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楽園の獣  作者: 静原律
第二章 答えの値段

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第26話「開いた格子」

 エミーラの剣先が、石の床へ触れた。


 その前に、頭目(とうもく)が防御魔法を広げた。斧使い(おのつかい)も壁の内側へ寄り、戦斧(せんぷ)を低く構える。


「出口も開いてないくせに!! こっちと殺し合って、全員焼けるつもりか!? どけよ! 手を引くと言ってるだろう!」


 頭目(とうもく)は、エミーラの後ろを見ていた。火が近づくまで待てば、彼女は負傷者を連れて動くしかない。その間に、焼けた袋を拾うつもりなのか、下の右手が床へ伸びていた。


 アキスは柱へ背をつけた。ほかの者も柱より北にいる。さっきまでルーシャといた木枠の間には、もう誰も残っていなかった。


「皆、柱の後ろから出るな!」


 エミーラが長剣を引いた。


「地裂崩斬(ちれつほうざん)!」


 刃が石を割り、床の下へ突き入った。


 エミーラの足元から南へ、亀裂(きれつ)が走った。石の床が持ち上がり、その下の土が前方へ押し出される。作業台の脚が浮き、二人の足場を突き上げた。


 正面に立っていた光の壁は残っていた。その内側で、頭目(とうもく)の身体が跳ねた。


 斧使い(おのつかい)は戦斧(せんぷ)を床へついた。だが、支えた石ごと傾き、身体を横の木枠へ打ちつけた。武器が手を離れ、割れた床へ落ちる。


 エミーラは、崩れた石の端を踏んで進んだ。


 起き上がろうとした頭目(とうもく)が、下の左手を向けた。エミーラはその腕を足で外へ押し、放たれた魔法を壁際へ逃がした。返した柄頭(つかがしら)が顔へ入り、頭目(とうもく)は動かなくなった。


 残った斧使い(おのつかい)は、下の剣を探していた。エミーラが刃を遠くへ払い、首元へ長剣を置く。


「手を見えるところへ。四本ともだ」


 斧使い(おのつかい)は頭を上げた。エミーラの刃先を見て、開いた手を床へ伏せた。


     *


 カフリが、布を束ねていた太い紐(ひも)を持って走った。


 モネサと二人で、敵の腕を胴へ縛りつける。斧使い(おのつかい)は顔をゆがめたが、手を動かさなかった。エミーラが剣を向けたまま、最後の結び目まで見ている。職人の一人が、床の武器を壁際へ遠ざけた。


 アキスも立とうとした。胸を押さえたところで、ルーシャに上着を引かれた。


「駄目、座ってて……! 今、アキスまで倒れたら、私、もう……抱えられないよ」


 彼女の右脚は、血のにじんだ布で巻かれていた。アキスは柱へ戻り、握ったままだった盾を足元へ置いた。


 北の格子(こうし)の向こうで、使者が人を集めていた。護衛たちは鉄棒を二本入れ、下から持ち上げている。市場の警備兵は、外へ張り出した留め金を槌(つち)で打っていた。


「皆、入口から離れてくれ!」


 エミーラが呼んだ。


 外の人々が下がる。エミーラは格子(こうし)へ向き、左手を長剣へ添えた。肩から垂れた血が、肘(ひじ)を伝った。


 息を整える時間は、長くなかった。


「大剪断(だいせんだん)!」


 長剣に沿って、光の刃が延びた。


 横に振られた刃が鉄棒をまとめて断ち、返した一撃が残るつながりを切った。中央の格子(こうし)が外へ倒れ、警備兵が左右から引きずって退けた。


 冷たい空気が入ってきた。


 その流れを追って、天井の炎が北へ伸びた。


「歩ける人から外へ! 中に戻らないでくれ!」


 使者の声が飛んだ。護衛がルーシャを抱え上げ、もう一人がアキスへ肩を貸す。盾はカフリが拾い、自分の袋へ切れた革帯を結んだ。


 アキスは剣を鞘(さや)へ戻して、入口を越えた。


     *


 外へ出ても、息は楽にならなかった。


 咳(せき)が止まらない。吸い込むたび胸が痛み、目から涙が出た。護衛に支えられ、向かいの土壁の下へ座る。


 スミナは隣に座らず、マルシカの腕につかまったまま、二枚の像を浮かべていた。


「ここで、ここで写すわ! スミナ、あと少し……ごめんね、読める明るさのままでお願い!」


 マルシカが自分の帳面を開いた。痛む腕を台に載せ、筆を握る。読める文字から写し、図は形をなぞるように描いた。欠けている箇所へ、勝手に線を足すことはなかった。


 ゲルモンが二包みを足元へ置き、灯りを持ってきた。彼の下の右手にも血がにじんでいたが、振ると痛むらしく、身体へ寄せていた。


「ここの数字は、見える?」


 マルシカが尋ねた。スミナは像へ顔を近づけ、首を振った。


「そこは……灰で見えなくて。ごめんなさい、もう、思い出せない……」


「いいの、そこは空けておく。思い出そうとしなくていい。今、見えている分だけ……すぐに写すから」


 アキスはスミナの背へ手を回した。肩を支えると、彼女はようやく壁に寄りかかった。


 二枚目を書き終えた時、スミナは大きく息を吐いた。


「もう……消しても、いいですか」


「写せた! もういいわ、消して! ……ありがとう、スミナ。ありがとう……」


 像が消え、上げていた手が膝(ひざ)へ落ちた。スミナは目を閉じた。アキスが手を離すと横へ倒れそうになり、そのまま肩を貸した。


「放しておくれ!! 妹と、子供が小屋にいるんだよ!」


 モネサが織場(おりば)へ戻ろうとして、警備兵に止められていた。兵が南の小屋から二人とも逃げたと伝えても、モネサは腕を引いた。


「誰が連れて出たの! 見た人を呼んできておくれ。無事だって言うなら、その人に聞かせて!」


 別の兵が走り出した。モネサはその背を見送り、入口の前を動かなかった。


 縛られた二人の敵が運び出され、使者の護衛から市場の警備兵へ渡された。南の戸から逃げた者を追う声も聞こえたが、誰も連れ戻されなかった。


 治療をする女性が来て、アキスの右手の布をほどき始めた。


 黒い爪(つめ)と白い隆起(りゅうき)が、灯りの下へ出た。女性は一度手を止めたが、甲の傷を見ると、水を持ってくるようそばの人へ頼んだ。


「待って! 布、全部取らないで……その腕、普通と違うんです」


「この、血のついたところだけにするよ。指は動く? 握らずに、ゆっくり開いてみて」


 アキスは右手を開いた。まだ動いた。


 向かいの入口では、倒れた警備兵の顔へ布が掛けられていた。運ぼうとした二人が足を止め、一人が短く目を伏せた。


 アキスは、夕方にその兵が客を通していたのを覚えていた。自分たちが最後に入る時も、通路を空けるよう声を掛けていた。


 火を消すための水が運ばれていく。アキスは妹からもらった替え布を探したが、旅袋はまだ誰かが預かっていた。


 エミーラが入口から出てきた。長剣を下ろし、土壁へ片手をつく。白い服の左側は、腰の辺りまで赤くなっていた。


 アキスが呼ぶと、彼女は顔を上げた。こちらへ歩いてきて、ようやく長剣を地面へ置いた。


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