第28話「森へ向かう手紙」
メイハへの便りには、火事のことも書いた。
アキスは最初、買った記録が狙われたとだけ記した。だが、その後に怪我をしたことを書くと、いつ、何があったのか分からなくなる。書き直し、助けてくれた人たちのことも入れた。
右手と腹を切られ、胸と背中を打った。治療を受け、今は宿で休んでいる。右腕の形は、それ以上変わっていない。
そこまで書いて、筆を止めた。
隣では、スミナも母への便りを書いていた。アキスが革の端を押さえ直すと、彼女が顔を上げた。
「傷のこと、書いたの?」
「帰ってから聞かれるよりは、と思って。でも、これだと何もできないみたいだな」
「昨日は本当に何も取れなかったでしょう。水差しも」
「そこは書かなくていいだろ!?」
スミナは少し笑い、筆の先を見た。
「今は自分で手紙を書いてる、って足せばいいじゃない。……私も、そう書いたよ」
アキスは自分の字を見た。傷が引かれないよう、いつもよりゆっくり書いている。そのせいで、かえって読みやすいかもしれなかった。
次の行から、森へ行くことを書いた。
研究者に会い、右腕と胸の傷を診てもらう。森の都までは、着くだけで三か月ほどかかる。便りは途中の宿場からも出す。返事を送ってもらう商館の名は、マルシカに確かめて書き添えた。
メイハの縫った布は、焦げたけれど使える。洗ってもらって、今も持っている。
アキスはそこまで書き、最後に、今日の食事と宿で休んでいることを足した。
*
火事から三日目、エミーラは宿の庭で、送る品を包んでいた。
左腕を吊ったまま、右手で袋の口を寄せている。アキスが近づくと、彼女は紐を差し出した。
「ちょうどよかった。これ、結んでくれ。片手で三度やって、三度ともほどけた」
袋には蜜を売った金と、火打ちの道具が入っていた。故郷を離れた人たちへ、次の商隊で届けてもらうという。
アキスは右手をかばい、左で結び目を押さえた。
「もう、森へ行くと聞きました」
「マルシカに付き合うことにしたよ。土地へ魔力を戻せるかもしれないと聞いて、途中で帰るのもね。記録の先を確かめたい」
エミーラは開いた戸口から、部屋の中を見た。マルシカが写しを作り、スミナが乾いた物から重ねている。
「一度灯りがともったから、村へ帰れます、とは言えないだろう? あちらに期待させるなら、もう少し分かってからにしたい」
アキスは結んだ袋を返した。
「俺にも、剣を教えてください。森へ着いてからも、その先でも」
エミーラは袋を受け取ったが、すぐには返事をしなかった。
「今度は、その先までか。……アキス、どこまで行くつもりなんだ?」
「分かりません。腕を診てもらって、それから……。ずっと俺についてきてくれ、なんて言えないけど、会うのを最後にはしたくないんです。道が分かれても、また見てもらいに行きます。会う場所を決めておけば」
「毎日そばで見ていられるとは限らないよ。離れている間も、続けられるか?」
「教わったことを続けます。戻った時に、見てもらいたいです」
エミーラはアキスの足元へ目を落とした。
「よし、引き受けた。森に着いたから終わり、にはしないよ。離れる時には、次に見せてもらうことを決める。会う場所もね。……あとで嫌になっても、待ち合わせには来るんだぞ」
アキスは頭を下げかけ、胸の痛みで止まった。エミーラが右手を上げる。
「こら、曲げるな! 頭を下げて傷を開いた、なんて私が怒られる。まず治しなさい」
「治ったら、最初に何をやりますか」
「まず、止まれるようにしようか」
アキスは顔を上げた。
「踏み込む方じゃなくて?」
「ゼキトの横へ出ようとした時、刃が来ても止まれなかっただろう。でも最後は、短く踏み込んで仲間を通した。あの二つを、選んでできるようになってほしいんだ」
右の脇腹に、刃の通った感触が戻った。速く動ければ避けられると、どこかで思っていた。
「でも……三撃目、出せなかったんです。あれだけ練習したのに」
「あそこで出して、どうやって戻る? 仲間はもう通ったんだろう。三つ振るために残る必要はない。足の置き方から、またやろう」
庭へルーシャが出てきた。杖をつき、右脚をゆっくり運んでいる。
