第21話「同じ包みにあるもの」
下見の庭では、すでに一人の女性が帳面を開いていた。
青緑の髪を胸の前で結び、長い耳の先を外へ出している。森人だった。エミーラが声を掛けると、女性は顔を上げた。笑いかけ、そのまま目を伏せる。
「探していたものは、あったか?」
「この字……見てください。最後の手紙も、ここ、同じようにつぶれていて。間違いないんです」
女性は開いた帳面を押さえ、アキスたちへ向き直った。
「ごめんなさい、帳面に夢中で。マルシカといいます。これを書いたオズフェンと、一緒に土地を調べていたんです」
オズフェンは旅の途中で亡くなった調査員だった。マルシカは途中まで同じ場所を調べ、別れた後も記録を送り合っていたという。最後の一年は、届くはずの便りが来なかった。
「その年の帳面も、ありますか」
アキスが聞くと、マルシカは卓の右端へ目を向けた。
「いちばん新しい包みが、それだと思う。まだ、日付を見たところなの」
ゲルモンが革紐をほどき、三つの包みを広げた。薄くなめした皮を綴じた帳面に、折り畳んだ図や書き付けが挟まっている。
手を掛けた客には、順番に見るよう声が飛んだ。知らない者の指にオズフェンの帳面が渡るたび、マルシカはその行方を追っていた。
*
最初の帳面には、同じ畑の絵が何枚もあった。
育った穂の長さ、収めた実の量。横に、その年に都市へ流れていた魔力を測った記録がある。マルシカは流れを測った場所を確かめ、二つの頁を並べた。
「この冬、流れが弱くなってる」
「その後は? 春の畑はどうなった?」
エミーラが身を寄せた。マルシカは春の記録を開き、絵の端を指で押さえた。
「……短いまま。待って、年を取り違えたかしら。いいえ、合ってる。前の年と、ほとんど変わってない」
アキスは数字を見比べた。冬に流れが減ったなら、春には畑へ戻るのではないかと思った。そうはなっていない。
「春が寒かったとか、種が足りなかったとか、そういうことは?」
カフリが尋ねた。
「寒さの記録はある。前の年より少し暖かい。種は……待って、ここに書いてある」
マルシカは一つ前へ戻った。使った種の出所と、植えた面積を確かめる。違う村から買った種を植えた畑でも、穂は短かった。
「買った種でも、短い……。種だけのせいではなさそうね。ほかに何が……」
マルシカはもう一度冬の記録へ戻り、エミーラを見た。
「ごめんなさい。次の春には戻る、と期待できる記録ではないわ」
エミーラは卓から手を離した。
「戻るまで、待てなかった村もある」
アキスは彼女の横顔を見た。昨朝の蜜の壺を思い出した。何年待てばいいのか、戻るのかどうかさえ分からないまま、あの人たちは土地を離れたのだ。
アキスは次の帳面を受け取った。繭の絵がある。隣には、動きが止まった日と、暖めた火の数が書いてあった。
「この子たちは、急に亡くなったんですか」
マルシカは指された箇所を読んだ。
「少しずつ動かなくなったとある。葉を増やしたかったけれど、手に入らなかったとも」
アキスは、荷主の話を思い出した。直前まで荷を数えていた人とは違う。似ているのは、魔力の変化に関わるかもしれないというところだけだった。
スミナが、帳面に書かれた村の名を指した。
「この村のこと、モネサさんなら知っているかもしれません。宿で、妹さんの子を育てているんです。聞いてみてもいいですか」
「会って話せるかしら」
「仕事が終わる時間なら。私から、お願いしてみます」
マルシカは村の名と、オズフェンが訪ねた年を控えた。
*
二つ目の包みから、金属の器具を描いた図が出てきた。
湾曲した金具の片端が、太い肉の管へ当てられている。もう一方には、灯りをつける器がつながっていた。図の下に、金具を当てた場所と、灯りが消えるまでの長さが書かれている。
「これは、何をしているんですか」
「原環へ集まる魔力の一部を、別の場所へ送ろうとしているの」
マルシカは、次の頁を開いた。同じ器具が、今度は途中で折れている。熱で曲がった金具の寸法も残っていた。
「外の土地へ戻せないか、試したいとは書いてきたの。でも、ここまで……」
マルシカは折れた器具の図を指でなぞった。
「私は畑を調べていたから、実験は見ていないの。こんなに試していたなら、どうして一言くらい……」
彼女は最後の包みを手元へ引いた。使者も隣へ来て、日付を追った。
