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楽園の獣  作者: 静原律
第三章 森を喰らうもの

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第35話「手を放しても」

「荷車の横へ! 上から来る!!」


 アキスは盾を頭上へ向けた。矢が金属を打ち、足元へ落ちる。荷を引いていた一人が膝(ひざ)をついた。メルヒナが腕をつかんで、道の脇(わき)の太い幹へ連れていく。


 エミーラは隊列の後ろへ走った。


 最後尾の道をふさごうと、別の巨鬼人(トロール)が出てきていた。横では小鬼人(ゴブリン)が枝を渡り、引き返す者を狙って弓を構える。


「ノルセイ、前を頼む! 後ろは私が空けておく!」


 長剣が走った。踏み出した巨鬼人(トロール)の手首から血が飛び、握っていた棍棒(こんぼう)が傾く。その内側へエミーラが入るのを、アキスは最後まで見ていられなかった。


 正面の赤土色の巨鬼人(トロール)が、荷獣の前へ武器を下ろした。


「ニモツ、オケ。ハシルナ」


 言いながら、こちらの剣の届く所までは来ない。荷獣がひるむと、横の歩兵が荷車の車輪へ木を差し込んだ。運ぶ者を殺すより先に、荷を止めるつもりだった。


 ノルセイの矢が、車輪へ近づいた豚人(オーク)の腕を射た。


「南の根へ寄せろ! 止まった荷は捨てる!」


 荷を引く者が綱を寄せ、先頭の荷車を動かした。道の中央へ兵が残り、防御魔法で矢を受ける。その光の上から、石が落ちてきた。


 防御の面が大きくたわんだ。アキスはルーシャと前へ出た。


「右の足、狙えるか!」


「狙えるけど、殴り返してくるよ!」


 ルーシャは地面へ手をついた。


「弾面(だんめん)!」


 敵の前足の下で、土の表面が弾んだ。巨鬼人(トロール)は足を取られたが、倒れ込まずに後ろの根へ手をつく。すぐにその根へ足を乗せ、次の踏み込みは土を避けてきた。


「ソコ、ハネル。キ、フメ」


 横の兵も足場を変えた。


 ルーシャが舌打ちし、剣を両手で構えた。振り下ろされた棍棒(こんぼう)を横へ避け、その鉄の帯へ刃先を打ち込む。


「砕牙(さいが)!!」


 触れた一点で、光がはぜた。


 鉄の帯が割れ、下の木が深く裂けた。武器全体を砕くほどではない。だが、引き戻す手元がずれ、巨鬼人(トロール)の左前腕が前へ出た。


 アキスは短く踏み込んだ。


「閃駆(せんく)!」


 皮膚(ひふ)を切り、追いかけずに戻る。裂け目から出た血が、腕を伝った。


 傷の端が動いた。


 見間違いではなかった。開いた肉が寄り、切り口が閉じていく。巨鬼人(トロール)は傷をかばわず、ルーシャへ武器を返した。


「もう戻ってる!?」


 アキスは叫び、盾を差し入れた。武器の側面を外へ流そうとしたが、敵の左手が盾の縁(ふち)をつかんだ。


 引かれる。左腕ごと前へ出され、足が地面を滑った。


「アキス!」


 ルーシャの剣を棍棒(こんぼう)が止めた。アキスは右の剣を振り上げかけた。


 さっき切った腕が、目の前にある。


 木剣を収めた朝を思い出した。手を空ける間、ルーシャが敵の武器を止めている。今なら届く。


 アキスは剣を鞘(さや)へ戻した。震える右手を、閉じかけた傷へ当てる。


 固有の力を、引き離す。


 手の下が熱くなった。巨鬼人(トロール)の傷が、途中で動きを止めた。


 盾を握る指は緩まなかった。


 敵が腕を引いた。アキスの身体が前へ運ばれ、すぐ近くへ大きな顔が来る。


「カイフク、トメタ。デモ、ツカメル」


 敵の額(ひたい)が迫った。


「目を閉じて!! 閃幕(せんまく)!」