「私も! 治ったら混ぜて。今度は木枠なしでね。広ーいところがいい!」
「木枠は苦手になったか。なら、そっちも後でやっておこう」
エミーラが答えると、ルーシャは顔をしかめた。
「そっちを拾うの!? 今、なしでって言ったのに!」
「聞こえたから、拾ったんだよ。広い所も狭い所もやろう。困った場所ほど練習しておきたい」
ルーシャは杖の先で地面を軽く押した。
「ううー……分かった、両方! でも、広い方からね!」
*
出発は、火事から五日目の朝だった。
傷を診た術者には、まだ長い道を歩くなと言われていた。脚の傷口が閉じても、中まで治ったわけではない。カフリは商人と船宿に話をつけ、初めの区間を荷車と舟で進めるようにしていた。
使者は水路図と、残った実験の記録の写しを持って王都へ戻る。土地の観測は写せた分だけを持ち、残りは森から送ってもらう。マルシカは二包みと、最後の一年から残った三枚を、別々の布で包んだ。
アキスは便りを使者へ渡した。先に伝書鳥で送り、使者が王都へ着いたら、ルネハとメイハにも会ってもらうことになった。
「メイハに、怪我のところを読んで怖がったら、今は歩いていると伝えてください」
「それは、私が歩き方を見たと言って伝えよう。まだ無理をしているところも、隠せないがね」
使者は少し笑い、封を確認した。三人の護衛も帰り支度を済ませていた。先に知らせを届けた一人とは、王都で合流する。
カフリは森へ向かう商人と、荷の置き方を確かめていた。腰の革帯には、買い足した投げナイフが並んでいる。二頭の荷獣が引く荷車に、空の籠と畳んだ布が載っている。最初の川の船着き場まで、足を痛めた者を乗せてもらえることになった。
「そこからは舟を使う。揺れたら、背中を袋に当ててくれ」
カフリがルーシャへ言った。彼女は荷台の端へ座り、杖を横に置いた。
「カフリも、森まで来るの?」
「マルシカさんに、続きも頼まれた。報酬も出るしな」
「それだけ?」
ルーシャが首を傾げた。カフリは荷台の袋を彼女の背へ寄せた。
「それだけ、で済むなら楽なんだけどな。途中でアキスがまた無理してないか、ルーシャが屋根に上がってないか……気になって戻ってきそうだ」
「屋根は今、上がれないもん」
「治った後の話だよ。ほら、背中を当ててみて。これなら痛くないか?」
「投げる練習もする?」
「今のままじゃ、次も同じ所から投げちまうからな。ルーシャ、治ったら相手を頼むよ。動き回ってくれると助かる」
スミナが先に乗り、ルーシャの右脚を伸ばせる場所を空けた。アキスは乗る前に、背負った盾の帯を確かめた。修理した縁は、指で触れても引っ掛からなかった。
モネサが洗った布を届けに来た。手の甲にはまだ薬の布が巻かれていたが、下の二本の腕で小さな包みを抱えている。
「妹の子、今朝も葉を食べたよ。温室は使えるから、そっちは心配いらない」
「仕事場は、どうなりますか」
スミナが荷台から尋ねた。
「借りたよ、もっと狭いところをね。朝から、私の布が先だ、いやこっちだって。仕事があるのはありがたいけど、まったく、喧しいったら」
モネサは包みを渡した。中には固く焼いた薄いパンがあった。
「途中で食べて。あの子たちの話、読めたところを送っておくれ」
「送ります。マルシカさんと、ちゃんと読んで」
荷獣が動いた。アキスは荷車の縁へつかまり、身体を座らせた。揺れるたび胸に響くが、これなら歩き続けるよりは楽だった。
エミーラとカフリが荷車の横へつき、マルシカが商人と道を確かめる。市場の門へ向かう途中、焼けた織場の前を通った。
入口には、切り落とされた格子が置かれていた。その横で、新しい木材を二人の職人が持ち上げている。
アキスは膝の上の袋へ手を置いた。メイハの縫った布を、洗って畳んでもらってある。右手の傷が乾いたら、また使うつもりだった。
*
その夜、川沿いの城塞で、ファシェラは帰還する負傷兵の船を振り分けていた。
兵を故郷へ戻す便と、物資を積んで戻ってくる便。同じ船を両方に使うため、出せる日は限られている。副官と最後の人数を確かめたところで、バルタナから来た者が面会を求めていると知らされた。
ゼキトと名乗った繭翼人は、上の左前腕へ厚い布を巻いていた。右肩の火傷も隠せず、話す途中で咳が出た。逃げた翌朝に荷船へ乗り、四日かけて着いたという。