初めは灯りがつかず、次は器具が焼けていた。場所と金具を変えた試験で、初めて、手を離しても灯りがともった。長く続いたわけではない。だが、その間も原環の鼓動は止まらず、都市へ送る魔力も途切れなかったと記されていた。
「できたんですか!? 壊さなくても、これなら……!」
アキスの声に、マルシカは読みかけの行を示した。
「この時は、できた……待って、まだ喜べない。後で傷んでいないか、もう一度できたかも読まなくちゃ。アキス、その次の帳面、取ってくれる?」
アキスは図へ顔を寄せた。地下では、触れた肉が緩み、傷が開いた。この人は器具の形を変え、場所を変え、起きたことを残している。自分の腕がしたことも、こうして比べれば分かるのだろうか。
向かいから、別の手が帳面を押さえた。庭で先に買いたいと言っていた客だった。
「焼けなかった器具の寸法は、どこだ」
「次だ。まだ今の方が読んでいるだろう。手を離してくれないか」
ゲルモンが答えた。客は先をめくろうとし、止められると手を離した。背後のゼキトが、開かれた頁へ身を寄せた。
「使者殿。次は、こちらへ渡してくれ」
客の指は土地の絵には向かなかった。器具を取りつけた位置と、魔力を送った長さを、ゼキトに確かめさせている。
使者は帳面を渡し、ゲルモンへ尋ねた。
「原本のほかに、同じ記録はありますか」
「荷にあったのはこれだけだ。最初の頃の観測なら、写しを送った先もあるらしい」
マルシカが、自分の帳面を押さえた。
「私の手元にあるのも、観測の写しだけです。この実験の手順はありません」
アキスは使者を見た。使者は返ってきた帳面を閉じず、立ったまま最後まで確かめていた。
*
付属の革筒には、調査中に通った水路の図が入っていた。
図には水路と、その脇を歩くための細い通路が描かれていた。途中に階段があり、地上の道の名が添えてある。
「エスカディの北取水路だ」
使者はその先を追った。
「ここで城壁の下を通る。内側の古い水溜めまで続いている」
アキスも図へ寄った。メイハのいる街だった。
「今でも入れるんですか」
「確かめなければ分からない。閉じた口もあるが、この分岐は手元の図にない」
「帳面も図も、今、写せませんか」
アキスは小声で尋ねた。ゲルモンには聞こえていた。
「それを持ち帰ったら、もう買わなくてもいいだろう? 下見はしてもらうが、写しは売った相手にしか渡せないよ」
「でも、ほかの人が買ったら!? 次に見せてもらえるかも分からないのに……!」
「だから買いに来てもらっているんだよ。私も貸した金を取り戻したい。写しを持って帰られたら、それで終わりじゃないか」
使者がアキスへ手を添えた。
「買い取る準備をします。下見で確かめた水路の名は、こちらへ控えて構いませんね」
「それなら構わない。図の写しまで作らなければ」
客は実験の帳面を返し、ゼキトと庭を出ていった。水路の図は、巻いたまま卓へ残った。
*
使者はその日のうちに、護衛の一人を王都へ返した。
研究記録が本物らしいことと、それを求める別の買い手がいることを伝える。水路についても名と分岐を知らせ、王都で確かめてもらう。
宿では、マルシカが自分の旅費を卓へ出した。
「原本は、私に持ち帰らせてください。必要なところは全部写します。器具も、実験も。何日かかっても、私がやりますから」
「こちらには、器具の図と試験の経過が必要です。王都の水路図も預かりたい。記録を買えたら、私が戻るまでに写せるところからお願いできますか」
「それなら、私のお金も使ってください。これだけは出せます」
「森へ帰る費用は残してください」
「分けてあります! ……最初に分けました。でないと、私、今ごろ全部出してると思うので」
使者は苦笑し、自分の控えを寄せた。どこまで値を上げられるか、二人で確かめていく。
アキスは自分の旅費の袋へ触れた。カフリが横から、その手を押さえた。
「待った。その袋は旅費だろ。森へ行く前に尽きたら、どこで引き返す気だ?」
「少しなら出せるだろ」
「その少しが次の宿代だって。脚を休ませる場所まで売るなよ、頼むから」
アキスは袋から手を離した。記録が欲しかった。その先で自分の身体を診てもらうための金も、残さなければならなかった。
窓の下を、布を積んだ運び手たちが通った。モネサの働く場所では、まだ灯りがついている。スミナは明日話を聞くため、階下へ約束を取りに行った。