 スミナの声に、アキスは顔を伏せた。閉じたまぶたの向こうが白くなる。敵の顔がそれた。


 ルーシャの剣が、盾をつかむ指へ走った。指が開く。アキスは右手を放し、ルーシャと一緒に後ろへ転がった。


 立ち上がろうとした時、もっと大きな影が道を横切った。


 鉄紺(てつこん)の肌。短く刈った黒髪。欠けた左耳。


 その巨鬼人(トロール)は、赤土色の兵の傷を一度見た。次に、アキスが剣を抜き直す動きを見た。


 長い棍棒(こんぼう)を短く握り、盾の中央へ突き込んできた。


 逃げるのが遅れた。


 盾が胸へぶつかった。金属が大きくへこみ、腕の革帯が食い込む。アキスは後ろへ飛ばされ、地面を転がった。


 追ってきた武器を、横からエミーラの長剣が受けた。


 受け止めるのではなく、刃の腹を沿わせて先をずらす。それでもエミーラの足が土へ沈んだ。巨体は武器を引くと、握りを滑らせて長く持ち直した。


 間合いが、一度に広がった。


 エミーラの剣が肩へ届く前に、棍棒(こんぼう)が横から戻る。彼女は防御魔法を斜めに出し、衝撃を逃がして後ろへ下がった。


「アキス、立てるか!」


「立てます……っ!」


 胸が痛んだが、息は入った。アキスはルーシャの手を借りて起き、盾の壊れた帯を外した。持ち続けられず、地面へ置く。


「その盾は置いていきなさい。荷の方へ!」


 エミーラは、もう大きな巨鬼人(トロール)へ向き直っていた。


     *


 木の上の射手へ、カフリが短い槍(やり)を投げた。


 落ち枝から作った槍(やり)は弓をかすめ、後ろの枝へ刺さった。先に残した付与魔法(エンチャント)がはぜ、火が射手の袖(そで)と弦(つる)へ移る。


 射手が弓を落とした。隣の枝から別の矢が来る。


 スミナが防御魔法を張り、カフリの前で受けた。


「右にもいる! カフリ、幹の裏へ!」


「先に荷を動かしてくれ! まだ一人、下にいる!」


 薬を積んだ荷車が傾き、荷を引いていた者の脚が車輪のそばへ挟(はさ)まれていた。ギムトが駆け寄り、倒れかけた木枠を肩で支える。兵が荷獣を外す間、カフリは足元の綱を取った。


「絡索(らくさく)!」


 綱が伸び、動けない者の胴へ回った。ギムトが枠を押し上げ、カフリと兵が引く。脚が抜け、身体が地面を滑った。


 その直後、ギムトの肩へ矢が刺さった。


「ギムトさん!!」


 アキスが駆け寄ると、ギムトは歯を食いしばり、傷のない腕で荷車を押していた。


「こっちは、もう無理だ。人を先へ!」


 薬の箱が崩れた。アキスは地面へ落ちた一つを抱え、ルーシャへ渡した。もう一つ拾おうとしたが、車輪の向こうへ豚人(オーク)の剣が出た。


 抜いた剣で受けた。盾はない。相手の腕を狙って一撃返し、落ちた箱から離れる。


 スミナが道へ空の景色を重ねた。


「留景(りゅうけい)! 今のうちに、根の後ろまで!」


 地面の姿を残した幻の裏を、負傷者が走る。敵の矢はすぐに幻を通り抜けた。それでも、誰がどちらへ動いたかを一度見失わせることはできた。


 ノルセイが残る三台を先へ通し、射手が左右の枝を狙った。


 エミーラが最後に戻ってきた。鉄紺(てつこん)の巨鬼人(トロール)の肩からは血が流れていたが、追いかけては来なかった。部下へ手を上げ、奪った薬の箱を後ろへ運ばせている。


 敵は自分たちを追えないのではない。荷を奪い、こちらを傷めたところで、もう目的の一つを果たしていた。


 アキスは足を止めそうになった。エミーラが肩を押した。


「見ているなら、そのまま歩く。ここで取り返す余力はないよ」


 アキスは剣を持つ手に力を入れ、集落へ向かう列の最後尾へついた。


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