第34話「森の外にある家」
トルキナへの道を教えてくれる案内兵と、明日の朝に会うことになっていた。
その約束を取り消しに来たのは、ノルセイだった。
シルナエへ着いて三週間。マルシカとアキスが宿の卓で地図を広げていると、彼は濡れた上着のまま入ってきた。
「西の集落が襲われてる。朝、救援を求める伝書鳥が来た」
マルシカが椅子から立ち上がった。
「どこまで来てるの?」
「谷道の近くまで。まだ通れるが、いつ切られるか分からない。薬と矢を先に運ぶ。俺も、その護衛へ回ることになった」
ノルセイは地図の西側へ指を置いた。
都から四日ほどの場所に、幾つもの家が木々の上へ広がっていた。その西の農地から人が逃げ込み、負傷者と住民が同じ集落に集まっているという。
エミーラが戸口へ来た。
「あの集落なら、南に畑があったね。そこは?」
「もう入られてる。倉を奪われた。今残っている道は、東から入る谷だけだ」
エミーラはしばらく地図を見た。それから、壁に立てていた長剣を取った。
「護衛に加わる。出発は?」
「明日の朝だ。……助かる。でも、知り合いがいるからなら、先に聞いてくれ。あの家族は都へ移ってる。今朝、確かめてきた」
「それは、よかった」
エミーラの肩が少し下がった。それでも、長剣を戻しはしなかった。
「行くよ。あそこで食べてきた人が、今は食べる物を奪われているんだろう」
アキスも立った。
「俺も行きます」
ルーシャは隣で、もう荷袋を引き寄せていた。スミナはすぐに返事をせず、地図の上の細い道を見ている。
「薬を届けたら、戻れるんですか」
ノルセイはスミナへ向き直った。
「そうしてほしい。だが、帰り道を約束はできない。入った後で切られることもある」
アキスはスミナを見た。彼女が怖がっているなら、自分が言わなければと思った。
残っていてもいい。
その言葉を口にしかけたところで、スミナが顔を上げた。
「なら、戻れなくなった時の分も持っていきたいです。包帯も、薬も。足りないまま、誰かを待たせるのは嫌だから」
マルシカが、荷の一覧をノルセイへ求めた。
アキスは口を閉じたまま、スミナの隣へ座り直した。
「何か言いかけた?」
小声で聞かれ、アキスは彼女にだけ答えた。
「俺が決めるところじゃなかった」
「……じゃあ、自分の荷をまとめて。私の分まで勝手に減らさないでね」
バルタナで火の中から逃げた時より、スミナの声は落ち着いていた。怖くないからだとは思わなかった。
*
メルヒナも救護へ向かうことになった。
診療所の患者をほかの施術師へ引き継ぎ、棚の瓶を箱へ移している。アキスが運ぶ物を聞くと、メルヒナは空の布袋を渡した。
「清潔な布を入れて。瓶の箱は、下から持ってほしい。取っ手が片側、緩んでる」
「食事の分は、別にあるんですか」
メルヒナは袋を閉じる手を止めた。
「僕の?」
「薬と混ざらない方がいいと思って」
今度は間違えなかったつもりだった。メルヒナは少し笑い、壁際のふた付きの容器を示した。
「そこにある。食肉を扱う店で分けてもらった。着いた先でも、手に入るか確かめてあるよ」
獣の血が入っているという。アキスは容器を別の袋へ収めた。
「アキスも、治療で使う布を残しておいてね。腕を隠す分まで全部渡さないように」
メルヒナは、アキスの右腕へ視線を向けていた。
「分けてあります」
答えると、メルヒナはもう一度だけ袋の中を見て、続きを任せた。
マルシカは都に残る。研究を続けながら、後から出る物資と援軍の手配を助けるためだった。
アキスはメイハへの便りを彼女へ預けた。西の集落へ薬を届けに行くこと、トルキナへ向かう日は延ばしたことを書く。無事だと伝えてもらうためには、まず自分が戻らなければならなかった。
*
二台の荷車へ、薬、布、修理に使う木材を積んだ。道を知る兵が先に立ち、荷獣を引く者がその後を進む。
最初の日は、畑へ向かう人たちとすれ違った。二日目から、反対向きに歩く家族が増えた。荷を背負いきれず、道の脇へ置いていく者もいる。
四日目の朝、穀物と矢を運ぶ別の二台に追いついた。
「ギムト! まだ先へ行ってなかったのか」
ノルセイが声をかけた。荷を押していた森人が顔を上げる。こげ茶の髪へ葉が絡み、腰には幾つもの鍵を束ねていた。
「夜に運ぶなと言われてな。待っていたら、荷獣が先に寝てしまった」
ギムトは肩の布で手をぬぐい、アキスたちへ道を空けた。
「鍵は、倉のですか?」
カフリが尋ねると、ギムトは束を持ち上げた。
「逃げた家の預かり物だ。戻る時、戸が開かなかったら困るだろう。勝手に置いていくわけにもいかん」
「ずいぶん、預けられたんだな」
「私が最後まで残っていたからだよ。頼みを聞きすぎた」
ギムトはそう言ったが、鍵を荷台へ放り込まず、腰の帯へ結び直した。
出発して間もなく、道の先から矢を受けた兵が戻ってきた。
ノルセイが駆け寄る。その横で、エミーラは長剣を抜いた。
「荷を止めて。前へ詰めないように!」
アキスは左腕へ盾を通した。
森の奥で、太い物が地面へ落ちる音がした。最初は一本だと思った。少し離れた右でも、同じ音がした。
道へ出てきたのは、赤土色の肌をした巨鬼人だった。人の背より長い棍棒を片手で引き、もう一方の手で、後ろにいる仲間へ合図している。
「ソッチ、マテ。ニモツ、ツマル。イマ、ヤル」
荷を引く者が止まった。その後ろの荷獣も足を止め、四台の間隔が縮む。
アキスが危ないと思った時には、頭上の枝から矢が降ってきた。




