第20話「六本の焼き魚」
焼き台の魚が、目の前で六本なくなった。
アキスの隣で、ルーシャが声を上げた。
「ああーっ!! それっ、最後の六本!」
六本の串を受け取った女性が振り向いた。白銀の髪が肩から流れ、短く枝分かれした二本の黒い角が見えた。人間と同じ形の耳と、縦長の瞳を持つ赤い目をしている。
黒い上着の下から、太い尾が伸びている。先へいくほど細くなり、通行人が来ると器用に足元へ寄った。
「ああ、先に待っていたのか?」
「今来たとこですけど……あんなに遠くから匂いを追ってきたのにぃ……」
ルーシャが答えた。女性は串を一度数え、店主を見た。
「次が焼けるまで、どれくらいかかる?」
「その六本を食べるよりは早いよ」
「なら、あと三本も頼もうかな」
女性は受け取った魚を三本、空いた皿へ分けた。
「三本なら先に譲るよ。そうがっかりされると、食べにくい」
「お金は払います」
アキスが財布へ手を伸ばすと、女性は店主を示した。
「それは店に。私に払ったら、また魚を買ってしまうよ」
ルーシャは皿を受け取り、女性の隣にある空いた椅子を見た。スミナは少し後ろで待っていた。
「私はエミーラ。そこ、空いているよ。立ったまま食べなくてもいいだろう」
三人も名前を伝え、椅子へ座った。アキスが角へ目をやったのに気づくと、エミーラは自分が龍人だと話した。
「龍人は、初めてか?」
「学校の本では。でも、思ってたより……」
「小さい?」
アキスが言葉を探している間に、エミーラは一本目の魚を食べ終えた。
「その本に、魚を何本食べるかは書いてあった?」
「……載ってませんでした。六本とは思わなかったです」
次の皿が届くと、彼女は残りの魚も受け取った。ルーシャが自分の一本を見て、店主へ追加を頼んだ。
*
エミーラの旅袋には、小さな蜜の壺が幾つも入っていた。
市場で売り、南へ移った村へ金を送る。村にはもう、売る物があまり残っていないという。アキスたちが記録を買いに来たと知ると、エミーラは壺をしまう手を止めた。
「その調査員には、私が通っていた村も見てもらった。流れ込む魔力が減れば、畑が戻るのか知りたかったんだ」
「原環へ流れ込む魔力ですか」
「その魔力だよ。谷では草が育たなくなって、次にまく種まで食べてしまった。引っ越そうにも金がない。借りようにも、もう借りられなくてね」
アキスは串を皿へ置いた。
「レムバルの原環は、死んだそうです」
「その話は聞いた。街の人々は、逃げられたのか」
「逃げても、死にました。友達と、その家族も。十日前に旅立っていた人まで、同じ夕方に」
エミーラの目がアキスへ戻った。
「……逃げた人も? 街に残っていた者だけじゃないのか」
「ほかの街でも、同じことになるかもしれません」
アキスの声が強くなった。エミーラは皿を脇へ寄せた。
「私の知っている村でも、死んだよ。助けを待っている間に。……だから、今のままにしておけとも言えない」
「じゃあ、どうすれば――」
「それが分かっていたら、ここには来ていないさ。壊さずに済ませたい。そちらも、こちらも、これ以上死なせずにね」
アキスは答えられなかった。
皿へ手を伸ばすと、魚は少し冷めていた。エミーラの袋には、これから売る蜜が残っている。その金が届くのを待っている人がいるのだと、話を聞いたばかりだった。
*
市場の外れには、武器を試すための広場があった。
食後に寄ったのは、アキスが剣の店を見たいと言ったからだった。使い込んだ木剣が貸し出され、荷の護衛や旅人が打ち合っている。エミーラは店主と顔見知りらしく、長さの違う二本を手に取った。
「その盾は、魔法の代わりに使っているのか?」
「俺は使えません」
「剣は習っていた?」
「軍学校で。教官は、レムバルに残りました」
エミーラは木剣を一本差し出した。理由を聞き返さず、向かいへ立つ。
「痛んだら、すぐ言うこと。無理をした分まで付き合う気はないよ」
アキスは盾を外した。打ち合うだけなら軽い木盾も借りられたが、慣れていない物は使わず、木剣を両手で持った。
