第19話「繭の市場」
荷を受け取った手とは別の手が、代金を取りに来た。
アキスは硬貨を落としかけた。店主は下の左手で受け止め、上の二本で袋の口を結ぶ。空いた下の右手が、次の客へ品を示した。
「どれを買うんだい」
「あ、これ、これです! ……さっき渡しませんでしたっけ?」
「もらったよ。だから次はどれかと聞いたんだ。そんなに見つめられちゃ、まだ欲しいのかと思うだろ」
隣でルーシャが笑った。アキスは受け取った干し果実を袋へ入れ、店先を空けた。
王都を出て四日。赤土の坂を下った先に、バルタナ交易都市が広がっていた。門を抜けた通りは、市場へ向かう荷車と人で埋まっていた。市場に並ぶ低い土壁と丸い屋根の間を、色のついた長い布が渡っている。布の下を通ると、頭に触れそうな高さから別の客が降りてきた。
四枚の翅を畳んだ、四本腕の人だった。首元は柔らかい毛に覆われ、額には二本の触角がある。
「繭翼人だよ。初めて見た? ほら、頭にも気をつけて。荷物ごと下りてくるからな」
カフリが自分の袋を持ち替えた。
「道の真ん中で止まると、今度は後ろから来る」
ルーシャが空を見上げた。小さな箱を抱えた繭翼人が、隣の屋根へ渡ろうとしている。途中で高度が下がり、土塀へ足をついた。休んでから、また翅を開く。
「あれ、もう休むの? 隣の屋根まで行くのかと思った」
「荷物もあるしな。……ルーシャ、あの屋根で競争する気じゃないだろうな?」
「今、考えてただけ! ……言う前から止めなくてもいいじゃない」
門で結ばれた剣の封が、歩くたび腰に触れた。細い糸を切れば剣は抜ける。その代わり、抜いた理由を市場の警備兵へ説明しなければならない。王都の使者も、四人の護衛も同じだった。
この都市を治めているのは商人たちの寄合だと、使者が話していた。王都の旗を掲げても、列の先へは通されなかった。
*
宿の裏の洗い場で、スミナが空の桶へ手を伸ばした。
「待って。それは布を洗う方だよ」
四本の腕で洗濯物を抱えた女性が、片足で別の桶を寄せた。赤茶の翅の端に、薄い粉が付いている。
「私はモネサ。洗う物があるなら、そこの台に置いておくれ」
スミナは靴を持ち直した。
「泥を落としたいんです。お水、分けてもらえますか」
「その壁際でね。布の方へ流さないでくれればいい」
アキスとルーシャも靴を脱いだ。モネサは洗った布を上の二本の腕で絞りながら、下の手で次の布を水へ沈めていく。アキスが見ていると、乾いた布の束を渡された。
「おや、こっちに空いてる手があるね。ほら、これ持っておくれ。見物のお代はそれでいいよ」
抱えた束の向こうで、スミナの肩が揺れた。アキスはそちらへ顔を向けたが、彼女は丁寧に靴を洗っていた。
隣の小屋には、壁の高い位置に明かり取りがあった。暖かい空気が漏れてくる。ルーシャが鼻を向けると、モネサは戸を開けてくれた。
大きな籠の中に、長い繭があった。
薄い表面が、内側から押されて動く。アキスは息を止めた。丸い影がゆっくり端へ寄り、また奥へ戻った。
「妹の子だよ」
モネサは声を落とした。
「寒いと育たないから、窯の熱をもらってる。ここは部屋代が高いんだけど、ほかへは移れなくてね」
壁の下から温風が来ていた。向こうでは、職人たちが器を焼いている。人が働いて生まれる熱が、この子の眠る部屋まで届いていた。
「いつ出てくるんですか」
スミナが尋ねた。
「まだしばらくかかるよ。……おやおや、今日はよく動くこと。待っておくれ、葉が欲しいのかい?」
モネサは棚の鉢を持った。中の葉は柔らかく、切り口が湿っていた。それを繭の根元へ差すと、薄い筋が葉へ伸びた。
「この子も食べるんだよ。見てごらん、もう葉に筋を伸ばしてる」
アキスは布を抱えたまま、小屋の外へ下がった。通る場所を空けると、モネサが鉢を元へ戻した。
「それじゃ、その布を北の織場まで……おっと、嫌な顔をしないでおくれ。市場の行き方も教えるから。もう少し付き合ってくれないかい」
*
布を届け、使者と合流したのは、市場の中央にある広い庭だった。
卓の向こうで、深い茶色の毛を持つ商人が、客の示す品を確かめている。四枚の翅には、大きな黒い丸が一つずつあった。
「ゲルモン殿、王都から参りました。記録の下見について伺いたい」
使者が声を掛けると、商人は受け取った品を返し、こちらへ向いた。
「知らせは届いていたようだね。下見は明後日、売るのは十日後の日没だ。日が暮れる前に来てもらえるかな」
「亡くなった調査員の帳面を、先に確かめたいのですが」
「私から、あちらのお客さんにそう話してみようか? 王都から来た方を先に通します、と」
ゲルモンは別の客が待つ椅子を示した。人間も、矮人も、繭翼人もいた。
「……皆さん、同じ条件なのですね」
「そう。皆さんに同じ日を知らせてある。私の信用まで売るつもりはないんだよ」
「帳面のほかに、図があると聞いています」
「古い道の図だね。三つの包みと、一緒にして売るよ。貸した金を返してもらわないと、私も困るのでね。寄合にも認めてもらっている」
庭の奥から声がした。
「三つとも買うと言っている。値を決めれば、今ここで払える」
肩幅の広い繭翼人が立っていた。上の二本の腕を組み、下の右手で革の袋を持っている。背後には、淡い金色の翅を持つ護衛がいた。
「その袋は、十日後まで閉じておいてくれ。値の問題じゃないんだ。ほかの客にも同じ日を知らせてあるのでね」
ゲルモンが答えると、客は袋を閉じた。
「ゼキト、戻るぞ」
客は護衛とともに庭を出た。
ゼキトは細い通路で荷運びの人とすれ違った。上の手で幅の広い長剣を押さえ、下の手で積まれた布を避ける。腰には、もう一本の刃が見えた。
アキスはその四本の腕を見た。さっきは、仕事の手際に驚いていた。あれが全部、自分へ向けられたら、どこを見ればいいのだろう。
使者が宿へ戻ると言った。アキスは剣の封を確かめ、仲間たちと庭を出た。