ファシェラは、市場の火事について先に聞いた。
「……記録は? まさか、その荷物だけですか」
「新しいのは焼けたよ。あの火で無事なわけがない。古い二つは取られた。龍人の剣士がいてな……取れると思うなら、あいつとやってみるといい」
ゼキトは下の手で水を取った。
「それとは別に、見たものがある。布を外された、人間の右腕だ」
ファシェラは副官へ、レムバルの目撃報告を持ってくるよう頼んだ。
ゼキトが言ったのは、五本の指と黒い爪、白く盛り上がった筋だった。火事の後、通りの陰から逃げる道を確かめた時、手当てを受けていた少年の腕を見たという。
「布を外す前は? 普通の腕から変わったところを、見ましたか?」
「知らんよ! ずっと布を巻いてたんだ。外された後の腕を見た、それだけだ」
「少年の名前は、聞いていませんか?」
「知らない。剣と金属の盾を持っていた。尾の太い獣人の娘と、一緒に前へ出てきた」
ファシェラは二枚の絵を並べた。レムバルの北の庭で、地下から逃れた者を見た兵が描かせた絵と、右腕の特徴が似ていた。
どちらの報告にも、腕の変化の原因は書かれていなかった。
*
川沿いの会所には、十二の席があった。
ファシェラが訪れた時、座っていたのは三人だった。彼女は空いた席へ座らず、卓の手前へ立った。ここは帰天同盟の者が各地の報告を持ち寄る場所で、ファシェラは協力を求めて出入りしているだけだった。
冥骨人のオシュリアが、バルタナの記録について聞いた。
「焼けた……? 最後の一年が? そこだけは欲しかったのに!」
「古い包みは、買い手が持ち出しています。王都の使者と、森人の女性です。行き先は、バルタナで確かめる必要があります」
「初めの失敗だけ持ってきても仕方ないでしょう。知りたいのは、外へ取り出せた時に何をしたかよ。原環を確保して、そのまま人間の都市へ魔力を送っていて、どうするの」
骨の指が、卓の上の図を閉じた。
ファシェラは右腕の絵を広げた。
「ゼキトが、これを見たと報告しています」
オシュリアの手が止まった。絵を引き寄せ、レムバルの控えと並べる。
「……待って。この腕、こっちを見せて。レムバルの絵と――そう、同じ少年かもしれない」
隣から、金茶色の毛を持つ狼牙人が身を乗り出した。ゼングの首元にはクリーム色の毛があり、背に黒い帯が走っていた。
「レムバルの兵も、外見を見ただけだったな」
「二人とも、腕が変わるところは見ていません。原環に触れたという証言もありません」
向かいで、葡萄色の髪が動いた。小さな蛇が首の後ろから顔を出す。蛇冠人のラシュメが、絵へ目を落とした。
「そんなに見たいなら、本人に来てもらいましょうよ。記録も一緒なんでしょう? ちょうどいいじゃない」
ゼングは地図を広げた。
「まずバルタナで行き先を聞く。宿か、荷を運んだ商人なら知っているはずだ」
「私も行く。剣士とずうっと手をつないでいるわけでもないでしょう。離れたところを連れてくればいいのよね?」
ファシェラは絵を押さえた。
「連れてきた後は、どうするつもりですか」
「まず、腕が身体の中でどうつながっているか見たいわね。絵だと、袖に隠れたところが何も分からないもの」
オシュリアは二枚の絵を見比べていた。
ファシェラには、この場へ持ち寄られる他の土地の記録が必要だった。故郷の子供たちが育たない理由を、一つの種族の調査だけで確かめることはできない。
だが、今話しているのは、名前も知らない少年を力ずくで連れてくることだった。
「……私の兵は出しません。負傷者を帰す船の護衛を外して、その少年を連れに行かせるつもりはありません」
「兵はいらん。バルタナへは、俺たちで行く」
ゼングが地図を畳んだ。オシュリアは絵を二人へ渡した。
「あ、待って。右腕だけ持ち帰らないでね。身体につながったまま見たいの。生かして連れてきて。そこは間違えないで」
ラシュメは右腕の絵を巻き、自分の荷へ入れた。
ファシェラはその手が離れるまで立っていた。会所を出ると、川岸では負傷兵を乗せる船の灯りがともっていた。彼女は副官の待つ桟橋へ戻り、翌朝出す船から順に人数を確かめ直した。