最初の一撃は、簡単に外された。
木剣を追って腕を伸ばすと、手首を軽く打たれた。戻そうとした剣の下を、次の一撃が通る。肩へ触れる直前で止まっていた。
「ま、待って……もう一度! 今、見えなかったんです!」
今度は大きく振らなかった。相手の木剣を押さえ、自分の左へ回ろうとする。だが踏み出した足が着くより先に、エミーラがその外へ移った。
背を向けたくなくて、アキスは身体を回した。視界へ入ってきた木剣を受ける。乾いた音がした直後、反対側から胸へ軽い衝撃が来た。
同じ木剣だった。受けたはずの一撃が、いつ戻ったのか見えなかった。
「私も!! アキス、今度は一緒に行こう!」
ルーシャが木剣を借りてきた。
「二人でも、いいですか」
「いいよ。二人とも同じ所から来ないようにね。それでは増えた分がもったいない」
エミーラはアキスに水を飲む時間を与え、広場の中央へ戻った。
ルーシャが先に動いた。低く走り、途中で木剣を左手へ移す。空いた右手を地面へつき、獣相で太くなった腕と脚を使って、横へ跳んだ。
アキスは逆から踏み込んだ。エミーラがルーシャを追えば、その背へ届く。
そう思った時、エミーラは自分へ向かっていた。
エミーラは数歩で間合いに入ってきた。木剣を持ち上げる暇がなく、胸を打たれる。痛みより驚きで足が止まった。
エミーラは止まらず、アキスの横を抜けた。ルーシャが向きを変えようと手をつく。そこへ木剣が来た。受けた刃を押し切らず、エミーラは身体の回転で剣を返し、別の角度からもう一度打った。
ルーシャの木剣が跳ね上がった。三撃目は、露出した脇の前で止まった。
アキスが追いつく頃には、エミーラは二人へ正面を向けていた。
「い、今のも!? 魔法じゃないんですか!?」
「魔法は使っていないよ。さっきの動きだけだ」
「本ッッッ当に速すぎるって!! 私の方が先に走ったのに!」
ルーシャは立ち上がった。自分の脚を見てから、エミーラの足元を見た。
「待っていたら二人に挟まれるだろう? 分かれきる前に出たんだ。ルーシャが追いかけてくる前に、アキスを打てばいい」
アキスは、胸へ当たった木剣の感触を思い返した。エミーラを挟んだつもりだったのに、追いかける側になっていた。
「その動きを、教えてください」
口にすると、まだ足りない気がした。
「今日だけじゃなくて。旅の途中でも、教えてもらいたいです」
エミーラは木剣の先を下ろした。
「おや。魚を分けたら、ずいぶん先の稽古まで頼まれたね」
アキスは木剣を下げずに待った。エミーラはその手元を見て、笑うのをやめた。
「……まず、市場にいる間だ。毎朝ここへ来なさい。その先は、私も行き先を決めてから相談しよう」
アキスは木剣を構え直した。
「明日の朝、ここで待ってます」
「明日まで待たなくてもいいよ。まだ脚が動くなら、今からやろう」
*
間合いを詰めて斬る技を、閃駆という。
斬った勢いと踏み替えを次の攻撃へつなぎ、違う角度から打ち続けるのが連牙。エミーラは名前を教えてから、先ほどの動きを遅く見せた。
「足だけでは、先に身体を打たれるよ。剣も一緒に運んでごらん」
アキスは短い距離から試した。前へ出ることばかり考えると剣が遅れ、先に振ろうとすると足が止まる。
「そういえば、盾は? 外したままでいいのか?」
「重くなったら、もっと遅くなるんじゃ」
「遅くなって当然だよ。だから、持って練習するんだ。戦う日だけ重くなっても困るだろう」
左腕へ盾を通した。握りの違う右手、重い左腕。今ある身体で、前へ出なければならない。
エミーラが木剣を立てた。アキスは腰の位置を下げ、地面を押した。
受けられた。今度は、剣が届いた時に足も着いていた。
「今のは一緒に出たね。その足の位置を、覚えておこう」
アキスは足元を見て、靴の先で土に線を引いた。もう一度踏み込みたいと言う前に、エミーラが水の入った杯を寄せた。
「今日は終わり。……あと一回、と言う顔をしてるね。駄目だよ。明日もいると言っただろう?」
アキスは木剣を下ろした。土に残った線を、帰り際にもう一度見た。




