり、傷のない腕で荷車を押していた。
「こっちは、もう無理だ。人を先へ!」
薬の箱が崩れた。アキスは地面へ落ちた一つを抱え、ルーシャへ渡した。もう一つ拾おうとしたが、車輪の向こうへ豚人の剣が出た。
抜いた剣で受けた。盾はない。相手の腕を狙って一撃返し、落ちた箱から離れる。
スミナが道へ空の景色を重ねた。
「留景! 今のうちに、根の後ろまで!」
地面の姿を残した幻の裏を、負傷者が走る。敵の矢はすぐに幻を通り抜けた。それでも、誰がどちらへ動いたかを一度見失わせることはできた。
ノルセイが残る三台を先へ通し、射手が左右の枝を狙った。
エミーラが最後に戻ってきた。鉄紺の巨鬼人の肩からは血が流れていたが、追いかけては来なかった。部下へ手を上げ、奪った薬の箱を後ろへ運ばせている。
敵は自分たちを追えないのではない。荷を奪い、こちらを傷めたところで、もう目的の一つを果たしていた。
アキスは足を止めそうになった。エミーラが肩を押した。
「見ているなら、そのまま歩く。ここで取り返す余力はないよ」
アキスは剣を持つ手に力を入れ、集落へ向かう列の最後尾へついた。




