第18話「帰った日の約束」
「私も行く」
話し終える前に、メイハはそう言った。
夕食の器を片づけた後だった。ルネハは階下へ行き、ルーシャとスミナも席を外している。卓には、まだできあがっていない腕の替え布が置かれていた。
「数日じゃないんだ。何か月も歩くことになる」
「私だって、ここまで歩いたよ」
「宿がない場所もある。誰かに追われたら、また走らないといけない」
「お兄ちゃんも、走れないでしょ」
左脚を見られ、言葉が止まった。傷が治ってから行くと答えると、メイハは椅子を引いた。
「じゃあ、治るまで私も準備する」
アキスは妹の前へ座り直した。
「……準備しても、連れていけない。ごめん。俺は、腕とデンバルたちのことを調べに行きたいんだ。メイハには、ここで――」
「やだ!! 待っててって言うんでしょ! また!」
短い返事だった。妹は布を畳み始めた。端が合わず、一度開いてやり直した。
「帰ってくるって言った人が、帰ってこなくなるの、もう嫌だよ」
アキスは手を伸ばしかけて止めた。いつ帰るか言えないのは、メイハにも分かっていた。
「どこまで行くかも、まだ決まってないんだ。でも、行き先が決まるたびに書くよ。メイハが返事を出せる場所も、ちゃんと」
「手紙じゃ、お兄ちゃんが痛くても、助けに行けないじゃない」
アキスは巻かれた布を見た。返事を考えているうちに、メイハが顔をそらした。
「……痛い時も書く。何もないふりをして、帰るのを待たせたりしない。何があったかは、隠さずに知らせる」
メイハは布を抱え、寝台へ行った。アキスは卓に残った糸を巻いた。何を言い足しても、今はまた妹を説得することになりそうだった。
*
王都へ来て二週間ほど過ぎると、杖を使わずに歩けるようになった。
軍の物置で使い古しの盾を買い、革帯だけ新しく取り替えた。左腕へ通して剣を構えると、身体が前と同じ位置を探した。右手は柄を握れる。指が長くなったぶん、握り込むと爪が自分の掌へ当たった。
何度か持ち直し、指を締めすぎない位置を見つけた。剣を振ると、脚の傷が引きつる。大きく踏み込むのはやめ、止まったまま刃を返す動きだけ繰り返した。
ルーシャが横に木剣を持って立った。
「打ち合いは、まだしない?」
「今やったら、ルーシャが勝つだけだろ」
「治ってからでも勝つけどね」
彼女は笑ったが、構えを取らなかった。アキスの腕の動きに合わせ、自分もゆっくり木剣を振り始める。途中で腹を押さえ、顔をしかめた。
「俺より先に止められるんじゃないか」
「だーかーら、ゆっくり振ってるんでしょ! そんな顔しない。今日は二人とも、勝負はお預け!」
庭の反対側で、青い布が三枚並んでいた。一枚は物干しへ掛けてある。残る二枚は、スミナが留景で写した像だった。
片方の像が横へ動くと、もう片方が薄くなった。スミナは手を止め、二枚を並べ直した。今度は二枚とも動いたが、風で実物がたわむと、違いがすぐ分かった。写した方は、折り目も端の形も変わらない。
「動いてるのに、止まって見えるな」
アキスが言うと、スミナは両方の布を見た。
「場所しか変えてないから。中の形まで変えると、ほどけちゃう」
「歩いてる人を写したら?」
「片足を上げたまま進む人になる」
ルーシャが片足を上げた。スミナは一度そちらを見て、像を消した。
「やめて。……その顔で片足上げて待ってないでよ。笑ったら、また消えちゃう」
「ええっ、立ってるだけなのに!?」
スミナの口元が緩んだ。アキスが見ていることに気づくと、物干しの布を直しに行った。
*
旅の案内役は、三人が地図を逆さに広げているところへ来た。
茶色の髪の青年だった。腰の革帯には、小ぶりな投げナイフが六本収まっていた。足元へ使い込んだ旅袋を置くと、青年は地図へ指を置く前に、アキスたちの顔を見た。
「カフリ。バルタナまでの案内を頼まれたんだ。十八だから、そう構えなくていいよ。よろしくな」
「道が二つある。どっちを行くんだ?」
「せめて名前を返してくれよ。俺、誰を連れてくんだ? それと、地図は逆」
カフリは地図を半回転させた。ルーシャが指を離し、アキスは椅子を引いた。
「アキス。ごめん、道のことで頭がいっぱいで」
「こっちがルーシャで、そっちがスミナ。私は逆だと思ってたよ、地図」
「ルーシャが広げたんでしょう」
スミナに言われ、ルーシャは指していた道から手を引っ込めた。カフリは笑い、今度こそ進む道を指した。
最初の目的地、バルタナ交易都市までは、使者と護衛に同行する。道中で食料を買える場所はあるが、使節から離れた後も同じように進めるとは限らない。
スミナは、出発のことをルネハと話してきていた。母は留めなかった代わりに、無理をして歩けなくなる前に言うこと、行き先を知らせることを約束させたという。
「母さんだって、すぐに行っておいでって言ったわけじゃないよ。でも、メイハと一緒に待ってるからって。……ちゃんと書くつもり。見たことも、どう思ったかも、私から」
*
出発前の夜、メイハが替え布を差し出した。
端は少し曲がっていた。藍色の糸が、白い布を一周している。アキスはその場で古い布を外し、右腕へ巻いた。
「きつくない?」
「きつくないよ。ほら、指もちゃんと動く」
「じゃあ、持ってって」
メイハは兄の膝へ手を置いた。
「帰ってきた日は、どこにも行かないで」
「買い物も?」
「私と一緒ならいい。でも、誰かに呼ばれたからって行かないで」
「行かない。誰か来たら、今日はメイハといるって言う」
アキスは妹の手を握った。メイハはしばらく離さず、やがて寝台の壁側へずれた。兄が横になれるだけの場所が空いた。
朝、階段を下りる時まで、行かないでとは言わなかった。家の前で抱きついてきた妹を、アキスは左腕で受け止めた。
「手紙、短くしないでね」
「読むのが大変なくらい書く」
「大変なのは嫌。……絵も入れて。お兄ちゃんが見たところ、私も見たい」
メイハはルネハの隣へ戻った。アキスは旅袋を背負い直し、使節の待つ門へ歩いた。曲がり角で振り返ると、妹はまだそこにいた。もう一度手を上げると、白い布の端が朝の風で揺れた。




